HOMETEXT .

名前変換登録:苗字 名前
苗字:
名前:  

空欄に泣く#カク

それはカクが私をずっと前から監視していたことを示す証拠にしか見えなかった。

空欄に泣く

 別れよう。
 そのカードがポストに入っていることに気づいたのは、前代未聞の被害をもたらしたアクア・ラグナが去って数日後だった。幸い自宅は浸水しなかったけど、実家や会社はまあまあ被害が大きかったのでバタバタしていて、ポストを確認するのを忘れていたのだ。そもそも郵便配達はまだ復旧していなかったし、その状況でたまたまポストを開けたのは普段の習慣に他ならない。
それには切手も貼られてなかったから、カクが自分でこのポストに入れに来たんだろうとわかった。タイミングからいって恐らく、私がアクア・ラグナから避難している最中だ。外道、以外何があるだろう。
 え、『別れよう』ってなに? 普段はおじいちゃんみたいな話し方してるくせに。なに手紙だと改まってんの? そこは貫いてよ。いや、手紙って言えるほどのものじゃないけどね? これ。いや、そうじゃなくて、なに。ほんと、これ。なに?
 瞬間、カードをぐしゃりと握りしめ駆け出していた。なんなの? カクが書いたの? 本当に? なんで? こんなふうに別れることってあるの? 手紙ではいさよなら、って。一年! 一年付き合ってこの程度? だって、なんで? なんで? 色んなハテナが浮かんで消えて、また浮かぶ。迫りくるたくさんの『なんで』に押しつぶされてしまいそうで、振り切るような気持ちでガレーラカンパニーへ続く石畳を蹴り飛ばし続けた。

 辿り着いた一番ドックの大扉前では、腰回りに何本もの工具をぶら下げた数名の職人が、紙束を片手にあれこれ相談を重ねているようだった。まだ午前中だというのに服は泥だらけだ。街にはまだ瓦礫が多く残っている。復旧作業の段取りをつけているのだろう。ぜえはあと肩で息をしながら、吸えた少しの息で出せるだけの大声を出す。
「カクッ、はどこ!」
「おわっ! ウカさん!? え、カクさん?」
 声に驚いた職人は私とカクの名を呼び、え? なんで? どうした? と問うだけで、肝心の答えがもらえない。そんなのこっちが聞きたいのに。もう一度カクの居場所を問おうと息を吸ったその時──
「カクは里帰りだ」
 パウリーが包帯だらけの姿で現れた。パウリーさん! 寝ててください! と職人たちが慌てふためき、うるせえ! とパウリーが一喝する。普段なら彼の包帯の理由を根掘り葉掘り問いただすところだが、今日はそれどころではない。
「さと、がえり?」
 職人たちがほんの一瞬、顔を見合わせるが、睨み続けると沈黙に耐え切れなくなった職人の一人が口を開く。
「そ、そうらしいですよ。おれらも詳しいことは知らなくて」
 ウカさんが知らねえってことも知らなくて、と言葉尻はどんどん萎んでいった。
「つまり、カクは。もうここにいないの?」
「ええ、そうです」
「この島にも、いない?」
「おそらく」
 なんだそれ。
 拳をぎりぎりと握りしめると、カードがこれ以上はもう無理というところまで圧縮されさらに細くなった。爪が手のひらに食い込む。
 怒りの発散どころはまるで見つからず、怒りは募り膨らむばかりだ。
「あ、パウリーさん! ちょうどよかった。カクさんの私物、どうします?」
 ドックの奥からパウリーを見つけた職人がそう声をかけてきた。
「お前ッ! ばか!」
「カクの私物?」
 私が聞き返すと、ばか、と怒鳴られた若い職人は、それを自分への罵倒と受け取らなかったのか、状況が良くわからなかったのか、とにかくすらすらと説明を始めた。
「ああ。会社のロッカーとかデスクに置いてたやつです。つっても、カクさん、そんなに私物置くタイプじゃなかったし、もう箱に詰めてあったんですけどね。火事で焼けちゃったかと思ってましたけど、残ってたんですよねえ」
 彼の抱えていた箱は彼の言うとおり小さかった。パウリーはちっと舌打ちして、私の方は見ないようにしながら、後で指示するからひとまず戻れと職人を手で追い返す。
「まって」
 パウリーの業務命令に待ったをかけたのは私だ。
「私が引き取るよ。処分しておく」
「おい、そりゃあ」
「いいよ。大丈夫。カクが面倒かけてごめんね」
「助かります」
 パウリーは何も言わなかった。言わないでくれた。
 空気の読めない職人から受け取った箱は想像よりずっと軽くて、なんだかそれは、カクの残していった思いの量にも思え、やっぱり腹が立った。

 カクの部屋への道中、箱の中身は箱に何度もぶつかりガタガタと音を立てる。荷物をまとめた職人が言うように、大した量ではないのだろう。今歩いているこの道は、カクと並んでよく歩いた。今はまだ水が引いていないところもあり、気をつけないと水たまりを踏むことになる。抱えていた箱のせいで視界が悪く、私は何度も水たまりを踏んだ。断じて涙で滲んだ視界のせいではない。
 見慣れたドアの前で取り出した鍵はやけに冷たく感じた。開けて、薄暗い部屋に入ること思うとしんどい。それでも開けるしかない。ちょっと押すだけでドアは簡単に開いた。微かにギィ、と音がしただけで、あとはしんとしている。
 いつもなら、ダイニングテーブルには何枚もの設計図が広がっていたし、キッチンにはりんごとかバナナとかの果物とか買い置きのパンが置いてあった。椅子にはカクの上着がかかってたりしたし、ベッドの上にはとりあえず取り込んだ洗濯物が詰まれてたりした。
 もう、違う。
 ダイニングテーブルの上にもキッチンにも何もない。カクの上着も洗濯物も全部。小脇に抱えていた箱をダイニングテーブルの上に置いて、目についた食器棚を開ける。ぽつんと残っていたのは、マグカップだった。カクとおそろいで買ったマグカップ。心臓が潰れるかと思った。
 二人で選んだ形。色は真っ白じゃない、乳白色。カクの部屋で過ごすときは、水も白湯も、コーヒーも紅茶も牛乳も全部それで飲んだ。同じマグカップだったけど、上から見るとちょっとだけ丸がいびつな方があって、まん丸の方が私の。そう決めていた。
 わざわざこんなふうに置いていくくらいなら、捨てればよかったのに。唇をぎりぎりと噛む。他にも、と思い棚を片っ端から開けると、私の着古したTシャツや貸しっぱなしになっていた本などがマグカップと同じように律義に置いていかれていた。
 部屋の物は徹底的に処分しておきながら、会社に置きっぱなしの私物はどうして処分しなかったのだろう。整理はしていたようなのに。このまま怒りに任せて、中を改めず箱ごと処分しても良かったのだが、どうしてもそうはできなかった。だって、中に何が。
 箱を開けながらダイニングチェアに腰かけて、あ、と思う。がたついていた椅子。以前私が座って、ぐらつきに驚いて、変な声が出て──。今日はぐらつかない。いつの間にか直したんだ。この部屋では、どうあがいても思い出が付きまとう。

 箱を開けると、気のせいか焦げたような匂いがした。焼けずに済んだ、と言っていたが、焼けかけたのかもしれない。中には使い込まれた腰道具一式や皮手袋、メモ帳と赤鉛筆が数本。それから──紙束と写真? なんだろうと箱の底から引き抜いたそれは創立三周年記念に社員全員で撮った集合写真だった。私の顔に丸がつけてあり、写真の裏には走り書きでこう書いてあった。──No.9 ウカ
 目を疑った。背筋がじわりと冷え、汗がつう、と伝う。足先からぶるっと震えが伝わってくる。これは、なに。一緒に束ねてあった紙束を慌てて引っ掴み、上から順に捲っていく。
 そのメモには、日付とあわせて私の短い行動記録のようなものが綴られていた。去年の三月から始まっている。主に平日の朝と夜、そして休日。メモは何かの下書きみたいで、赤でチェックが入っていたり、線が引いてあったりした。
 ──三月九日、調査開始。自宅を出るのは朝八時頃。昼食を買ってから出勤。勤務終了後はまっすぐ自宅に帰ることが多い。交際相手なし。報告済み。
 ──三月十五日。休日はタオルケットとシーツを洗うのがルーティーンのよう。自宅近くの商店街が行きつけ。頻度は多め。一日おき。報告済み。
 ──三月二十八日。勤務終了後、同僚と会食へ。送別会。女性三人。報告済み。
 ──四月一日。花屋に立ち寄り花を一輪買い求めていた。店員は女性。報告済み。
 ──四月七日。職場で出入りの業者と親し気に話していた。業者は男性。既婚者。愛妻家と評判。報告済み。
 私とカクが付き合い始めたのは、去年の夏。その少し前から、ちょいちょい話しかけられるようになって、ある時、一番ドック内で顧客の海賊に絡まれそうになったところをカクが助けてくれて、それで。お礼にクッキーをあげて。そしたら、カクから告白されて、付き合った。つい二日前まで。
けどこれは? これは、明らかに『たまたま私を見かけたからメモした』の域を超えている。カクは私に告白するずっと前から、私を観察してたってこと? 調査? 報告? なんのために? 急に怖くなって、箱の中身を全部ひっくり返した。部屋に残っている物も全部かき集めてダイニングテーブルに集める。似たようなメモがまだあるんじゃないか。何か、このメモを説明してくれる他の何かが。
 でも部屋は、磨き上げられたように埃ひとつ残っていない。マグカップやTシャツや本は、そんな部屋に取り残されていたのだ。これら以外、この部屋からは何も見つからなかった。どうしよう、どうしよう。これ以上、知らないカクを知るのは怖い。今朝知ったばかりだが、『別れ話を一行で済ませようとする男』だって、私の知らなかったカクなのだ。これだけで精いっぱいだったのに。
 カクは──よくわからないけど、私に近づく必要があったのかもしれない。これはその下調べに見える。そして、これは絶対にガレーラカンパニーの仕事じゃない。探偵とか、そういう、別の。
 私は私の知っているカクを探して、さらにメモをめくった。
 ──四月十八日。金曜は家を出るのが遅れがち。疲れが出るのか?
 ──四月二十二日。今日は浮かない顔で帰宅していた。上司のミスのしりぬぐいに追われたらしい。気の毒。
 ──五月一日。酒場で友人の愚痴を聞いてやっていた。泣き出す友人の背中をそっと擦っていた。報告済み。
 ──五月十三日。新人を連れてミスを謝りに来た。倉庫脇で新人を励まし、慰めていた。部下思い。報告済み。
 ──五月十六日。珍しく専門店でチョコレートを買って帰った。高そうでうまそう。
 ──五月十七日。まだ寝ていた。新人の世話はやはり負担が大きいのかもしれない。
 あれ? なんか。
 メモをめくれば捲るほど『報告済み』という言葉が少しずつ無くなり、代わりにカクの感想みたいな記述が増えてきた。
 ──五月二十一日。急な高温。熱中症気味になり医務室に運ばれたらしい。様子を見に行くか迷い、やめる。
 ──六月二日。帰宅時間ちょうどに豪雨。傘を持っていなかったようでびしょ濡れになりながら走って帰っていった。
 ──六月三日。風邪をひいて寝込んでいた。何も出来ず。
 ──六月五日。回復したらしく出勤していた。良かった。
 ──六月六日。デスクに菓子を置く。快気祝い。
 これ、覚えてる。
 私がいない間にデスクにお菓子があって、隣の新人さんに聞いたら、職人さんがたくさんあるからお裾分けだって持ってきてくれましたって言ってたやつ。あのとき、誰から、とは聞かなかった。
 ──六月十六日。声をかけてみる。怪しまれてはいない。多分。
 ──六月二十五日。夜分、男性が家を訪ねてきた。至急確認。
 ──六月二十八日。親族だった(六月二十五日追記)
 ──七月八日。海賊に絡まれそうになっていたので慌てて引き離す。騒ぎがおさまった後、しこたま礼を言われた。
 ──七月十四日。この前のお礼だとチョコレートをもらう。前も買っていた専門店のもの。うまい。
 続きはなかった。この後、カクに告白されたんだ、と気づく。私と付き合ってからの記録は一切なかった。捲っても捲っても白紙が続く。
 いつだったか、カクに聞いたことがある。『いつから私のこと好きだったの?』。私がカクを好きになったのは、ベタだけど海賊から助けてもらったあの日だったから私はすぐ答えられた。でもカクは、いつじゃろうなあ、とそれ以上言わなかった。
 今わかった。少なくともカクは、私が意識するよりずっと前から私を気にかけていた。初めは絶対恋じゃなかった。でも、いつからか──。
 どうしよう、全然わかんないよ。
 カクに会いたい。カクに話を聞きたかった。この紙束を突きつけて。説明してって、泣きわめきたい。『別れよう』の前に、まず先に。
でも無理だ。里帰りなんて、私はカクの故郷も知らない。正確には、教えてもらえなかった。親御さんはずいぶん昔に亡くなってる、それしか教えてもらえなかった。紙束が零れる涙でどんどんふやけていく。文字が滲んでもどうでも良かった。もう、どうでも。
 ダイニングテーブルに広げた物を、どさどさと箱に投げ入れる。腰道具も、皮手袋も、鉛筆も、紙束も。ついでに私のTシャツや本も突っ込んだ。どうせ持って帰ったって思い出すだけだ。それならいっそ。全部捨ててやるんだ。
 こんな時でも、マグカップはさすがに割れる、と一瞬冷静になってしまった私は、それを手にとって呆けてしまった。
 あれ。
 このマグカップ。私のじゃない。
 上から見るとちょっとだけ丸がいびつな方──カクのだ。なにそれ。間違えた? まさか。だってあんなに。カクは一回も間違えなかった。
「わっかんないなあ」
 私は愚かでちょろくて、これだけでまだ少しカクを信じてしまう。まだ少し。ほんの少しだけ。

おしまい

夢小説,短編,ONEPIECE,水の都で暮らしたら 5654字 No.105 

Powered by てがろぐ Ver 4.7.0. Powered by Charm.js