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先輩 それすらわたしのひどい嘘 #カク

「今更だけどよォ」

 ジャブラさんがテーブルに足を乗せ、椅子を後ろに大きく傾かせながら、私の書きあげる報告書を待っていた。何の変哲もないただの椅子でその傾きを維持できるのはジャブラさんしかいないだろうなというくらいの傾きで見ているだけでひやひやする。
 司法の島には夜がない。時計の針は午後十時二十分を指していた。ジャブラさんが、悪ぃこれもだった、と白紙の報告書をひらひらさせながら私の席にやってきたのが午後十時ちょうど。私は帰宅しようと立ち上がったところだった。

「はい、今更」

 つい適当な返事をしてしまうが、ジャブラさんは気にも留めない。

ウカちゃんはカクと同期じゃねえか? なんで『カク先輩』なんだ」
「ああ、ええと」

 報告書を書きながら出来る話ではなく、私は黙るしかなかった。

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 カク先輩と私は実は同い年。それなのに私が彼をカク先輩と呼ぶのは子供の頃の戯れの延長だ。カク先輩はもしかしたら呼び名を改めさせる機会を失っているだけかもしれないが、私は本人から明確にやめろと言われるまではこのまま呼び続けるつもりでいた。私にとっては大事な思い出だから。

 自分がいつからグアンハオにいたのかは思い出せない。一番古い記憶はグアンハオの森でオニに見つからないようにそっと息をひそめていたかくれんぼ。両親の顔は覚えていないし、たぶん知らないんだろう。悪人でなければ嬉しいし、私を失ったと悲しんだりしていなければいいと思う。
 ジャブラさんは、私が物心ついた頃にはグアンハオではもう過ごしておらず、たまに島を訪れてはルッチさんやカクにちょっかいを出していた記憶しかない。私も今と同じくらい良くしてもらった。
 私のこの体質は幼い頃からだ。訓練では私と組みたがる子達で喧嘩が始まり、食堂にいけば私だけよくおまけをしてもらうのに誰もそれを妬まない。こっちの服の方が綺麗だと交換を申し出てくる子がいたり、肌寒い夜は隣の子が自分の毛布を知らぬ間に私にかけ本人が風邪をひいていた。特定の子ではない。『私の近くにいる子』がだ。その子たちは文字通り私から離れると、ふっと我にかえるようで、私はよく遠くから不思議そうな目つきで見つめられた。物理的に私の近くにいる子、がそのようになるし、大人たちも私には好意的だったから、誰も私の体質には気がつかなかったらしい。
 カクとは同い年だったから同じ訓練を受けることも多かったが、あまり接点はなかった。カクは人当たりのいい子ではあったが、ひとりでいることも多く、対して私の側には常に誰かがいた。それに、カクはこの頃から優秀だったので年上の子達との訓練にも混ざることもあったし、彼の老成した口調はこの頃から仕上がっていたので、同い年の子供たちはちょっとだけ遠巻きにしていたのだ。
 うんと幼い頃はまだ良かった。トラブルといえばせいぜい子供同士の喧嘩で済むものばかりだったし、力にもあまり差がなかったから。だが、十歳を過ぎたあたりでトラブルが少しずつ複雑になっていった。喧嘩に怪我が伴うようになったり、男女問わず身体への直接的な接触が増えてきたのだ。急に手をつながれたり、腕を組まれたり、抱きつかれたり。肌の露出を少なくすると効果が弱まる、と発見できたのもこの頃だ。そのことに気づいてからの夏は地獄だった。
 グアンハオでは、特に、子供達に大した自由はない。服は古着を適当にあてがわれるだけだ。夏でも涼しい長袖のシャツなんてものが手に入るはずがなく、この発見をしてからは半袖のTシャツの上に、長袖のカーディガンを羽織って過ごすようにした。おかげでトラブルは大分減ったが、体力は相当削られることになり、ついにそれが起きた。

 その日の訓練は持久走だった。施設の周りの森の中を何周も走るというもので、私はすぐビリになり、仲間たちの背中はすぐに見えなくなった。その日は気温はそう高くないが湿度が高かった。当時の自分には熱中症なんてものの知識がなかったのだ。周りの大人たちも私が「この服を着たい」と言えば無理矢理脱がせることはしなかった。そう、彼らの好意は、決して私を守るものではない。当たり前だが、私は眩暈に襲われあっけなく森の中で膝をついた。這うようにして移動し、手ごろな木を背に座り込みうずくまる。くらくらする頭に響いてきたのはリズミカルな足音だった。それが止まって、声がする。

「辛そうじゃの」

 頑張って頭を持ち上げると、スタートと同時に一番手で颯爽と走り抜けていったカクが眉を下げた心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。私はあっという間に追いつかれたのだろう。彼は、返事をしない私の額に手を当て、うわ、という顔をした。

「おぬし、まずいぞ。ひとまずその上着は早く脱ぐんじゃ」
「あ、いや、でも」
「いいから早く」

 回らない頭で必死に考えた。服を脱いだら、きっとこの子もみんなと同じになる。脱ぐのはまずい。でも、脱がない言い訳も考えられない。何より暑い。でもどうしよう。脱ぎたくない。まずい。どうしよう。もうわかんない──。
 黙ったまま動かない私に、カクは実力行使に出た。私から無理矢理カーディガンをはぎ取ったのだ。

「あ……っ、はな、れて!」

 抵抗する力も残っていない私は必死にそれだけ言った。だがカクは私の言葉を無視し、はぎ取ったその上着で力いっぱい私をあおぐ。ばさばさという音に合わせてふいてくる森の涼やかな風を受けた私の身体はどんどん冷えていった。息が整い、体温が正常に戻り、思考が追いつくのにあわせて、私の不安はぐんと増していく。無表情で私に風を送っているカクが、いつ、みんなのようになるかわからない。私から距離を取れるようにしたいが、優秀なカクを前にそれが出来るだろうか。そう思い始めたら変に緊張してくる。その時、風が止んだ。

「ひとまず大丈夫そうじゃの。じゃあの」

 カクは風を送るのに使っていた私の上着を差し出し、私に背を向け始めていた。え? うそ──。

「ま、まって」

 思わず出たのは引き留める言葉。さっきまで、どうやって離れようかと思っていたくせに。
 カクは、私の声に素直に反応してまた身体をこちらに向けた。けれど、カクから歩み寄ってくることはない。確かめたい。なんとしても。これまで誰にも聞けなかった。聞いてしまったら決定的になる気がして。でも。彼は、私を。私のことを──。

「わ、私のこと──好き?」

 一瞬の間。
 カクは思いっきり顔をしかめて、はあ? と呆れた声で返事をしてくれた。決まりだ。カクは私を好きにならない。私は嬉しくて嬉しくてぼろぼろと涙が出て、またカクを呆れさせた。カクは呆れ顔のまま私が泣き止むまでそこから離れなかった。

 遠くからザッザッザッという足音が近づいてきて、カクは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている私の手を引き、森の奥深くにコースアウトした。ひらけた場所にふたりで腰を落ち着ける。私はハンカチで鼻をかんで、ようやくお礼が言えるようになった。

「助けてくれてありがとう。あと、変なこと聞いた上に泣いちゃってごめん。カクの返事に傷ついたわけじゃないから」

 我ながら何の説明にもなっていないと思ったが、カクは、そうか、と頷くとそれ以上追及してこなかった。それをいいことに、ああいうときの対処はいつ覚えたのかと問うと、年上の子供達との訓練中に似たような症状で倒れた子供がいたのだと返ってくる。

「そうなんだ。カクはすごいね。年上の人たちと訓練してるだけでもすごいのに、あんなふうにすぐ対応できるなんて。同い年なのに先輩みたい」
「別にすごくないわい。この暑いのにあんな服で走り込みなんて、そっちのほうがすごいじゃろ。悪い意味で」
「うん。そうだよね。そうなんだけど──」

 私はまたしても口を噤んだ。自分の周囲にいる人間が無条件で自分を好きになる、肌の露出をおさえるとそれが少しましになる気がする、なんてあまりに馬鹿げている。なにより目の前のカクには、それがあてはまらないのだ。何と説明すればいいのか迷っているうちに、カクはこの話題への興味を失ったようで、そろそろ戻るかと立ち上がって訓練に戻っていた。

 数日後。カクは私に薄手のカーディガンをくれた。薄手で、さらさらとした肌触りが気持ち良い。風がとおり、汗ではりついたりしない。夏場でも着ていられそうなそれは、古着には見えなかった。驚きながら、どうやって手に入れたのか問えば、訓練で知り合った政府筋の家の子に融通してもらったという。

「わしは先輩じゃからのう。これくらい朝飯前じゃ」

 カクはにっと笑って続けた。

「気休めでもなんでも、ウカには上着が必要なんじゃろう?」
「──、うん。そう。そうなの」

 それ以上は言葉にならなくて、私はただただ薄いカーディガンをぎゅっと抱きしめた。彼がくれたそのカーディガンは、他の子供たちがくれた服や食べ物や毛布とは明らかに違う。間違いなく、彼自身の思いやりと気遣いが形になったものだった。

「やっぱり『先輩』だ」
「そう呼びたきゃ、呼べばええわい」

 私を守ってくれたのは『先輩』だけ。
 私を好きにならないカク先輩。私はそんなカク先輩が好きだ。

おしまい

夢小説,長編・連作,ONEPIECE,それすらわたしのひどい嘘 3839字 No.113 

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