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夢小説,短編,ONEPIECE,水の都で暮らしたら 2567字 No.108
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そのたばこ屋は商店街の片隅、角にあった。たばこ屋、とは昔の名残で、今は食べ物や雑貨も扱っている。カウンターも併設しているこの島では珍しい形だ。店は用がなければ立ち入らないだろう路地に面していて、市場の喧騒はすっと遠ざかる。話し声も足元も届きにくい。だからなのか、客は常連ばかりで、祖母が店を閉めよう、と言い出すのも最もだとウカは思っていた。
店を継ぐ、と張り切ってやってきたわけではない。ちょうど職を失ってどうしようかと思案していた時に親族から、暇をしているならしばらくやってやれ、と言われただけだ。それを聞いた祖母は、どうせ閉めようと思っていた店だ、潰してもいい、とからから笑った。ウォーターセブンは水路が張り巡らされた美しい島でありながら、工業が盛んで活気のある島。一度くらいは住んでみたかったから、渡りに船だと気軽な気持ちで引き受けた。まあ、ほんの少しだけ「何か変われば」なんて期待もした。ほんの少し。
客は意外にも老若男女、幅広い。近所の住人が、ちょっとしたものを買うのにやってくるからだ。幅広い、が、頻度は高くない。朝早く、初老の男性が新聞を買ったかと思うと、閉店間際にふくよかな女性が、洗剤が切れた、と駆け込んできたりする。
「いつもの」
彼も常連の一人だった。葉巻が切れるとやってきて、ついでにヤガラレースのチケットも買い求めていく。その男がガレーラカンパニーの一番ドック職長でパウリーという名だというのは、サン・ファルドからやってきたウカでも知り得る情報だった。
雑談はしない。先代の祖母はしていたのかもしれないが、ウカは求められなければ声はかけなかった。ただカウンターに座り、往来の人──といっても近所の住人ばかりだが──を日がな一日眺める。カウンターで用が済めば立ち上がりさえしない。ドアを開けて入ってくれば、いらっしゃい、くらいは声をかけ微笑むことだけは気をつけていた。
葉巻の彼にはツレがいることが多かった。ツレの男も、この島では知らぬ者はいないだろうという有名人。名前はカクというらしい。彼らは気が合うらしく、二人で笑いながらやってくることが多かった。ただ、商品を買い求めるのはもっぱらパウリーの方で、カクは毎回物珍しそうに色々眺めるわりに、パウリーの会計が終わるとすべての興味を失うようだ。パウリーの買い物は路地に面したカウンターで済むことが多く、彼らが店内に足を踏み入れることはない。でも、カウンター越しに彼らの話がちょっと聞こえるのは、結構いい時間だった。賑やかだけどうるさくない。そんな感じ。
「また懲りずに……」「おれの金だ」「借金しとるやつの台詞じゃないじゃろ」「これで一発当てて返すんだよ」「お主、まさかそこまで……」「お前、『アホかこいつ』って顔に書いてあんだよ!」
ウカはこういうとき、レジ作業でもする振りをして、彼らの背景であろうと努めていた。会話には決して加わらない。吹き出したりもしない。でもそっと、彼らを盗み見るようにする。ときたま、カクとだけちらりと目が合い、瞬間、ばつが悪い気持ちになるが、謝るのも違う気がして結局言葉を交わすことはない。そういう日々だった。
『パウリー』が店に来なくなって二週間が過ぎた。もちろんツレの彼も。理由は、近所の店の店員でしかないウカには知る術もない。常連の客がふっと顔を見せなくなるのはよくあることだ、と祖母も言っていた。客を無理矢理引っ張っては来れない、待つしかないね、と。わかってはいるが、来ないとなんだか拍子抜けだ。無駄かもしれないのに葉巻の在庫を確認してしまう。『パウリー』が来なければ、『カク』も来ない。当たり前のことだ。肩肘をつきカウンターから眺める往来は、店内の暗さも相まってスローシネマの風情がある。そのため睡魔に襲われやすい──……。
「いつもの」
声というより音に反応して、ウカははっと顔をあげる。店の外、つまりカウンター前ではない。声がしたのは店内だ。椅子をガタつかせながら急いで振り向くと、そこにいたのはカクの方だった。
「い、いらっしゃいませ。すみません」
カクはウカのうたた寝には触れず、商品棚をざっと見回し、煙草が並ぶ列に視線を止めた。
「パウリーの使いでの。パウリー、知っとるか?あいつの『いつもの』はこれ、かの?」
カクはウカに顔を向けることなく、左手をポケットに入れたまま右手の人差し指で商品棚の煙草を指差した。ぎこちない手つきで示すそれは生憎違う銘柄だ。
「ただいまお持ちします」
彼らはここのところ顔を見せないから、と奥にしまっていたのだ。奥からパウリーがいつも吸う葉巻を取って戻ってくる。カクはこの店で唯一光が差し込むドアを背にしており、ウカのほうを向いていたが、逆光で表情がわかりづらかった。ありがとう、の声音でなんだか安心した。値段を告げ、紙幣を受け取り、釣りを渡す。すべてが初めてのことだったが、それももう終わる。
「ありがとうございました」
カクは葉巻を片手に、店のドアを押した。店の入口は長身のカクには少しだけ低く、屈むように腰を曲げた。カクはそこでちらりと、ウカを振り返る。
「……を」
店内には外の喧騒が届かず、いつも静かなはずなのに、その声はウカに届かなかった。ウカは迷って、聞き返す。
「なにか……?」
「名前を」
なまえ、を。
「聞いてもいいじゃろうか?」
私の?
カクは自らの畏まった問いに照れているようで、音のしない店内でそのままかき消えてもおかしくなかったが、ウカの耳は今度はしっかりとその問いをとらえた。ウカは戸惑いながらも、わずかに頬が緩む自分に気づく。
「──ウカ、です」
「ウカ。そうか。パウリーに尋ねても、知らんというから」
あの役立たずめ、とカクは肩を竦め店を後にする。あっという間だった。滅多に鳴らないドアベルの音だけが残る。
彼はまた一人でも来るだろうか。名前を聞かれた、ただそれだけのことだったが、なんとなく彼はまた来るような気がして、ふと気になってドアのガラスを磨いてみる。
今度は私も彼の名前を呼んでみようか、と思いながら。磨いたガラスは一層──。
おしまい