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カテゴリ「ONEPIECE」に属する投稿[107件](8ページ目)
ぜんぶおそい #カク #カリファ
『自分で言ってよ!』
ぜんぶおそい
「何を考えている」
組んだ腕を枕に、奪った海賊船の甲板に寝転びながら、目を閉じて彼女の最後の言葉を反芻していたところ、ルッチの低い声が響いた。思い出していた彼女の声は、その姿と一緒にかき消されてしまう。仕方なく目を開けると、太陽を背にして蔑むようにこちらを見下ろすルッチと目が合った。逆光のせいで表情は読みづらいが、まあ、穏やかな表情でないことだけは確かだ。別に何も、と答えるとすぐに、あいつらのことだったら許さん、とさらに目を細めた。そうでなくても鋭い視線がいっそう鋭くなるので、片手を頭の下から出してきて、見せつけるようにひらひらとゆっくり振る。
「別に、何も」
ルッチは何か言いたげだったが、意外にもそのまま黙った。もちろん真っ赤な嘘だったが、ばれるはずがないし、ばれたって困らない。どうせルッチも同じだ。ルッチだって、水の都の彼に囚われているに決まっている。ルッチ自身がそうだから「あいつ」ではなく、「あいつら」なんて言うのだ。次に何か言われたら、あの距離で急所を外す男に言われたくないのう、とでも言ってみようか。……少なくとも今、海の上ではやめておこう。船が壊れるに決まっている。
自分たちのやりとりを聞いていたカリファは、小さなため息をついて船内に戻ってしまった。ルッチも舌打ちをしながらそれに続いて、甲板にはカクだけになる。気を取り直して、今度は空を見る。あいにく、天気は上々。突き抜けるような高さの空だった。この調子なら、我らが故郷、グアンハオにも問題なく着くだろう。セント・ポプラからグアンハオまではそう難しくない航路のはずだ。
ルッチの療養のため滞在したセント・ポプラは、滞在中ずっと鬱々とした雨が続いていた。それが今日、ようやくの快晴だったのだが、カクの心はそれほど晴れはしなかった。好天にまるで似合わない、喉から血が出るのではと思うほどの必死な、切なる声が、耳にこびりついて離れない。
『連れていくから! 待ってて!』
待つつもりだった。彼女の叫びに右手を上げて答えたのは、嘘じゃない。嘘じゃなかったのに。
待てなかった。海賊を倒すためとはいえセント・ポプラの町をだいぶ騒がせてしまった。あの場にとどまっていては海軍と鉢合わせただろう。自分たちは世界政府から追われている身。捕まらないためには、あのタイミングで出航せざるを得なかった。そうやって言い訳したくても、もうきっと二度とできない。今度ばかりは本当にもう。
思えばそんなことばかりだ。今日の出航はやむを得なかったからだし、病院で弱音を吐いたのはついうっかりだし、あの人ごみの中、わざとすれ違ってみたのは賭けだった。誕生日を教えてみたのはたまたまだし、避難所で抱きしめたのは魔が差したからだし、おもちゃの指輪は気まぐれだ。あれも嘘、これも偽り、それも出鱈目。そんなことをしているうちに、だんだん何が本当なのか自分でもわからなくなってきた。
彼女の笑顔と泣き顔が、からまって、もつれて、まとわりつく。
これじゃあルッチを責められない。
「日に当たり過ぎたら良くないわ」
カリファがどこから見つけてきたのか、甲板のど真ん中に大きくて派手なパラソルを咲かせて、カクの上半身はすっぽり影におさまった。カリファが影の中に腰を下ろしても余裕がある。波の音が少しだけ聞こえにくくなり、代わりにカリファの声がよく聞こえる。
「お願いだから、あんまりルッチを刺激しないでよ」
カリファがやれやれとでも言いたげに肩を竦めるので、負けじと言い訳する。
「わしは何もしとらんじゃろ。ルッチが勝手にピリピリしとるだけじゃ」
「あなたも十分してるわよ」
カリファの呆れ顔は心外だったが、ここでむきになるほど子供ではないので黙っていた。カリファを無視してもう一度目を閉じ、彼女とした最後の会話を思い出す。瞼の裏で思い出せたのは別れの言葉と、パウリーへの礼。そこで、はたと気づく。そうか、自分は最後までパウリーのことしか言えなかったのか。今更気づいて歯がゆく思う。せめて彼女にも礼を言えたら。
「あなた、なんで『好きだ』って言わなかったの?」
「はァ!?」
カリファのとんでもない言葉で思考を邪魔され、飛び上がるように体を起こし、反射できっと睨んだ。だが、カリファは動じない。ゴシップを楽しむような下世話な風情を隠そうともせず、薄ら笑いをはりつけながらこちらを見つめてくる。手入れの行き届いた長い金髪がはらりと肩から落ちて揺れた。
「ウカちゃん、だっけ? パウリーの幼馴染」
口にするどころか、心の中でさえ呼ぶことを躊躇っていた名前を、カリファがあっけなく声にするので一瞬、返事に詰まる。カリファはそんなカクのことなどお構いなしだ。
「あなたは彼女のこと、好きなんだと思ってた」
「好、きってまあ……別に、嫌いじゃなかったがの」
好きとてらいなく括られると途端むず痒くなり、歯切れが悪くなるのが自分でもわかった。気恥ずかしくて、つい目を逸らす。ちらりと盗み見ると、カリファはカクの返答が気に食わなかったようで、「へえ」とつまらなさそうに髪をかき上げる。
「一緒にパウリーの誕生日プレゼント選んでもらって、お礼なんてかこつけて指輪まであげちゃって。避難所だって勝手に行ったくせに暗い顔で戻ってくるし。そうかと思えば、セント・ポプラじゃわざと見つかりにいったり、ぐちぐち弱音を聞いてもらったり、ルッチの退院を教えてあげたりしてたのに」
「見てきたかのように言うのう!?」
たまらず抗議の声だけはあげてみるが、頭が、顔が、頬が、耳が、熱くなっていくのがわかった。行動が筒抜けなのは構わないが、それを逐一言葉にするのは勘弁してほしい。「『好き』なんて言う意味ないじゃろ」と苦し紛れに言うと、くすくすとからかうような笑みを浮かべていたカリファが一転、眉を下げて下唇を噛んだ。何事かと続く言葉を待つと、カリファが申し訳なさそうに口を開く。「好きって言いたかった?」と。
「何が言いたい?」
カリファの表情の理由も、そう聞く意図も分からず、質問に質問を重ねる。カリファは少しだけ空に視線を彷徨させ、すっと目を伏せると、甲板に色濃くあるパラソルの影をじっと見つめた。
「あなたが恋をしてると思ったら、嬉しかったの」
カクは意味が分からずそのまま黙り、カリファは続けた。
「あなたが、あの街でちゃんと生き生きしていたのは、安心したのよ」
「生き生き、とは心外じゃの。任務はちゃんとこなしたじゃろ」
五年の任務を楽しんだかのように言われた気がして、不服そうに声を上げるとカリファは「そういう意味じゃないわ」と首を忙しなく横に振った。
「あなたは優秀だし、才能もある。何より任務にとても忠実だった。それは重々、痛いほどわかっているわ」
カリファがカクをまっすぐ見て「でも、だからこそ言ってあげればよかった」と額に手を当てる。
「あなたは恋をしても良かったの。たとえ別れが決まっていても、怖がらずに、好きなら好きと言ってよかった」
言うだけなら、とカリファが沈んだ様子で、ぽとりとつぶやく。大きな湖面に小さな葉が一枚着水して、波紋が音もなくゆっくり広がるかのようなさりげなさだった。言うだけなら、よかった。
「でも、もう遅いわよね。ごめんなさい」
カクがウカに「好きだ」と言えなかったのは、自分のせいかもしれないと己を責めているカリファが不思議だった。言ったところで、今より状況が良くなるとは思えない。これがベスト。カクはずっと自分に言い聞かせている。
「仮に『好きだ』なんて言っとったら、任務は失敗したかもしれんぞ」
「あなたがそんなへまするわけないわ」
「随分信頼されてるようじゃが、お生憎様」
でもそうかあれは。
「そもそも恋なんて知らんよ、わしは」
恋と呼んでも良かったのか。
カクはばたりと仰向けに倒れ、顔を両手で覆う。頬がいまだ冷めないのは日に当たったせいだ。恋じゃない、恋じゃない、と口には出さずに頭の中で何度も唱えた。
「じゃから、謝ってもらう必要なんぞないのう。はあ、グアンハオにはまだ着かんのか?」
だって今さら恋など、自覚したところで。
おしまい
『自分で言ってよ!』
ぜんぶおそい
「何を考えている」
組んだ腕を枕に、奪った海賊船の甲板に寝転びながら、目を閉じて彼女の最後の言葉を反芻していたところ、ルッチの低い声が響いた。思い出していた彼女の声は、その姿と一緒にかき消されてしまう。仕方なく目を開けると、太陽を背にして蔑むようにこちらを見下ろすルッチと目が合った。逆光のせいで表情は読みづらいが、まあ、穏やかな表情でないことだけは確かだ。別に何も、と答えるとすぐに、あいつらのことだったら許さん、とさらに目を細めた。そうでなくても鋭い視線がいっそう鋭くなるので、片手を頭の下から出してきて、見せつけるようにひらひらとゆっくり振る。
「別に、何も」
ルッチは何か言いたげだったが、意外にもそのまま黙った。もちろん真っ赤な嘘だったが、ばれるはずがないし、ばれたって困らない。どうせルッチも同じだ。ルッチだって、水の都の彼に囚われているに決まっている。ルッチ自身がそうだから「あいつ」ではなく、「あいつら」なんて言うのだ。次に何か言われたら、あの距離で急所を外す男に言われたくないのう、とでも言ってみようか。……少なくとも今、海の上ではやめておこう。船が壊れるに決まっている。
自分たちのやりとりを聞いていたカリファは、小さなため息をついて船内に戻ってしまった。ルッチも舌打ちをしながらそれに続いて、甲板にはカクだけになる。気を取り直して、今度は空を見る。あいにく、天気は上々。突き抜けるような高さの空だった。この調子なら、我らが故郷、グアンハオにも問題なく着くだろう。セント・ポプラからグアンハオまではそう難しくない航路のはずだ。
ルッチの療養のため滞在したセント・ポプラは、滞在中ずっと鬱々とした雨が続いていた。それが今日、ようやくの快晴だったのだが、カクの心はそれほど晴れはしなかった。好天にまるで似合わない、喉から血が出るのではと思うほどの必死な、切なる声が、耳にこびりついて離れない。
『連れていくから! 待ってて!』
待つつもりだった。彼女の叫びに右手を上げて答えたのは、嘘じゃない。嘘じゃなかったのに。
待てなかった。海賊を倒すためとはいえセント・ポプラの町をだいぶ騒がせてしまった。あの場にとどまっていては海軍と鉢合わせただろう。自分たちは世界政府から追われている身。捕まらないためには、あのタイミングで出航せざるを得なかった。そうやって言い訳したくても、もうきっと二度とできない。今度ばかりは本当にもう。
思えばそんなことばかりだ。今日の出航はやむを得なかったからだし、病院で弱音を吐いたのはついうっかりだし、あの人ごみの中、わざとすれ違ってみたのは賭けだった。誕生日を教えてみたのはたまたまだし、避難所で抱きしめたのは魔が差したからだし、おもちゃの指輪は気まぐれだ。あれも嘘、これも偽り、それも出鱈目。そんなことをしているうちに、だんだん何が本当なのか自分でもわからなくなってきた。
彼女の笑顔と泣き顔が、からまって、もつれて、まとわりつく。
これじゃあルッチを責められない。
「日に当たり過ぎたら良くないわ」
カリファがどこから見つけてきたのか、甲板のど真ん中に大きくて派手なパラソルを咲かせて、カクの上半身はすっぽり影におさまった。カリファが影の中に腰を下ろしても余裕がある。波の音が少しだけ聞こえにくくなり、代わりにカリファの声がよく聞こえる。
「お願いだから、あんまりルッチを刺激しないでよ」
カリファがやれやれとでも言いたげに肩を竦めるので、負けじと言い訳する。
「わしは何もしとらんじゃろ。ルッチが勝手にピリピリしとるだけじゃ」
「あなたも十分してるわよ」
カリファの呆れ顔は心外だったが、ここでむきになるほど子供ではないので黙っていた。カリファを無視してもう一度目を閉じ、彼女とした最後の会話を思い出す。瞼の裏で思い出せたのは別れの言葉と、パウリーへの礼。そこで、はたと気づく。そうか、自分は最後までパウリーのことしか言えなかったのか。今更気づいて歯がゆく思う。せめて彼女にも礼を言えたら。
「あなた、なんで『好きだ』って言わなかったの?」
「はァ!?」
カリファのとんでもない言葉で思考を邪魔され、飛び上がるように体を起こし、反射できっと睨んだ。だが、カリファは動じない。ゴシップを楽しむような下世話な風情を隠そうともせず、薄ら笑いをはりつけながらこちらを見つめてくる。手入れの行き届いた長い金髪がはらりと肩から落ちて揺れた。
「ウカちゃん、だっけ? パウリーの幼馴染」
口にするどころか、心の中でさえ呼ぶことを躊躇っていた名前を、カリファがあっけなく声にするので一瞬、返事に詰まる。カリファはそんなカクのことなどお構いなしだ。
「あなたは彼女のこと、好きなんだと思ってた」
「好、きってまあ……別に、嫌いじゃなかったがの」
好きとてらいなく括られると途端むず痒くなり、歯切れが悪くなるのが自分でもわかった。気恥ずかしくて、つい目を逸らす。ちらりと盗み見ると、カリファはカクの返答が気に食わなかったようで、「へえ」とつまらなさそうに髪をかき上げる。
「一緒にパウリーの誕生日プレゼント選んでもらって、お礼なんてかこつけて指輪まであげちゃって。避難所だって勝手に行ったくせに暗い顔で戻ってくるし。そうかと思えば、セント・ポプラじゃわざと見つかりにいったり、ぐちぐち弱音を聞いてもらったり、ルッチの退院を教えてあげたりしてたのに」
「見てきたかのように言うのう!?」
たまらず抗議の声だけはあげてみるが、頭が、顔が、頬が、耳が、熱くなっていくのがわかった。行動が筒抜けなのは構わないが、それを逐一言葉にするのは勘弁してほしい。「『好き』なんて言う意味ないじゃろ」と苦し紛れに言うと、くすくすとからかうような笑みを浮かべていたカリファが一転、眉を下げて下唇を噛んだ。何事かと続く言葉を待つと、カリファが申し訳なさそうに口を開く。「好きって言いたかった?」と。
「何が言いたい?」
カリファの表情の理由も、そう聞く意図も分からず、質問に質問を重ねる。カリファは少しだけ空に視線を彷徨させ、すっと目を伏せると、甲板に色濃くあるパラソルの影をじっと見つめた。
「あなたが恋をしてると思ったら、嬉しかったの」
カクは意味が分からずそのまま黙り、カリファは続けた。
「あなたが、あの街でちゃんと生き生きしていたのは、安心したのよ」
「生き生き、とは心外じゃの。任務はちゃんとこなしたじゃろ」
五年の任務を楽しんだかのように言われた気がして、不服そうに声を上げるとカリファは「そういう意味じゃないわ」と首を忙しなく横に振った。
「あなたは優秀だし、才能もある。何より任務にとても忠実だった。それは重々、痛いほどわかっているわ」
カリファがカクをまっすぐ見て「でも、だからこそ言ってあげればよかった」と額に手を当てる。
「あなたは恋をしても良かったの。たとえ別れが決まっていても、怖がらずに、好きなら好きと言ってよかった」
言うだけなら、とカリファが沈んだ様子で、ぽとりとつぶやく。大きな湖面に小さな葉が一枚着水して、波紋が音もなくゆっくり広がるかのようなさりげなさだった。言うだけなら、よかった。
「でも、もう遅いわよね。ごめんなさい」
カクがウカに「好きだ」と言えなかったのは、自分のせいかもしれないと己を責めているカリファが不思議だった。言ったところで、今より状況が良くなるとは思えない。これがベスト。カクはずっと自分に言い聞かせている。
「仮に『好きだ』なんて言っとったら、任務は失敗したかもしれんぞ」
「あなたがそんなへまするわけないわ」
「随分信頼されてるようじゃが、お生憎様」
でもそうかあれは。
「そもそも恋なんて知らんよ、わしは」
恋と呼んでも良かったのか。
カクはばたりと仰向けに倒れ、顔を両手で覆う。頬がいまだ冷めないのは日に当たったせいだ。恋じゃない、恋じゃない、と口には出さずに頭の中で何度も唱えた。
「じゃから、謝ってもらう必要なんぞないのう。はあ、グアンハオにはまだ着かんのか?」
だって今さら恋など、自覚したところで。
おしまい
夏という月日 #パウリー
そんなに泣くなよ。
夏という月日
ぎりぎりのところで乗り込んだ海列車の車内では、出発して間もなく、セント・ポプラに海賊が現れたため、安全が確保できるまで一時停泊する旨のアナウンスが流れた。
ウカはそれであんな電伝虫を……?
ウカのただならぬ様子に、事情も聞かず飛び乗った海列車だったが遅々として進まず、パウリーに苛立ちが募る。セント・ポプラに海軍が到着するのに、どれほど時間がかかるだろう。ウォーターセブンなら。いや、こちらも今はアクア・ラグナからの復興で手薄だ。それに、ルッチやカクも、もういない。
「くそ」
誰に言うでもなく、しいて言えば、彼らの顔を思い浮かべてしまった自分に毒づいた。
永遠にも思えたじれったい時間だったが、実際には三十分にも満たなかったようだ。もう鎮圧したのか? 早すぎる、と思ったが、タイミングよく近くを通りがかっていた海軍でもいたのかもしれない。真相はわからないまま、海列車は普段より四十分ほどの遅れでセント・ポプラに着いた。
セント・ポプラの駅に転がるように降り立ったら、ウカがおれを見た途端泣き出して何事かと思う。泣きじゃくってるせいでなんの説明も出来ないウカは、あろうことかそのままおれの手を引いて歩き出した。
「おいっ! どうした? 海賊が暴れてるってアナウンスがあったぞ⁉」
「う゛ぅッ……ごべん゛……、……っと待っ、で……」
おそらく「泣き止むから」と言いたいのだろうが、まったくその気配はない。仕方なく手を引かれるまま歩いていく。ウカは港の方へ向かっているようだった。泣きじゃくる女に手を引かれながら無言でついていくむさ苦しい男、という図だったが、町全体がざわついており、おれ達の異様さも目立たなかった。
町には、数日前に自分も嗅いだ「戦闘の匂い」が漂っていた。具体的には、血と硝煙の匂いだ。港に近づくにつれそれは濃くなっていく。そして、水をかけながらデッキブラシで道路を擦る人々が増えた。血を洗い流しているのだと分かった。
鎮圧に時間はかからなかったはずなのに。血が大量に流れていることへの違和感が膨れ上がる。慌ててウカをみやって、どこかから血が流れていやしないかと確認した。
「とにかく、お前。身体はなんともないんだよな? 怪我して痛ぇとかじゃねえんだよな?」
つむじの見える小さな後頭部に投げかけると、ウカはこくんと首を縦に振った。ほっとして息を吐く。
「それならいいんだ。気がすむまで泣いてりゃいい。気にすんな」
泣いていていい、と言われたウカは、嘘のようにしゅるしゅると泣き止んでいった。嗚咽がどんどん小さくなり、ずびずびと鼻を鳴らすようになって、すんすん言いながら、最後は鼻をかんだ。どうやら泣き止まねば、と焦っていたようだ。そして「また泣いて話せなくなったら、ごめん」と先回りする。
「いいよ。そのうち泣くのにも飽きるだろ」
ウカは今日初めて笑顔を見せた。力ない笑顔だった。
◆
港に着く頃には日が傾いていて、空は茜色になりかけていた。波は穏やかだったが、あちこちに戦いの名残を感じる。でも、ただそれだけだ。ウカがおれをここに連れてきて何をしたいのかは皆目見当つかない。適当な草むらに並んで腰を下ろす。ウカは膝を抱えて、水平線のさらに向こうに目を凝らしているようにみえた。
ウカは深呼吸を二、三度すると、きり、と何かを決意したような顔をおれの方に向けて信じられないことを言う。
「さっきまで、ルッチさんとカクさんが、ここにいたの」
「はあッ⁉」
つい出てしまった大きな声に、ウカはあっけなく眉を八の字にして膝に顔をうずめた。声はくぐもっていたが、ちゃんと聞き取れた。
「でも、もういない。あっという間に海賊を倒したと思ったら、その海賊船で出航しちゃったんだって。行先はわからない。私は駅にいて気がつかなくて、さっき知ったの。海賊に容赦がなかったから町の人がかえって怖がっちゃったみたいで。電伝虫は、二人に会える最後の機会だと思ってかけた。それなのにごめん。それに、今まで教えてあげられなくてごめん。間に合わなくて、引き留められなくて。本当にごめん」
ウカは息継ぎするように謝罪の言葉をはさんだ。
セント・ポプラでカクさんに会ったの。黙っていてごめん。すぐに教えなくてごめん。パウリーには知らせないで欲しいっていうカクさんの言うことをきいてしまってごめん。ルッチさんが入院していることを知らせなくてごめん。二人に会わせてあげられなくてごめん。ごめん。ごめん。ごめんなさい。
おれの顔は見なかったが、言い訳はひとつも言わなかった。
「あ、あー。ちょ、っと待て」
あいつらが、ここに、セント・ポプラにいた? いや、そもそも生きて、無事で、いたのか。
うっかり滲んだ涙をウカに気づかれないように拭った。追いつかない思考を少しでも整理したくて頭をわしわしとかき、そして、はた、と思い出す。
「片づけのとき、『会いたいか?』ってしつこく聞いたのは、これか?」
ウカの部屋の片づけを手伝った時、そういえばやけに聞かれたな、と記憶がよみがえる。その時は、なんとも思わなかった。ただ、もう二度と会えるわけないと思っていたから、真面目になんて考えなかったはずだ。おれはなんて言った?
改めてウカを見ると、ばつの悪そうな顔でこちらを見ていた。ウカは言いにくそうに、目を泳がせながら言葉を選ぶ。
「パウリーが会いたいなら、教えようと思った。でも、三人に何があったかわからなかったし、パウリーが会いたくないなら会わせたくなかった。でも」
視線を彷徨わせていたウカが、ぴたりとこちらに焦点を定めた。
「カクさんも、パウリーも、『あいつはおれに会いたくないはずだ』っておんなじ言い方するから、もうわかんなくなっちゃって」
「カクが、なんて?」
「『パウリーはわしらの顔なんか、見たくないはずじゃから』って」
「……そうか」
言うか言うまいか。二人を好いていただろうウカに、わざわざ知らせたくなかった。
だが、少し間を取って、結局こらえきれなかった。
「あいつら、おれを……騙してたらしくてよ。そんで、それがバレちまった時に『おれはお前らを仲間だと思ってた』って言ったんだ。けどよ、ルッチとカクには『お前だけだ』って言われちまって」
「はあ⁉ なにそれ!」
ウカはみるみる眉を吊り上げて顔を赤くし、瞬く間に怒りを爆発させた。さっきまで殊勝な顔をしていたくせに。ころころ変わる表情に、少しばかり安心する。
ウカは自分の膝を拳でドンドンと叩きながら、ほんっとに嘘ばっかり、と歯ぎしりするので、どういうことかと聞き返す。
「カクさん、ずっと言ってたの。自分たちは嘘つきだって」
「ああ、まあ。おれらを騙してたからだろ」
「違う。いや、そうだけど。そうじゃなくて。ずっと、自分たちは嘘つきだって言いながら『会いたくない』『パウリーとは友達じゃない』って言うんだよ」
「だからなんだよ」
「ばかみたい。わざわざ『今から嘘をつくぞ』って言ってから『会いたくない』なんて。そんなの『会いたい』ってことじゃない」
あ。
思ってすぐに、そんなことあるはずない、と打ち消した。ウカの熱弁は続く。
「本当に嘘をつきたいんだったら、そんな宣言しないで『仕方なかったんだ』『友達だ』『今でも仲間だと思ってる』『会いたくてたまらない』って言えばいいのに」
「いや、でもお前それは……、え? 嘘つきが『会いたくない』って言ってんだから、本当は『会いたい』だろうって?」
「そう」
「いやいやいやいや」
そんな、子供みたいな。
「セント・ポプラでのカクさんはずっと、そうだった。会いたいくせに。会いたいって言いたいのを必死に堪えてるようにしか、見えなかった」
ウカはそこまで捲し立ててすっきりしたのか、だからって、許さなくていいけどね⁉ と慌てて念押ししてくる。
パウリーは優しいから心配だったのだと、ウカは言う。ルッチもカクも大怪我をしていて、ルッチはここ数日、意識不明だったのだと。そんな弱っている二人に会ってしまったら、パウリーは許したくなってしまうのではと不安で、ルッチの入院中は会わせたくなかった、とも。
呆然と、海をみた。船影はない。風もないので波もない。
「ごめん、パウリー」
ウカが、もう何度目になるかわからない謝罪をまた一つ重ねた。
謝るようなことはないのに。
「まだあんのか? つーか、そもそも謝るようなことじゃ」
「わたし、カクさんのこと好きだった」
ウカはまるで罪を告白するみたいな青い顔だった。
恋の話にはそぐわない、あまりの神妙さに、ぶは、と噴き出してしまう。何を言うかと思えば。
「なんだよ、それ! 別にわるかねえだろ?」
でも、と続くウカの言葉を無理矢理遮る。
「カクはいいやつだよ」
それを聞いたウカの目にはみるみる涙がたまり、顔をくしゃくしゃにしてまた泣いた。
パウリーは優しすぎると、手で顔を覆う。ばか、ばか、とおれを罵りながらあまりに泣くから、おずおずとウカの背に手を伸ばす。触れた背中は震えていて、とても熱かった。
本心だ。カクは。ルッチも。いいやつだ。
ウカが聞いてくれたあいつらの答え。嘘かも、いや言葉のとおりかもしれない。でも、直接おれが聞いたわけじゃないからこそ、嘘で、本当かもしれないと思えた。
騙されていた日々も確かに仲間で、友達だったと。心から笑いあった日々が確かにあったのだと。
だから、そんなに泣くなよ。
おれもおまえも。
おしまい
←
ぜんぶおそい イミテーションジュエリー 美しい過去は嘘に似て イラストギャラリー
BOOHTでの頒布 あとがき
そんなに泣くなよ。
夏という月日
ぎりぎりのところで乗り込んだ海列車の車内では、出発して間もなく、セント・ポプラに海賊が現れたため、安全が確保できるまで一時停泊する旨のアナウンスが流れた。
ウカはそれであんな電伝虫を……?
ウカのただならぬ様子に、事情も聞かず飛び乗った海列車だったが遅々として進まず、パウリーに苛立ちが募る。セント・ポプラに海軍が到着するのに、どれほど時間がかかるだろう。ウォーターセブンなら。いや、こちらも今はアクア・ラグナからの復興で手薄だ。それに、ルッチやカクも、もういない。
「くそ」
誰に言うでもなく、しいて言えば、彼らの顔を思い浮かべてしまった自分に毒づいた。
永遠にも思えたじれったい時間だったが、実際には三十分にも満たなかったようだ。もう鎮圧したのか? 早すぎる、と思ったが、タイミングよく近くを通りがかっていた海軍でもいたのかもしれない。真相はわからないまま、海列車は普段より四十分ほどの遅れでセント・ポプラに着いた。
セント・ポプラの駅に転がるように降り立ったら、ウカがおれを見た途端泣き出して何事かと思う。泣きじゃくってるせいでなんの説明も出来ないウカは、あろうことかそのままおれの手を引いて歩き出した。
「おいっ! どうした? 海賊が暴れてるってアナウンスがあったぞ⁉」
「う゛ぅッ……ごべん゛……、……っと待っ、で……」
おそらく「泣き止むから」と言いたいのだろうが、まったくその気配はない。仕方なく手を引かれるまま歩いていく。ウカは港の方へ向かっているようだった。泣きじゃくる女に手を引かれながら無言でついていくむさ苦しい男、という図だったが、町全体がざわついており、おれ達の異様さも目立たなかった。
町には、数日前に自分も嗅いだ「戦闘の匂い」が漂っていた。具体的には、血と硝煙の匂いだ。港に近づくにつれそれは濃くなっていく。そして、水をかけながらデッキブラシで道路を擦る人々が増えた。血を洗い流しているのだと分かった。
鎮圧に時間はかからなかったはずなのに。血が大量に流れていることへの違和感が膨れ上がる。慌ててウカをみやって、どこかから血が流れていやしないかと確認した。
「とにかく、お前。身体はなんともないんだよな? 怪我して痛ぇとかじゃねえんだよな?」
つむじの見える小さな後頭部に投げかけると、ウカはこくんと首を縦に振った。ほっとして息を吐く。
「それならいいんだ。気がすむまで泣いてりゃいい。気にすんな」
泣いていていい、と言われたウカは、嘘のようにしゅるしゅると泣き止んでいった。嗚咽がどんどん小さくなり、ずびずびと鼻を鳴らすようになって、すんすん言いながら、最後は鼻をかんだ。どうやら泣き止まねば、と焦っていたようだ。そして「また泣いて話せなくなったら、ごめん」と先回りする。
「いいよ。そのうち泣くのにも飽きるだろ」
ウカは今日初めて笑顔を見せた。力ない笑顔だった。
◆
港に着く頃には日が傾いていて、空は茜色になりかけていた。波は穏やかだったが、あちこちに戦いの名残を感じる。でも、ただそれだけだ。ウカがおれをここに連れてきて何をしたいのかは皆目見当つかない。適当な草むらに並んで腰を下ろす。ウカは膝を抱えて、水平線のさらに向こうに目を凝らしているようにみえた。
ウカは深呼吸を二、三度すると、きり、と何かを決意したような顔をおれの方に向けて信じられないことを言う。
「さっきまで、ルッチさんとカクさんが、ここにいたの」
「はあッ⁉」
つい出てしまった大きな声に、ウカはあっけなく眉を八の字にして膝に顔をうずめた。声はくぐもっていたが、ちゃんと聞き取れた。
「でも、もういない。あっという間に海賊を倒したと思ったら、その海賊船で出航しちゃったんだって。行先はわからない。私は駅にいて気がつかなくて、さっき知ったの。海賊に容赦がなかったから町の人がかえって怖がっちゃったみたいで。電伝虫は、二人に会える最後の機会だと思ってかけた。それなのにごめん。それに、今まで教えてあげられなくてごめん。間に合わなくて、引き留められなくて。本当にごめん」
ウカは息継ぎするように謝罪の言葉をはさんだ。
セント・ポプラでカクさんに会ったの。黙っていてごめん。すぐに教えなくてごめん。パウリーには知らせないで欲しいっていうカクさんの言うことをきいてしまってごめん。ルッチさんが入院していることを知らせなくてごめん。二人に会わせてあげられなくてごめん。ごめん。ごめん。ごめんなさい。
おれの顔は見なかったが、言い訳はひとつも言わなかった。
「あ、あー。ちょ、っと待て」
あいつらが、ここに、セント・ポプラにいた? いや、そもそも生きて、無事で、いたのか。
うっかり滲んだ涙をウカに気づかれないように拭った。追いつかない思考を少しでも整理したくて頭をわしわしとかき、そして、はた、と思い出す。
「片づけのとき、『会いたいか?』ってしつこく聞いたのは、これか?」
ウカの部屋の片づけを手伝った時、そういえばやけに聞かれたな、と記憶がよみがえる。その時は、なんとも思わなかった。ただ、もう二度と会えるわけないと思っていたから、真面目になんて考えなかったはずだ。おれはなんて言った?
改めてウカを見ると、ばつの悪そうな顔でこちらを見ていた。ウカは言いにくそうに、目を泳がせながら言葉を選ぶ。
「パウリーが会いたいなら、教えようと思った。でも、三人に何があったかわからなかったし、パウリーが会いたくないなら会わせたくなかった。でも」
視線を彷徨わせていたウカが、ぴたりとこちらに焦点を定めた。
「カクさんも、パウリーも、『あいつはおれに会いたくないはずだ』っておんなじ言い方するから、もうわかんなくなっちゃって」
「カクが、なんて?」
「『パウリーはわしらの顔なんか、見たくないはずじゃから』って」
「……そうか」
言うか言うまいか。二人を好いていただろうウカに、わざわざ知らせたくなかった。
だが、少し間を取って、結局こらえきれなかった。
「あいつら、おれを……騙してたらしくてよ。そんで、それがバレちまった時に『おれはお前らを仲間だと思ってた』って言ったんだ。けどよ、ルッチとカクには『お前だけだ』って言われちまって」
「はあ⁉ なにそれ!」
ウカはみるみる眉を吊り上げて顔を赤くし、瞬く間に怒りを爆発させた。さっきまで殊勝な顔をしていたくせに。ころころ変わる表情に、少しばかり安心する。
ウカは自分の膝を拳でドンドンと叩きながら、ほんっとに嘘ばっかり、と歯ぎしりするので、どういうことかと聞き返す。
「カクさん、ずっと言ってたの。自分たちは嘘つきだって」
「ああ、まあ。おれらを騙してたからだろ」
「違う。いや、そうだけど。そうじゃなくて。ずっと、自分たちは嘘つきだって言いながら『会いたくない』『パウリーとは友達じゃない』って言うんだよ」
「だからなんだよ」
「ばかみたい。わざわざ『今から嘘をつくぞ』って言ってから『会いたくない』なんて。そんなの『会いたい』ってことじゃない」
あ。
思ってすぐに、そんなことあるはずない、と打ち消した。ウカの熱弁は続く。
「本当に嘘をつきたいんだったら、そんな宣言しないで『仕方なかったんだ』『友達だ』『今でも仲間だと思ってる』『会いたくてたまらない』って言えばいいのに」
「いや、でもお前それは……、え? 嘘つきが『会いたくない』って言ってんだから、本当は『会いたい』だろうって?」
「そう」
「いやいやいやいや」
そんな、子供みたいな。
「セント・ポプラでのカクさんはずっと、そうだった。会いたいくせに。会いたいって言いたいのを必死に堪えてるようにしか、見えなかった」
ウカはそこまで捲し立ててすっきりしたのか、だからって、許さなくていいけどね⁉ と慌てて念押ししてくる。
パウリーは優しいから心配だったのだと、ウカは言う。ルッチもカクも大怪我をしていて、ルッチはここ数日、意識不明だったのだと。そんな弱っている二人に会ってしまったら、パウリーは許したくなってしまうのではと不安で、ルッチの入院中は会わせたくなかった、とも。
呆然と、海をみた。船影はない。風もないので波もない。
「ごめん、パウリー」
ウカが、もう何度目になるかわからない謝罪をまた一つ重ねた。
謝るようなことはないのに。
「まだあんのか? つーか、そもそも謝るようなことじゃ」
「わたし、カクさんのこと好きだった」
ウカはまるで罪を告白するみたいな青い顔だった。
恋の話にはそぐわない、あまりの神妙さに、ぶは、と噴き出してしまう。何を言うかと思えば。
「なんだよ、それ! 別にわるかねえだろ?」
でも、と続くウカの言葉を無理矢理遮る。
「カクはいいやつだよ」
それを聞いたウカの目にはみるみる涙がたまり、顔をくしゃくしゃにしてまた泣いた。
パウリーは優しすぎると、手で顔を覆う。ばか、ばか、とおれを罵りながらあまりに泣くから、おずおずとウカの背に手を伸ばす。触れた背中は震えていて、とても熱かった。
本心だ。カクは。ルッチも。いいやつだ。
ウカが聞いてくれたあいつらの答え。嘘かも、いや言葉のとおりかもしれない。でも、直接おれが聞いたわけじゃないからこそ、嘘で、本当かもしれないと思えた。
騙されていた日々も確かに仲間で、友達だったと。心から笑いあった日々が確かにあったのだと。
だから、そんなに泣くなよ。
おれもおまえも。
おしまい
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BOOHTでの頒布 あとがき
急流 #カク
雨があがった。
この前はすまんかった、と謝るくせに仏頂面で、照れたようなカクさんがやっぱり好きだった。
急流
秋がきた、と思える高い空だった。秋の空の高さを人はどうやって感じ取っているのだろう。澄み渡る青か、それとも雲の遠さからか。頬を掠める風の、からっとした冷たさかもしれない。何にせよ、夏が終わり、雨は上がり、秋がきた。
今日は休日だったから、叔父の家でごろごろと惰眠を貪るのも良かったが、天気もいいし、ちょっとだけ外に出ることにする。ルッチさんの入院している病院は、叔父の家から歩いて十分くらいだ。
ルッチさんのお見舞いには絶対に行かないと決めていたが、かといって弱っているだろうルッチさんのところに、パウリーを連れていくのも嫌だった。目を覚まさないルッチさんを見たら、パウリーならなんだか色々を許してしまいそうな気がするからだ。いや、頭ではいくら許したくないと強く思っても、心が、許してしまうんじゃないかと。私が知っているパウリーならきっと──、許してしまう。
だから、もしパウリーを連れてくるならせめて、ルッチさんが目を覚まして、話せるようになっていないと、と歩みを止めて、ルッチさんがいるはずの病院を睨む。
「ウカちゃん? 何しとるんじゃ」
「わ、似合ってるね! かっこいい!」
声をかけてきたカクさんは、これまでの真っ黒な服ではなく、デニムに明るい色のポロシャツと黒いニット帽を合わせていた。心なしか、ウォーターセブンにいた頃を思い出させる色合わせで懐かしくなる。飾り気のない私の賞賛にカクさんは面食らったようで、後頭部をポリポリかき、目を逸らしながら「この前はすまんかった」と小さい声でぼそぼそ謝罪の言葉を口にした。つい先日、病院の横で小さくなっていたカクさんを思い出す。照れているのだとわかって、私はやっぱりまだカクさんが好きだなと再確認した。
お互い全然会話になっていなかったからか、カクさんはこちらが本題だというように、すぐに話題を変えた。
「そうそう。今日、ルッチが退院したんじゃ」
「え、うそ」
「おかげさまで」
「……よかった! よかったね!」
聞いた瞬間、身体の底からぶわっと安堵が湧き上がる。それを持て余した私は、その場で控えめにぴょんと跳ね、カクさんの手を取って上下に振り回した。カクさんは呆れながらも、されるがままだ。
本当によかった。カクさんの大切な人が、カクさんを置いて、あのままいなくならなくて。いつかくる別れなのかもしれないけれど、それが「今」でなくて本当に良かった。でも。
こみ上げた涙は上を向いて誤魔化した。この涙はなんだろう。パウリーを思うと、なんだか悔しくもあった。パウリーも私も、置いていかれるのに。なんてね。
嫌な、良くない捉え方だと、私はすぐ別のことを考えることにした。
退院、とはいえ病み上がりだろうから、まだしばらくは療養のため、この島にいるだろう。その間に、なんとかパウリーを連れてこられないだろうか。ルッチさんの目が覚め、退院できたというなら。三人で、会話ができるなら。いよいよ、パウリーに全部打ち明けて、連れてきてもいいんじゃないか。
だが、私はすぐに耳を疑うことになる。
「で、これからボウリングじゃ」
「嘘でしょ」
え? まさかルッチさんも? ちょっと前まで意識が戻らないって言ってなかった!? という私の叫びにも似た非難をカクさんは、つまらなそうな顔で受け止めた。常人には理解できない感覚だが、カクさんはどこ吹く風といった顔つきだ。
「仕方ないじゃろ。わしらは無職で暇なんじゃし」
こんなの初めてなんじゃ、と浮かれているようにしか見えないカクさん。明らかに「大人の夏休み」にはしゃいでいる。どんな事情で取得できたのかは知らない。
「一緒にくるか?」
「いや! それは!」
反射で拒絶してしまう。
ルッチさんの様子は、かなり気になる。でも、やっぱりどうしても、会うべきは私ではなくパウリーだろうという思いが拭えない。有無を言わさぬ私の即断に、カクさんは「別に一緒にやろうってんじゃない。後ろから眺めてみればいいじゃろ」と提案してくれた。結局、どうしてもルッチさんの様子が気になってしまった私は「ルッチさんには絶対会わない」と宣言して、カクさんの後ろを数歩離れて着いていくことにする。
◆
来るんじゃなかった。私はすぐに後悔した。
受付近くの休憩スペースでサイダーを飲みつつ、後ろから様子をうかがう限り、ルッチさんは思った以上に元気そうだった。ボウリング、と思う気持ちもわからなくも……いや、さっぱりまったくわからないが、まあ元気そう。頭に巻いた包帯は痛々しかったが、表情は明るくて、あと、やっぱり普通に喋れるんだと、結構ショックだった。
ボウリング場には、ルッチさんだけでなく、なぜかブルーノやカリファさんもいて、見知った彼彼女らは、見たこともない男の人達と気安い雰囲気で楽しそうに過ごしている。
なんだ、こっちが友達か。
舌打ちしながら、思ってしまった。
その輪の中にはカクさんもいる。私は何を見せられているのだろう。思ってしまって、いやいや、と頭を振る。別に、どんな繋がりだろうが、ルッチさんやカクさんに別のコミュニティがあったっていいじゃないか。事情は知らないが、それがパウリーを傷つけるものではないのなら。
さっきから気を抜くと、他責的な考えが頭をもたげてきて、もううんざりだ。
このままここにいるのは良くない。
ルッチさんの様子も見られたし、さっさと帰ろうとストローでサイダーを思い切り吸い込んだその時。
「誰か来てくれ!」
助けを求める声とともに男性が入ってきた。
だが、元々賑やかなボウリング場。その声に気づいたのは巡回していた警察官と、近くにいた店員くらいだった。他の客たちは気づかずゲームに夢中になっている。カコーンッ! という小気味いい音とそれに続く「よっしゃあ!」という歓声が、変わりなくあちこちから響いた。
ちらりとカクさんたちの方に目を向ければ、彼らはゲームこそ中断していたようだったが、こちらに顔を向けることはなかった。聞き耳を立てていると、「何があった」「港が」「早く」「海賊が」「襲っている」「暴れていて」という単語が端々に聞こえてくる。
まさか、と思ったら彼らはあっという間だった。さっきまでボウリングを楽しんでいたルッチさんたちは、いつの間にか私の目の前を音もなく駆け抜け、外へ出ていく。カクさんだけ、のんびりと私の目の前に立った。
「今度こそ、本当にさよならかもしれんのう」
「え?」
警察官が「港に海賊だ! 早く避難を!」と叫ぶと客たちは、それを合図にわあきゃあと店外へ駆け出した。
私たちも連れ立って外に出ると、日常は一変していた。
海賊から逃げようと港から押し寄せてくる人波。ボウリング場前の大通りは逃げ惑う人々でごった返していた。カクさんはその人波と真逆、つまり、港の方へ歩き出す。「待って」と叫びながら、無理矢理ついていこうとするが、必死に逃げる人間のパワーは凄まじく、とても対抗できるものではない。カクさんとの距離がどんどん開く。
「もし出来るなら」
悲鳴と怒号。合間に、カクさんのなんてことない声。
姿が人波に消えて声だけになる。
「パウリーに、世話になった、と」
「カクさんっ!」
揉みくちゃにされながら逃げ惑う人たちに抗って、なんとか人の群れから抜け出るも、カクさんの背はもう随分遠くだ。呆然としていると、心優しい町の人が「何をやっているんだ! 早く安全なところへ!」と手を引いてくれる。
最後まで『パウリー』か。それならもう。
「連れていくから! 待ってて!」
それだけじゃない。
「自分で言ってよ!」
絶叫。
小さくなっていくカクさんの背にそれが届いたかはわからない。
けれど、遠くなったカクさんは右手を上げてくれたような気がした。
「ごめんなさい!」と引かれる手を振り解いて、人のいなくなったボウリング場に駆け込む。目についた電伝虫を乱暴に手に取り、指が覚えている馴染みの番号を人生一番の速さでダイヤルした。
ぷるぷるぷるぷる。はやく。ぷるぷるぷるぷる。はやく出て。ぷるぷるぷるぷる。はやくしないと。ぷるぷるぷるぷる。もう二度と。がちゃ。
『はい』
「パウリー! いますぐ海列車に乗ってセント・ポプラにきて!」
お願いだから! はやく!
受話器の向こうからドタバタという足音のあと、バタンとドアが閉まる音が聞こえた。
肩で息をしながら、静かに受話器をおく。駅に走り出す。
おしまい
← →
雨があがった。
この前はすまんかった、と謝るくせに仏頂面で、照れたようなカクさんがやっぱり好きだった。
急流
秋がきた、と思える高い空だった。秋の空の高さを人はどうやって感じ取っているのだろう。澄み渡る青か、それとも雲の遠さからか。頬を掠める風の、からっとした冷たさかもしれない。何にせよ、夏が終わり、雨は上がり、秋がきた。
今日は休日だったから、叔父の家でごろごろと惰眠を貪るのも良かったが、天気もいいし、ちょっとだけ外に出ることにする。ルッチさんの入院している病院は、叔父の家から歩いて十分くらいだ。
ルッチさんのお見舞いには絶対に行かないと決めていたが、かといって弱っているだろうルッチさんのところに、パウリーを連れていくのも嫌だった。目を覚まさないルッチさんを見たら、パウリーならなんだか色々を許してしまいそうな気がするからだ。いや、頭ではいくら許したくないと強く思っても、心が、許してしまうんじゃないかと。私が知っているパウリーならきっと──、許してしまう。
だから、もしパウリーを連れてくるならせめて、ルッチさんが目を覚まして、話せるようになっていないと、と歩みを止めて、ルッチさんがいるはずの病院を睨む。
「ウカちゃん? 何しとるんじゃ」
「わ、似合ってるね! かっこいい!」
声をかけてきたカクさんは、これまでの真っ黒な服ではなく、デニムに明るい色のポロシャツと黒いニット帽を合わせていた。心なしか、ウォーターセブンにいた頃を思い出させる色合わせで懐かしくなる。飾り気のない私の賞賛にカクさんは面食らったようで、後頭部をポリポリかき、目を逸らしながら「この前はすまんかった」と小さい声でぼそぼそ謝罪の言葉を口にした。つい先日、病院の横で小さくなっていたカクさんを思い出す。照れているのだとわかって、私はやっぱりまだカクさんが好きだなと再確認した。
お互い全然会話になっていなかったからか、カクさんはこちらが本題だというように、すぐに話題を変えた。
「そうそう。今日、ルッチが退院したんじゃ」
「え、うそ」
「おかげさまで」
「……よかった! よかったね!」
聞いた瞬間、身体の底からぶわっと安堵が湧き上がる。それを持て余した私は、その場で控えめにぴょんと跳ね、カクさんの手を取って上下に振り回した。カクさんは呆れながらも、されるがままだ。
本当によかった。カクさんの大切な人が、カクさんを置いて、あのままいなくならなくて。いつかくる別れなのかもしれないけれど、それが「今」でなくて本当に良かった。でも。
こみ上げた涙は上を向いて誤魔化した。この涙はなんだろう。パウリーを思うと、なんだか悔しくもあった。パウリーも私も、置いていかれるのに。なんてね。
嫌な、良くない捉え方だと、私はすぐ別のことを考えることにした。
退院、とはいえ病み上がりだろうから、まだしばらくは療養のため、この島にいるだろう。その間に、なんとかパウリーを連れてこられないだろうか。ルッチさんの目が覚め、退院できたというなら。三人で、会話ができるなら。いよいよ、パウリーに全部打ち明けて、連れてきてもいいんじゃないか。
だが、私はすぐに耳を疑うことになる。
「で、これからボウリングじゃ」
「嘘でしょ」
え? まさかルッチさんも? ちょっと前まで意識が戻らないって言ってなかった!? という私の叫びにも似た非難をカクさんは、つまらなそうな顔で受け止めた。常人には理解できない感覚だが、カクさんはどこ吹く風といった顔つきだ。
「仕方ないじゃろ。わしらは無職で暇なんじゃし」
こんなの初めてなんじゃ、と浮かれているようにしか見えないカクさん。明らかに「大人の夏休み」にはしゃいでいる。どんな事情で取得できたのかは知らない。
「一緒にくるか?」
「いや! それは!」
反射で拒絶してしまう。
ルッチさんの様子は、かなり気になる。でも、やっぱりどうしても、会うべきは私ではなくパウリーだろうという思いが拭えない。有無を言わさぬ私の即断に、カクさんは「別に一緒にやろうってんじゃない。後ろから眺めてみればいいじゃろ」と提案してくれた。結局、どうしてもルッチさんの様子が気になってしまった私は「ルッチさんには絶対会わない」と宣言して、カクさんの後ろを数歩離れて着いていくことにする。
◆
来るんじゃなかった。私はすぐに後悔した。
受付近くの休憩スペースでサイダーを飲みつつ、後ろから様子をうかがう限り、ルッチさんは思った以上に元気そうだった。ボウリング、と思う気持ちもわからなくも……いや、さっぱりまったくわからないが、まあ元気そう。頭に巻いた包帯は痛々しかったが、表情は明るくて、あと、やっぱり普通に喋れるんだと、結構ショックだった。
ボウリング場には、ルッチさんだけでなく、なぜかブルーノやカリファさんもいて、見知った彼彼女らは、見たこともない男の人達と気安い雰囲気で楽しそうに過ごしている。
なんだ、こっちが友達か。
舌打ちしながら、思ってしまった。
その輪の中にはカクさんもいる。私は何を見せられているのだろう。思ってしまって、いやいや、と頭を振る。別に、どんな繋がりだろうが、ルッチさんやカクさんに別のコミュニティがあったっていいじゃないか。事情は知らないが、それがパウリーを傷つけるものではないのなら。
さっきから気を抜くと、他責的な考えが頭をもたげてきて、もううんざりだ。
このままここにいるのは良くない。
ルッチさんの様子も見られたし、さっさと帰ろうとストローでサイダーを思い切り吸い込んだその時。
「誰か来てくれ!」
助けを求める声とともに男性が入ってきた。
だが、元々賑やかなボウリング場。その声に気づいたのは巡回していた警察官と、近くにいた店員くらいだった。他の客たちは気づかずゲームに夢中になっている。カコーンッ! という小気味いい音とそれに続く「よっしゃあ!」という歓声が、変わりなくあちこちから響いた。
ちらりとカクさんたちの方に目を向ければ、彼らはゲームこそ中断していたようだったが、こちらに顔を向けることはなかった。聞き耳を立てていると、「何があった」「港が」「早く」「海賊が」「襲っている」「暴れていて」という単語が端々に聞こえてくる。
まさか、と思ったら彼らはあっという間だった。さっきまでボウリングを楽しんでいたルッチさんたちは、いつの間にか私の目の前を音もなく駆け抜け、外へ出ていく。カクさんだけ、のんびりと私の目の前に立った。
「今度こそ、本当にさよならかもしれんのう」
「え?」
警察官が「港に海賊だ! 早く避難を!」と叫ぶと客たちは、それを合図にわあきゃあと店外へ駆け出した。
私たちも連れ立って外に出ると、日常は一変していた。
海賊から逃げようと港から押し寄せてくる人波。ボウリング場前の大通りは逃げ惑う人々でごった返していた。カクさんはその人波と真逆、つまり、港の方へ歩き出す。「待って」と叫びながら、無理矢理ついていこうとするが、必死に逃げる人間のパワーは凄まじく、とても対抗できるものではない。カクさんとの距離がどんどん開く。
「もし出来るなら」
悲鳴と怒号。合間に、カクさんのなんてことない声。
姿が人波に消えて声だけになる。
「パウリーに、世話になった、と」
「カクさんっ!」
揉みくちゃにされながら逃げ惑う人たちに抗って、なんとか人の群れから抜け出るも、カクさんの背はもう随分遠くだ。呆然としていると、心優しい町の人が「何をやっているんだ! 早く安全なところへ!」と手を引いてくれる。
最後まで『パウリー』か。それならもう。
「連れていくから! 待ってて!」
それだけじゃない。
「自分で言ってよ!」
絶叫。
小さくなっていくカクさんの背にそれが届いたかはわからない。
けれど、遠くなったカクさんは右手を上げてくれたような気がした。
「ごめんなさい!」と引かれる手を振り解いて、人のいなくなったボウリング場に駆け込む。目についた電伝虫を乱暴に手に取り、指が覚えている馴染みの番号を人生一番の速さでダイヤルした。
ぷるぷるぷるぷる。はやく。ぷるぷるぷるぷる。はやく出て。ぷるぷるぷるぷる。はやくしないと。ぷるぷるぷるぷる。もう二度と。がちゃ。
『はい』
「パウリー! いますぐ海列車に乗ってセント・ポプラにきて!」
お願いだから! はやく!
受話器の向こうからドタバタという足音のあと、バタンとドアが閉まる音が聞こえた。
肩で息をしながら、静かに受話器をおく。駅に走り出す。
おしまい
← →
献身 #カク
秋雨が続いている。セント・ポプラは今日も雨だ。霧ほどに細かい雨が肌にまとわりつくように降っていて、傘を差さずに帽子やフードを被って済ませる人も多かった。ウカも先ほどまでは傘を差していたが、差している方が鬱陶しい、と思い直し、道行く皆に倣って畳むことにする。ミスト状の雨が髪や頬を優しく湿らせていくが、不快ではない。
ルッチさんは大怪我をして入院中だとカクさんに聞いてから、なんとなくルッチさんが入院しているという病院の前を通って帰るようになった。ただ前を通ってみるだけで、お見舞いには行っていない。もちろん行くつもりもない。
それを聞いてから数日は気にして前を通ってみたものの、当たり前のことではあるが、病院の前を通り過ぎるほんの十数秒で何があるわけでもなく、今日も何もないはずだった。
「なんであんなところに」
病室の窓の下に座り込むカクさんを見つけなければ。
◆
関係者でもないのに病院の敷地に入るのは気が引けたが、ウカは石畳にそっと足を乗せた。コツ、と固い音がする。なるべく静かに歩くが、コツ、コツ、という音は消せなかった。
正面玄関を逸れて、建物の脇に回る。そこはもう草むらで、足音は芝生が吸収してくれると思ったのだが。
「ウカちゃんか」
窓の下、建物の壁に背を預けて地面に座り込んでいたカクさんは、こちらを見ることはせず、地面のどこか一点を見ながらつぶやいた。立てた膝に長い腕を乗せ、手を組んでいる。隣に座ってもいいのだろうか、と逡巡して、結局おずおずと壁を背にして隣に立つ羽目になった。
佇まいがあまりに寂し気だったので思わず近づいてはみたものの、かける言葉がみつからない。困ったなと思いながら、所在なく曇り空を眺めてみる。薄い、もやのような雨が町並みの輪郭を淡くしていた。
不意に、どす、と足に衝撃が走る。何事かと下を見やると、カクさんが頭を凭れてきていた。子供みたいなことをするんだなと驚く間もなく、「座ったらどうじゃ」とハンカチを差し出してきて、好青年ぶりをみせてくれる。おっかなびっくり受け取って、ふわりと芝生の上に敷いた。お尻を乗せるとじんわりと冷たい心地がする。カクさんは私が座るのを見届けると、満足したように前に向き直った。
「こんなところに座り込んでどうしたの? 面会の時間、終わっちゃった?」
「ルッチが」
「ルッチさん?」
「ルッチが死んだらどうしよう」
カクさんは帰り道が分からなくなった子供みたいだった。
◆
心細い声音に息を呑んだ。雨音はしないが、しっとりした雨のヴェールが町には下りている。喧騒が遠くに聞こえて、カクさんの怯えた声だけがくっきりと耳に届いた。恐る恐る「……良くないの?」と顔を覗き込む。カクさんは組んだ手を開いてみたり、また組んでみたり、そわそわと落ち着きがない。
「こんなルッチは……初めて見る。こんな、ボロボロで、包帯だらけで、いつまでも目を覚まさない。そんなルッチは」
吐き出された不安はデクレッシェンドしていき、最後は聞き取るのが難しいくらいだった。
何でもないふうを取り繕うのは諦めたらしい。カクさんは大きなため息をついて、両手で顔を覆った。こんなカクさんは初めて見る。パウリーならなんて声をかけるだろう。カクさんの瞳はかすかに震え、揺らめいているのが見てとれた。いつか、払いを渋る海賊を懲らしめるパウリーや、カクさん、ルッチさんを見かけたことがあったが、そのとき目にした逞しい肩が今はとても小さく見える。
せめて、この肩に手を置こうか。思ってやめる。カクさんの肩から五センチほどのところで止まった手は、そのまま宙を彷徨って、結局ぱたりと地に落ちた。唇を噛んで、五指で刈り込まれた草を掴むようにひっかく。カクさんはそんな私に気づいているのかいないのか「ルッチとは長い付き合いじゃけど」と始めて、「こんなことは今までなかったんじゃ」と結んだ。
「幼馴染なの?」
「そんな素敵なもんじゃないわい。子供の頃から知っとるっちゅうだけで」
カクさんは呆れたように手を振って否定する。ウカちゃんがパウリーを大事に思う気持ちとは違う、と。そんなの嘘だ。すぐさま思ったが、口は挟まない。
「ルッチは……少なくともわしにとっては、仲間とも、上司とも、先輩とも違う。兄でもなかった。ましてや友なんて、もってのほか。なんじゃろうな、あやつは。こういうのは、なんていうんじゃろう」
カクさんはひとつひとつを正しく確かめていくようだった。
私には、カクさんとルッチさんの間柄はいまいち想像できない。付き合いの長さもわからないし、どんなふうに過ごしてきたのかも。親、子供、兄弟、上司、部下、先輩、後輩、仲間、友達、恋人……。二人の関係は、この世界で名前のついているどれかに当てはめることが出来るのだろうか。カクさんは全部違うと言った。でも絶対。
「ルッチは、自分の理想で目標だった。なるべき姿を体現してくれる。ルッチは正しい。ルッチの言うとおりにしていれば、ルッチみたいになれば、間違わない。そんなふうに思っとったんじゃけど。それがまさかこんなことに。膝をつくルッチなんて、想像しとらんかったんじゃ」
絶対、大切な人だ。それはわかる。
◆
カクさんはふうと大きく息を吐く。この状況に参っているようだった。
パウリーなら。ずっと思っている。パウリーなら、カクさんを慰めてあげられるんじゃないか。パウリーならもっと頼られて、カクさんを安心させてあげられる気がする。いやむしろ、何も言わず寄り添って、ただそれだけで少しでも気持ちが落ち着いたりするんじゃないかな。
きっと、パウリーなら全部出来る。パウリーとカクさん、ルッチさんで共有している思い出の力と、パウリーの裏表ない素直さで、きっとカクさんは少し元気になるだろうなと確信があった。
でもパウリーはここにいないし、私はパウリーじゃない。
「パウリーが」
「ん?」
「ここに、パウリーがいたら良かった」
あまりの無力感にそうこぼすと、カクさんはパチ、パチ、とゆっくり瞬きした。そして何か言おうとして口を開けて、また閉じて。もう一度口を開けたと思ったら「パウリーは、もういいんじゃ」とのんびりした口調で答えるものだから、私はあからさまに眉を寄せて「そんな」と咎めるような言い方でカクさんを睨んでしまった。カクさんは動じない。何なら、口の端に笑みを浮かべるほどで、私はそれが気に入らない。
「じゃってのう。もう、あやつは眩しすぎて。これ以上見とったら目が潰れる。無理じゃ、無理。もう十分」
「眩しい?」
「ルッチなんて見るに堪えんかった。パウリーに毒されおって。誕生日を祝ってやるルッチなんて信じられん。“友人として適切に振舞っただけ”なんて言っとったが、たった五年で絆されたのか? あの、ルッチが」
カクさんは、やれやれ、と言わんばかりの仕草で「まあ、あのルッチが、なんて言ったところで、ウカちゃんはルッチを知らんからのう」と言いながら残念そうだ。
「そんなの、友達になっただけじゃない」
「わしらに友達はおらん」
カクさんはさらりと言うので、それがとても悔しい。
「嘘つき」
「おお、よくわかっとるの」
カクさんが片眉を上げて茶化してくる。茶化す元気が出てきたのならそれは嬉しい。でも。
「ねえ、パウリーに会いたい?」
「別に」
「嘘つき」
「そうじゃとも」
カクさんの迷いない返答に、ぎゅっと拳を握った。
もう何度もシミュレーションしたかのような反応だった。何度、脳内でひとり自問自答したのだろう。想像して、胸がぎゅっと締めつけられる。
「よかった」
カクさんが、独り言のようにぽつりとつぶやいた。
「え?」
「今日、ウカちゃんに会えて良かった」
はじかれたようにカクさんを見る。横顔だけではカクさんの真意はよくわからない。
「それも、嘘?」
「そうに決まっとる」
嘘つきが嘘だけついてくれるなら。
正直な嘘つきの肩に、今度こそ手を置いた。震えも体温も感じないが、カクさんが「すまんの」と小さくこぼすので、私は「友達だから」と応じ、早くルッチさんの目が覚めますようにと、神様とかに祈った。
おしまい
← →
秋雨が続いている。セント・ポプラは今日も雨だ。霧ほどに細かい雨が肌にまとわりつくように降っていて、傘を差さずに帽子やフードを被って済ませる人も多かった。ウカも先ほどまでは傘を差していたが、差している方が鬱陶しい、と思い直し、道行く皆に倣って畳むことにする。ミスト状の雨が髪や頬を優しく湿らせていくが、不快ではない。
ルッチさんは大怪我をして入院中だとカクさんに聞いてから、なんとなくルッチさんが入院しているという病院の前を通って帰るようになった。ただ前を通ってみるだけで、お見舞いには行っていない。もちろん行くつもりもない。
それを聞いてから数日は気にして前を通ってみたものの、当たり前のことではあるが、病院の前を通り過ぎるほんの十数秒で何があるわけでもなく、今日も何もないはずだった。
「なんであんなところに」
病室の窓の下に座り込むカクさんを見つけなければ。
◆
関係者でもないのに病院の敷地に入るのは気が引けたが、ウカは石畳にそっと足を乗せた。コツ、と固い音がする。なるべく静かに歩くが、コツ、コツ、という音は消せなかった。
正面玄関を逸れて、建物の脇に回る。そこはもう草むらで、足音は芝生が吸収してくれると思ったのだが。
「ウカちゃんか」
窓の下、建物の壁に背を預けて地面に座り込んでいたカクさんは、こちらを見ることはせず、地面のどこか一点を見ながらつぶやいた。立てた膝に長い腕を乗せ、手を組んでいる。隣に座ってもいいのだろうか、と逡巡して、結局おずおずと壁を背にして隣に立つ羽目になった。
佇まいがあまりに寂し気だったので思わず近づいてはみたものの、かける言葉がみつからない。困ったなと思いながら、所在なく曇り空を眺めてみる。薄い、もやのような雨が町並みの輪郭を淡くしていた。
不意に、どす、と足に衝撃が走る。何事かと下を見やると、カクさんが頭を凭れてきていた。子供みたいなことをするんだなと驚く間もなく、「座ったらどうじゃ」とハンカチを差し出してきて、好青年ぶりをみせてくれる。おっかなびっくり受け取って、ふわりと芝生の上に敷いた。お尻を乗せるとじんわりと冷たい心地がする。カクさんは私が座るのを見届けると、満足したように前に向き直った。
「こんなところに座り込んでどうしたの? 面会の時間、終わっちゃった?」
「ルッチが」
「ルッチさん?」
「ルッチが死んだらどうしよう」
カクさんは帰り道が分からなくなった子供みたいだった。
◆
心細い声音に息を呑んだ。雨音はしないが、しっとりした雨のヴェールが町には下りている。喧騒が遠くに聞こえて、カクさんの怯えた声だけがくっきりと耳に届いた。恐る恐る「……良くないの?」と顔を覗き込む。カクさんは組んだ手を開いてみたり、また組んでみたり、そわそわと落ち着きがない。
「こんなルッチは……初めて見る。こんな、ボロボロで、包帯だらけで、いつまでも目を覚まさない。そんなルッチは」
吐き出された不安はデクレッシェンドしていき、最後は聞き取るのが難しいくらいだった。
何でもないふうを取り繕うのは諦めたらしい。カクさんは大きなため息をついて、両手で顔を覆った。こんなカクさんは初めて見る。パウリーならなんて声をかけるだろう。カクさんの瞳はかすかに震え、揺らめいているのが見てとれた。いつか、払いを渋る海賊を懲らしめるパウリーや、カクさん、ルッチさんを見かけたことがあったが、そのとき目にした逞しい肩が今はとても小さく見える。
せめて、この肩に手を置こうか。思ってやめる。カクさんの肩から五センチほどのところで止まった手は、そのまま宙を彷徨って、結局ぱたりと地に落ちた。唇を噛んで、五指で刈り込まれた草を掴むようにひっかく。カクさんはそんな私に気づいているのかいないのか「ルッチとは長い付き合いじゃけど」と始めて、「こんなことは今までなかったんじゃ」と結んだ。
「幼馴染なの?」
「そんな素敵なもんじゃないわい。子供の頃から知っとるっちゅうだけで」
カクさんは呆れたように手を振って否定する。ウカちゃんがパウリーを大事に思う気持ちとは違う、と。そんなの嘘だ。すぐさま思ったが、口は挟まない。
「ルッチは……少なくともわしにとっては、仲間とも、上司とも、先輩とも違う。兄でもなかった。ましてや友なんて、もってのほか。なんじゃろうな、あやつは。こういうのは、なんていうんじゃろう」
カクさんはひとつひとつを正しく確かめていくようだった。
私には、カクさんとルッチさんの間柄はいまいち想像できない。付き合いの長さもわからないし、どんなふうに過ごしてきたのかも。親、子供、兄弟、上司、部下、先輩、後輩、仲間、友達、恋人……。二人の関係は、この世界で名前のついているどれかに当てはめることが出来るのだろうか。カクさんは全部違うと言った。でも絶対。
「ルッチは、自分の理想で目標だった。なるべき姿を体現してくれる。ルッチは正しい。ルッチの言うとおりにしていれば、ルッチみたいになれば、間違わない。そんなふうに思っとったんじゃけど。それがまさかこんなことに。膝をつくルッチなんて、想像しとらんかったんじゃ」
絶対、大切な人だ。それはわかる。
◆
カクさんはふうと大きく息を吐く。この状況に参っているようだった。
パウリーなら。ずっと思っている。パウリーなら、カクさんを慰めてあげられるんじゃないか。パウリーならもっと頼られて、カクさんを安心させてあげられる気がする。いやむしろ、何も言わず寄り添って、ただそれだけで少しでも気持ちが落ち着いたりするんじゃないかな。
きっと、パウリーなら全部出来る。パウリーとカクさん、ルッチさんで共有している思い出の力と、パウリーの裏表ない素直さで、きっとカクさんは少し元気になるだろうなと確信があった。
でもパウリーはここにいないし、私はパウリーじゃない。
「パウリーが」
「ん?」
「ここに、パウリーがいたら良かった」
あまりの無力感にそうこぼすと、カクさんはパチ、パチ、とゆっくり瞬きした。そして何か言おうとして口を開けて、また閉じて。もう一度口を開けたと思ったら「パウリーは、もういいんじゃ」とのんびりした口調で答えるものだから、私はあからさまに眉を寄せて「そんな」と咎めるような言い方でカクさんを睨んでしまった。カクさんは動じない。何なら、口の端に笑みを浮かべるほどで、私はそれが気に入らない。
「じゃってのう。もう、あやつは眩しすぎて。これ以上見とったら目が潰れる。無理じゃ、無理。もう十分」
「眩しい?」
「ルッチなんて見るに堪えんかった。パウリーに毒されおって。誕生日を祝ってやるルッチなんて信じられん。“友人として適切に振舞っただけ”なんて言っとったが、たった五年で絆されたのか? あの、ルッチが」
カクさんは、やれやれ、と言わんばかりの仕草で「まあ、あのルッチが、なんて言ったところで、ウカちゃんはルッチを知らんからのう」と言いながら残念そうだ。
「そんなの、友達になっただけじゃない」
「わしらに友達はおらん」
カクさんはさらりと言うので、それがとても悔しい。
「嘘つき」
「おお、よくわかっとるの」
カクさんが片眉を上げて茶化してくる。茶化す元気が出てきたのならそれは嬉しい。でも。
「ねえ、パウリーに会いたい?」
「別に」
「嘘つき」
「そうじゃとも」
カクさんの迷いない返答に、ぎゅっと拳を握った。
もう何度もシミュレーションしたかのような反応だった。何度、脳内でひとり自問自答したのだろう。想像して、胸がぎゅっと締めつけられる。
「よかった」
カクさんが、独り言のようにぽつりとつぶやいた。
「え?」
「今日、ウカちゃんに会えて良かった」
はじかれたようにカクさんを見る。横顔だけではカクさんの真意はよくわからない。
「それも、嘘?」
「そうに決まっとる」
嘘つきが嘘だけついてくれるなら。
正直な嘘つきの肩に、今度こそ手を置いた。震えも体温も感じないが、カクさんが「すまんの」と小さくこぼすので、私は「友達だから」と応じ、早くルッチさんの目が覚めますようにと、神様とかに祈った。
おしまい
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珍しいな、と言われて、そうだよなあと自分でも思った。
アクセサリーの類はあまりつけることがなくて、つけてもピアスくらいだった。ネックレスとブレスレット、指輪は、なんというか肌に馴染まず、手に取る回数が減っていって、結果ほとんどつけなくなっている。小ぶりなピアスのちょっとした存在感と、軽い着け心地が好きだった。
「そ、それ、高ぇやつか?」
オープンテラスでお茶をしていたら、パウリーが私を見つけて声をかけてくれた。アクア・ラグナからの復興も順調で、こうしてお茶をできるくらいには日常が戻ってきている。
「これ? ううん。おもちゃ。五百ベリーくらいだったかな?」
「へえ、おもちゃか。よくできてんな。本物みてぇ」
金も借りられそうだ、なんてパウリーは言うし、私も馴染みがないからそう思わないこともない。けど、これはれっきとしたおもちゃだった。もちろん、光に当たるとキラキラと反射して、綺麗で可愛い。でも、とても軽くて、気をつけていないと失くしたことにも気づかなさそうだし、リングは妙にテカテカしているし、少し力を加えたらすぐに壊れてしまうだろう。
だけど、指輪だ。
◆
オープンテラスでお茶をしていたら、通りがかったカクさんに、パウリーの誕生日プレゼントはなにがいいと思う? と唐突に問われ、言葉に詰まってしまった。
聞けば、今度のお休みにガレーラカンパニーでブルーノの店を貸し切ってパウリーの誕生会を企画しているらしい。「パウリーには内緒じゃぞ?」と人差し指を立てるカクさんに見惚れながらも、わたしはううんと唸ってしまう。幼馴染として、何か気の利いたプレゼントのひとつやふたつ、見繕ってみたい。そうは思っているのだが。
「すごくひどいことを言うんだけど」
「ん?」
「お金、が一番喜ぶ気が」
「それは開口一番、本人からも言われたわい」
カクさんは心底呆れ果てた様子で首を横に振った。パウリーのやつ、本当に言ったのか。なんだか私まで申し訳なく思って、なんかごめん、と幼馴染の代わりに思ったまま謝る。残念な幼馴染から、他にリクエストはなかったのか聞いてみるが、カクさんは少しの間のあと「くだらんことしか言わなくてのう」と困ったような顔をした。ヤガラレースの馬券でもねだったのだろうか。あり得る。
「予算はどれくらい? 会社からのプレゼント?」
「いや、わしとルッチから」
へえ、と少し意表を突かれた。
てっきり会社で準備するものかと思ったのに。個人的なものとは想像していなかった。ルッチさんはなんて? と聞いてみたが「ルッチに期待するのが間違いじゃ」と言われてしまう。
「そっか。じゃあ、灰皿とか、シガーカッターとかは?」
「残るものは気色悪く思わんか?」
「そんなことないけど。もう注文が多いなあ」
口を尖らせると「わはは、すまんの」とまったく悪びれていない笑顔で謝罪を受ける。
「それなら葉巻? パウリーが普段、買えないような高価なやつ」
「おお! そりゃいいの! 豚に真珠かもしれんが」
「パウリーが普段吸ってる葉巻の銘柄なんて知らないから、煙草屋さんのお姉さんに聞こう」
私はぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。店内にごちそうさまでしたと声をかけ、パウリー馴染みのお店となった煙草屋さんにカクさんと連れ立って行く。
◆
パウリーだったら最近は、というよりここ数年、もっぱらこの辺を買ってるから、似た系統なら、あの島のこの銘柄あたりがおすすめだが、そのランクになるとうちでは取り扱ってないから大通りの端にあるシガー専門店に行くといい、と煙草屋のお姉さんは、ハキハキとした口調で、とても親切に教えてくれた。さすが、パウリーの初恋の相手だ。パウリーはやっぱり見る目がある。
紹介されたシガー専門店で接客してくれた店長さんも穏やかで丁寧ないい人で、素人の私たちにほどよい距離感で接してくれた。プレゼントなのだと伝えると、在庫整理で余ってしまったのだという葉巻を一本、ラッピング用のリボンと一緒におまけで入れてくれる。「当日に封から出して、このリボンを巻いたらいい」と。本命の葉巻は、出来るだけ直射日光に当てぬよう、密閉して保管してほしいとのことだ。「数日ならあまり過敏にならなくても良いですが」とのことだが、カクさんと顔を見合わせてから、こくりと頷く。その様子をみた店長さんに「素敵なご友人ですね」と微笑まれ、こそばゆい気持ちになった。
「自分たちで言うのもなんだけど、いいのが買えたんじゃない?」
店を出ると、店長さんの言葉に気を良くした単純な私は、カクさんにも同意を求めた。
「ほんとじゃな。パウリーは素敵なご友人に感謝せんと」
「葉巻なんて今まで興味なかったから、知らないことばっかりだったね」
店長さんがいい人でよかった、と続けたところで、一緒に歩いていたはずのカクさんの気配が隣から消える。何事かと後ろを見れば、カクさんが雑貨屋さんの前で足を止め、軒先に並べてある商品をじっと見ている。何を見てるんだろう、とカクさんの隣に並び立ったのとカクさんが口を開いたのが同時だった。
「ウカちゃん、こういうのは? 興味ないんか?」
「わあ。か、かわいい……!!」
店の軒先で雑多に山になっていたのは、指輪だった。雑な並べられ方に一瞬驚いたが、理由は手に取らなくてもすぐにわかる。おもちゃなのだ。値段は百ベリーから千ベリーくらいで、三つで千ベリーなんてのもある。子供用のビビッドでカラフルなデザインのものも多かったが、本物みたいに見える大人向けの、ジュエリーといって差し支えないデザインのものもあった。
「こまくてよう見えん」
「うそだ。なんで急におじいちゃんになるの」
「ばれた」
大きなエメラルド色のストーンにゴールドのリング、小さなストーンが散りばめられているデザイン、オーロラ色のセンターストーンにダイヤのような輝きのサイドストーンを添えたもの、ピンクからパープルへのグラデーションが見事なものもある。サファイヤ、ルビー、パール、トルマリン、タンザナイト、アメジスト……買おうと思ったわけではないのだが、どんなものがあるのかと興味が尽きなくて、宝探しみたいに夢中で好みのデザインの指輪をより分けていく。山の下の方まで粗方さらって、ようやく満足した。
「かわいい。かわいいしか言えない。私の中の女の子が大歓声を上げている」
「どれが好きなんじゃ?」
「え?」
「好きなの、どれじゃ?」
問われると大いに迷う。華奢なデザインのものもかわいいと思ったし、ザ・宝石といった主張の強いものも、おもちゃという軽さのせいか、意外と圧を感じなかった。どれもいいな、と思ったが、もし身に着けるとしたらという観点で選び、ゆらゆら揺れる指先で、ただひとつを指差す。
「うーん……、これかな」
「よし、今日のお礼にプレゼントしちゃろ」
「え⁉ だ、大丈夫だよ! 大したことしてない!」
「そんなこと言ったらこれだって大した値段じゃないじゃろ。ん? かえって失礼か?」
「いや、そんな、ことはない……けど」
でもこれ、指輪だ。おもちゃだけど。
「なんじゃ? 気に入らんか?」
「……ううん。欲しい」
自分だけ意識しているみたいで恥ずかしかったが、あがる体温はどうすることもできず、頬が、耳が、染まっていく。カクさんはこちらを見ない。
◆
「ねえ。カクさん達に、誕生日は何が欲しいってリクエストしたの?」
私は、もう彼らの話題を避けることはしなかった。彼らがこの島でパウリーと五年を過ごして、私と会ってひと夏を過ごして、それがパウリーにとっても私にとっても、かけがえのないものだということは変わらないということがわかったから。
「金」
「やっぱり……。それだけ?」
即答したパウリーに私は念を押すように問いを重ねる。
『これからずっと、じいさんになっても、お前らと騒げたらそれで十分だ』
「あァ。金が一番だろ」
パウリーはまた即答した。思いを馳せることも、言い淀むこともない。
「まあ、お金は大事だねえ」
私の大事なものは、母と祖母の写真。パウリーからもらったカード。それからこの指輪。きっと、ずっと一緒に避難する。でも、指輪の理由はとうとうわからずじまい。仕方がないから、勝手に大事にする。
おしまい