HOMETEXT .

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あのとき泣きたかった もう今更 #カク #カリファ

 震える身体を両の手でひしと抱き、押さえた。大声をあげてしまいそうになるから唇を噛んだ。何も見たくない、と目を閉じた。それからゆるゆると膝を折ってへたり込む。
 自分の周りは、真っ赤で生温かく生臭く。まずは肺から侵されていく。息もしたくなかった。生きたくなかった。



 最近、夢見が悪い。誰が出てくるでも、何が出てくるでもなく、ただ真っ赤なのだ。声どころか音すらしない。何の姿も見えず、でもそこに『恐怖』だけがいる。こんな夢は初めてだ。ストーリーもなにもない。視界がすべて赤一色で、飛び起きる頃には言いようのない恐怖に苛まれているのだった。

「癪に障るのう……!」

 部屋で一人、そう呟いて毛布を引きはがす。いやな汗が肌にまとわりつき、シーツがじっとりと濡れ、気持ちが悪い。張り付くような喉を潤したくて、コップに水をなみなみと注いだ。一気に飲み干して、ぷはと息を吐く。さすが、と言っていいのか、水の都の水は妙にうまかった。いま飲んだ透きとおった綺麗な水が、身体に救う怯えをすべて拭い去ってくれればいいのにと心から願った。



「ッ……!」

 らしくないミスと痛みにカクは顔を歪めた。
 金槌を自分の指に振り下ろすなぞ、職長らしからぬミスだし、カクらしくもなかった。側にいた若い職人も、珍しいですね、と驚きで目を丸くしている。
 金槌を持っていて無事だった方の手で、照れたふりをして頭をかいた。笑い話にしたくとも、釘と間違えた指はずきずきと断続的な痛みを脳に送ってくる。つい顔をしかめると、若いその職人は医務室に行くよう言ってきた。大したことない、と首を横に振るが、見てる方が痛いんで、と泣きそうな顔で言われると自分のせいである手前、強く出られない。
 追い立てられるようにやってきた医務室には生憎、医者も看護師もいなかった。ひどくがらんとした清潔感の漂う白さは、無性に圧迫感がある。さっさと手当てを済ませて戻ろう。無事だった利き手で救急箱を開け、湿布やら包帯やらを準備するが、やはり片手では思うようにいかなかった。

「くそ」

 つい悪態が口をついて出る。
 どれもこれも、全部夢のせいだ。イライラするのも、ぼうっとするのも、らしくないミスも、この痛みも全部。ここ最近、熟睡した覚えがない。二時間もしないうちに目が覚め、朝まで寝付けずにベッドの中で芋虫のように転がっている。朝方ようやく寝付けるかと思っても、もう遅い。
 ようやく見つけた氷を洗面器に張った水にぼちゃぼちゃと落としていく。氷はおそらくゆっくり水に戻っている。少しずつ増えているであろう洗面器の水をただ眺めた。
 怖い夢を見るから眠れないだなんて信じたくなかった。こんなこと仲間には、特にルッチに気づかれてはいけない。万一気づかれようものなら、ルッチのことだ。ゴミくずを見るような目でこちらを一瞥して、無言で自分を任務から外そうとするかもしれない。
 大体、怖いなど、そんな馬鹿な話があるものか。怖いものならこの目でたくさん見てきた。おぞましい声ならこの耳で。目を塞ぎたくなるような惨状も、耳を塞ぎたくなるような絶叫も。全部、たくさん。ありったけ。

「カク? どうしたの?」
「カリファ」

 珍しくパタパタと駆け込んできた彼女は、ドクターもナースも今は二番ドックに駆けつけてるから、と医務室の留守番を頼まれたらしい。彼女に呼ばれた自分の名は、懐かしく響いた。不思議と強張っていた口角が緩む。

「救急箱に、洗面器に氷に、包帯? 怪我でもしたの?」

 珍しいわね、と若い職人と同じ言葉を続けた。怪訝そうなカリファを安心させようと、赤く腫れあがった指をひらひらと振って、しょうもないミスをしたのだと説明する。彼女は目を吊り上げて

「そんなに動かしちゃだめよ。貸して」

 と氷を張った洗面器に布巾を沈め、ぎゅっと絞る。ようやくカクが準備したかった冷湿布が完成した。脈打つように痛む患部にあてがうと少し痛みが和らぎ、思わず安堵の息を吐いた。

「パウリーじゃあるまいし」
「あやつは忙しないからのう」

 言いながら彼の仕事ぶりを思い出すと、自然と口角が上がる。書類仕事はさっぱりで、しょっちゅう総務に小言を言われているが、やつの造る船は。

「そんなふうに笑わないで」
「え?」
「そんな、諦めたみたいな。ひとりぼっちみたいな」
「なんじゃそれ」
「だって、あのときみたいで」
「あのとき」
「初めての、後」

 言い淀んだカリファの言葉には、特定に必要な情報は何も含まれていなかったのに、カクは即座に思い至った。初めて、人を。
 記憶が再構築されていく。
 震える身体を両の手でひしと抱き、押さえた。大声をあげてしまいそうになるから唇を噛んだ。何も見たくない、と目を閉じた。それからゆるゆると膝を折ってへたり込む。
 自分の周りは、真っ赤で生温かく生臭く。まずは肺から侵されていく。息もしたくなかった。生きたくな──。
 ふわ、と香った柔らかくてほのか甘い香りと、両肩にそっと、でも確かに添えられた手の感触に、ぎゅっときつく閉じていた目を開けると、床に膝をついたカリファが目の前にいた。座り込んだ自分と同じ目の高さで自分を見つめている。カリファの瞳にうつる自分は、カリファに見つめられて呆けている。

「さすがに、もう泣かないわね」
「はあ?」
「だって、あのときのあなたは泣いたの。辛そうなのにずっと笑っているから見ていられなかった。でもあるとき、急に座り込んで動かなくなってしまって。どうしていいかわからなくて思わず抱きしめたら、わって泣き出して」

 さすがにもう大人だし、前みたいに抱きしめるのはどうかと思って様子を見ていたのよ、と言いながら立ち上がったカリファに、さっぱり覚えてないのう、と座ったまま答えておいた。

「その方がいいわ」

 カリファが新しい冷湿布を準備しているのを横目に、カクはゆるゆると立ち上がった。
 覚えていないのは半分本当だ。本当に記憶になかった。が、思い出した。あのとき、カリファにひしと抱きしめられて、真っ赤だった色が少し暗くなって、そして柔らかくなって、ただの瞼の裏の色になったのを。少女だったカリファの高い体温で、強張った身体がほぐれ、噛んでいた唇から力が抜けていったのを。

 カクはゆっくり息を吐く。
 止まっていた血液が、また流れ出した気がした。

おしまい

二次創作,長編・連作,ONEPIECE,水の都で過ごした 2670字 No.96 

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