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夢小説,長編・連作,ONEPIECE,KISSMEMORE 3490字 No.27
「はじめまして、フランキー」 #アイスバーグ #フランキー
変わり果てた姿なのに、目と声だけは昔のままだった。
私の言葉に、フランキーは自分のする選択が意味することをようやく実感したようだった。私を見据えながらも、下唇を噛んで拳を強く握っている。アイスバーグさんは何も言わない。
「フランキーが望むなら」
六年前・春
死んだと思った人が生きていて、また会えたことなんて今までなかったから、アイスバーグさんから「フランキーが帰ってきた」と聞かされた時は何が何だかわからなかった。そもそも、近しい人が亡くなったこと自体、彼とトムさんが初めてだったのだ。どちらも死に目に立ち会ったわけではない。亡骸も確認していないしお墓もない。ただ二人とも私の目の前からいなくなって、それっきり姿を見せていない。人に言わせればぬるいかもしれないが、私の「死」はこれだった。
そういう意味では、私はまだ本当の「死」を知らないのだろう。それは重々承知している。体温が失われていく手をずっと握っていたりだとか、目から光が失われていく様子を術もなく見つめているだとか、もう応えてくれない身体を揺さぶって必死に問いかけたりだとか、亡骸に縋って泣いたりだとか、そういうことは経験していないから。
想像しただけで辛いそれらを、私は幸いにして知らなかったけれど、それでも確かに私の中でフランキーは死んでいて、もう二度と今生で会うことはかなわない人だった。
それなのに。
アイスバーグさんに連れられてやってきたトムズワーカーズ本社、橋の下倉庫に彼はいた。
変わっていないところ探す方が早いくらいの変わりようで、変わっていなかったのは、髪の色、目、声、あとアロハシャツに海パン。それだけだ。
真っ先に自分を支配したのは、残念ながら怒りだった。生きていた、また会えた、という喜びよりも。こんな珍妙な風体になって、あっけらかんと「おう、帰ってきたぞ」なんて許せなかった。
彼が海列車に轢かれて死んでしまったと聞かされた時、人はこうやって死んでしまうのかと思った。あんなに毎日のように顔を合わせていた彼が、ほんの少し目を離した隙に、あっけなく目の前からいなくなってしまった。もうくだらない話で笑いあったり、ココロさんのカレーを一緒に食べて口元を汚したり、足元のおぼつかない廃船島を私の手を取って歩いてくれたり、そういうことは全部、もう一生ないんだと。
これが「死」なんだと思った。
残されたアイスバーグさんと、ココロさんと私は、彼らの話をほとんどしなかった。不自然なほどだったかもしれないが、みんな、口に出したら一生懸命我慢しているいろんなものが溢れて、それでいっぱいになって、もう二度と立て直せないような恐怖があったのだ。
毎日ふとしたときにいなくなった二人を思い出す。海を見て、空を見て、船を見て、街を見て思い出し、もう会えないのだと言い聞かせた。
それなのに。
「で、やっぱり島からは出ないのね」
「おうよ!」
「いい返事してんじゃねえよ、バカンキー」
アイスバーグさんは呆れ混じりのため息をついた。
今日、ここに連れてきてもらう前に教えてもらった。
フランキー、つまり、カティ・フラムはあの日海列車に轢かれて死んだことになっているおかげで、このまま島を出ればもう二度と世界政府から追われることはない。だというのに、フランキーは島に残ると言って聞かないのだと。理由はわからないそうだ。
アイスバーグさんは「私にも説得してほしい」と言った。当然だ。彼の命が大事なら、そうするのが一番いい。でも。
「ここは今も使ってんのか?」フランキーが品定めするような目でかつての家を見回した。
「おれはまあ、あんまりだが、ウカはよく来てるぞ」
「あァ? ウカが? 何しに……」
「お墓参りだよ」
私は製図室のドアまで歩を進めるとそのままドアノブを回して、訝しむフランキーを部屋に招き入れた。フランキーに続いて、アイスバーグさんも製図室に入る。
二人が部屋にそろうと、一気に懐かしい気持ちになった。大人になってからもこの部屋で製図を引いて過ごしたはずなのに、なぜか直近の、数年前の記憶ではなく、もっと昔、私もフランキーもまだ十代だったころの記憶ばかり甦った。出会って間もない頃の記憶だ。そのせいだろうか、揃いの机もうんと小さく見える。
私は「カティ・フラム」の名札の前にある机にお花と写真を飾ってそれをお墓にしていた。『犯罪者』カティ・フラムのお墓は共同墓地には作れなかったのだ。それに、そんなしっかりしたものを作ってしまっては、なんだか本当に「死」が確実になるような気持ちになって気が引けた。
幸いというか、トムさんのお墓もフランキーのお墓も、どうこうするのは血縁ではない残された私たちだったから何とでもなった。ココロさんは「辛すぎて考えられない」と言い、アイスバーグさんは「ウカに任せる」と言ってくれたので、私の好きにしたのだ。
「……、こんなの作ってやがったのか」
フランキーは、自分のお墓を見ながらぽつりと言った。これまで、あんまり聞いたことのない声だったからびっくりする。でもそうか。普通、人は自分のお墓を見ることなんてなかなかない。墓前に選んだ写真にはトムさんも写っていて、フランキーがその写真が入ったフォトフレームを手に取って黙って見つめているのを、私もアイスバーグさんも黙って見ていた。
「悪ぃ」
フランキーはそれだけ言って、フォトフレームをそっと戻した。そして異様に太くなった腕で目尻を乱暴に拭う。涙もろいところも変わっていない。こうしていると、やっぱり彼は私とアイスバーグさんが一緒に過ごしたフランキーだということがよくわかる。
でもそれは、きっといけないことなんだろう。
「ねえ、本当に……」
「しつけぇぞ!」
「そんなにおれを追い出してぇのかよ」フランキーは死ぬほどうんざり、といった顔をしながら口を尖らせて拗ねた。その文句の言い方は、私の知っているフランキーそのものだったから可笑しくて、そして、とても寂しい。
私は覚悟を決める。
「はじめまして、フランキー」
「あァ?」
フランキーは元々丸くて可愛らしい目をさらに丸くして言った。眉を吊り上げ私を睨む。
「当然でしょ。私が知ってるのはカティ・フラムで、彼は死んだの」
「そうだよね、アイスバーグさん」と問うと、アイスバーグさんは無言で、一度だけ深く頷いた。フランキーはそれを見て開けた口をつぐむ。
「私たちは、ここで一緒に過ごさなかった。あなたとくだらない話で笑いあったり、ココロさんのカレーを一緒に食べて口元を汚したりしたこともないし、足元の危ない廃船島をあなたが一緒に歩いてくれたりしたことは、一度もない」
私は一息で言い切った。フランキーが顔を歪めて、わかりやすく傷ついている。ごめん、フランキー。でも、こうでもしないとあなたを守れる気がしない。
「フランキーが望むなら、私はまたカティ・フラムのお墓をつくる」
カティ・フラムは死んだんだって毎日自分に言い聞かせて、お花を飾るよ。フランキー。
フランキーは下を向いて何も言わなくなってしまった。でも数十秒して顔を上げたら、私を見るその目で私は全部わかってしまった。昔から変わらない、彼は一度言い出したら最後までやり遂げる。
アイスバーグさんは腰に手を当てて大きく諦めの息を吐いた。
私はにっこり笑って空色の髪をした可愛い丸い目の男性に挨拶する。おしまい
← →
変わり果てた姿なのに、目と声だけは昔のままだった。
私の言葉に、フランキーは自分のする選択が意味することをようやく実感したようだった。私を見据えながらも、下唇を噛んで拳を強く握っている。アイスバーグさんは何も言わない。
「フランキーが望むなら」
六年前・春
死んだと思った人が生きていて、また会えたことなんて今までなかったから、アイスバーグさんから「フランキーが帰ってきた」と聞かされた時は何が何だかわからなかった。そもそも、近しい人が亡くなったこと自体、彼とトムさんが初めてだったのだ。どちらも死に目に立ち会ったわけではない。亡骸も確認していないしお墓もない。ただ二人とも私の目の前からいなくなって、それっきり姿を見せていない。人に言わせればぬるいかもしれないが、私の「死」はこれだった。
そういう意味では、私はまだ本当の「死」を知らないのだろう。それは重々承知している。体温が失われていく手をずっと握っていたりだとか、目から光が失われていく様子を術もなく見つめているだとか、もう応えてくれない身体を揺さぶって必死に問いかけたりだとか、亡骸に縋って泣いたりだとか、そういうことは経験していないから。
想像しただけで辛いそれらを、私は幸いにして知らなかったけれど、それでも確かに私の中でフランキーは死んでいて、もう二度と今生で会うことはかなわない人だった。
それなのに。
アイスバーグさんに連れられてやってきたトムズワーカーズ本社、橋の下倉庫に彼はいた。
変わっていないところ探す方が早いくらいの変わりようで、変わっていなかったのは、髪の色、目、声、あとアロハシャツに海パン。それだけだ。
真っ先に自分を支配したのは、残念ながら怒りだった。生きていた、また会えた、という喜びよりも。こんな珍妙な風体になって、あっけらかんと「おう、帰ってきたぞ」なんて許せなかった。
彼が海列車に轢かれて死んでしまったと聞かされた時、人はこうやって死んでしまうのかと思った。あんなに毎日のように顔を合わせていた彼が、ほんの少し目を離した隙に、あっけなく目の前からいなくなってしまった。もうくだらない話で笑いあったり、ココロさんのカレーを一緒に食べて口元を汚したり、足元のおぼつかない廃船島を私の手を取って歩いてくれたり、そういうことは全部、もう一生ないんだと。
これが「死」なんだと思った。
残されたアイスバーグさんと、ココロさんと私は、彼らの話をほとんどしなかった。不自然なほどだったかもしれないが、みんな、口に出したら一生懸命我慢しているいろんなものが溢れて、それでいっぱいになって、もう二度と立て直せないような恐怖があったのだ。
毎日ふとしたときにいなくなった二人を思い出す。海を見て、空を見て、船を見て、街を見て思い出し、もう会えないのだと言い聞かせた。
それなのに。
「で、やっぱり島からは出ないのね」
「おうよ!」
「いい返事してんじゃねえよ、バカンキー」
アイスバーグさんは呆れ混じりのため息をついた。
今日、ここに連れてきてもらう前に教えてもらった。
フランキー、つまり、カティ・フラムはあの日海列車に轢かれて死んだことになっているおかげで、このまま島を出ればもう二度と世界政府から追われることはない。だというのに、フランキーは島に残ると言って聞かないのだと。理由はわからないそうだ。
アイスバーグさんは「私にも説得してほしい」と言った。当然だ。彼の命が大事なら、そうするのが一番いい。でも。
「ここは今も使ってんのか?」フランキーが品定めするような目でかつての家を見回した。
「おれはまあ、あんまりだが、ウカはよく来てるぞ」
「あァ? ウカが? 何しに……」
「お墓参りだよ」
私は製図室のドアまで歩を進めるとそのままドアノブを回して、訝しむフランキーを部屋に招き入れた。フランキーに続いて、アイスバーグさんも製図室に入る。
二人が部屋にそろうと、一気に懐かしい気持ちになった。大人になってからもこの部屋で製図を引いて過ごしたはずなのに、なぜか直近の、数年前の記憶ではなく、もっと昔、私もフランキーもまだ十代だったころの記憶ばかり甦った。出会って間もない頃の記憶だ。そのせいだろうか、揃いの机もうんと小さく見える。
私は「カティ・フラム」の名札の前にある机にお花と写真を飾ってそれをお墓にしていた。『犯罪者』カティ・フラムのお墓は共同墓地には作れなかったのだ。それに、そんなしっかりしたものを作ってしまっては、なんだか本当に「死」が確実になるような気持ちになって気が引けた。
幸いというか、トムさんのお墓もフランキーのお墓も、どうこうするのは血縁ではない残された私たちだったから何とでもなった。ココロさんは「辛すぎて考えられない」と言い、アイスバーグさんは「ウカに任せる」と言ってくれたので、私の好きにしたのだ。
「……、こんなの作ってやがったのか」
フランキーは、自分のお墓を見ながらぽつりと言った。これまで、あんまり聞いたことのない声だったからびっくりする。でもそうか。普通、人は自分のお墓を見ることなんてなかなかない。墓前に選んだ写真にはトムさんも写っていて、フランキーがその写真が入ったフォトフレームを手に取って黙って見つめているのを、私もアイスバーグさんも黙って見ていた。
「悪ぃ」
フランキーはそれだけ言って、フォトフレームをそっと戻した。そして異様に太くなった腕で目尻を乱暴に拭う。涙もろいところも変わっていない。こうしていると、やっぱり彼は私とアイスバーグさんが一緒に過ごしたフランキーだということがよくわかる。
でもそれは、きっといけないことなんだろう。
「ねえ、本当に……」
「しつけぇぞ!」
「そんなにおれを追い出してぇのかよ」フランキーは死ぬほどうんざり、といった顔をしながら口を尖らせて拗ねた。その文句の言い方は、私の知っているフランキーそのものだったから可笑しくて、そして、とても寂しい。
私は覚悟を決める。
「はじめまして、フランキー」
「あァ?」
フランキーは元々丸くて可愛らしい目をさらに丸くして言った。眉を吊り上げ私を睨む。
「当然でしょ。私が知ってるのはカティ・フラムで、彼は死んだの」
「そうだよね、アイスバーグさん」と問うと、アイスバーグさんは無言で、一度だけ深く頷いた。フランキーはそれを見て開けた口をつぐむ。
「私たちは、ここで一緒に過ごさなかった。あなたとくだらない話で笑いあったり、ココロさんのカレーを一緒に食べて口元を汚したりしたこともないし、足元の危ない廃船島をあなたが一緒に歩いてくれたりしたことは、一度もない」
私は一息で言い切った。フランキーが顔を歪めて、わかりやすく傷ついている。ごめん、フランキー。でも、こうでもしないとあなたを守れる気がしない。
「フランキーが望むなら、私はまたカティ・フラムのお墓をつくる」
カティ・フラムは死んだんだって毎日自分に言い聞かせて、お花を飾るよ。フランキー。
フランキーは下を向いて何も言わなくなってしまった。でも数十秒して顔を上げたら、私を見るその目で私は全部わかってしまった。昔から変わらない、彼は一度言い出したら最後までやり遂げる。
アイスバーグさんは腰に手を当てて大きく諦めの息を吐いた。
私はにっこり笑って空色の髪をした可愛い丸い目の男性に挨拶する。おしまい
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夢小説,長編・連作,ONEPIECE,KISSMEMORE 3126字 No.26
私たちがした約束は #アイスバーグ
ガレーラカンパニー創立一周年記念パーティーは、社長であるアイスバーグさんが市長に推薦されたことも相まって、一層賑やかで華やかな場となった。貸し切ったホールには料理と酒が所狭しと並べられ、至る所に花が飾ってある。カクとパウリーは、「創立記念パーティーなんて畏まった場に盛装してまで行きたくない」というベテラン職人たちから会場に無理矢理押し込められる形で参加していた。首元まで留めたシャツのボタンと巻いたネクタイには、この一晩だけでは慣れる気がしない。
会場の前の方で、カリファが「それでは社長から創立メンバーを紹介してもらいましょう」と式次第を読み上げると、マイクを受け取ったアイスバーグさんが「この会社を立ち上げられたのは彼らのおかげだ。改めて感謝する」と幾人かの名前を呼び、彼らに壇上へ上がるよう促していく。 そこにはアイスバーグさんを睨みつけるウカも含まれていた。アイスバーグさんはそんなウカの視線もお構いなしで「何なら手を引こうか?」などと話しかけ、差し伸べた手をウカに叩かれていた。ウカは気乗りしない様子でステージにあがると、既に並んでいた別の創立メンバーに、まあまあと窘められている。
「パウリー、お前、知っておったか?」
「あァ? ウカが創立メンバーだってことか?」
「そうなのか?」
「あいつは別に大したことはしてない、って言ってたけどな」
俺だって何度も手伝わせてくれって頼み込んだのによぉ! まあ、入社できたからもういいけどな、などと言うパウリーの言葉は右から左に抜けていく。
カクの目は、感謝と労い、思い出話や苦労話、そしてこれからもよろしく頼むという言葉とともに、アイスバーグさんから壇上でチークキスされそうになっているウカに釘付けだ。
八年前・春
「会社を立ち上げようと思っててな」
久しぶりに飯でも、と言われて、浮かれる気持ちを必死に押し殺して席に着くと、アイスバーグさんは私の分の水が運ばれて来る前にそう言った。私は大層驚いたが、それを落ち着けるための水すらない。
「会社、ですか」私が間の抜けた声で繰り返す頃、やっと水が運ばれてくる。
「ああ。造船会社」
今はお昼時をちょっとすぎたくらいで、お店はすごく混んでいるというわけではなかったけど、昼間で、明るくて、適度にがやがやとしていて、誰もが自分たちの料理と会話に夢中だったから、色んなことを話すにはちょうど良さそうだった。
運ばれてきた水をごくごくと飲みながら考える。私はこれから何を聞かされるのだろう。会社立ち上げの不安なんてものは彼に限ってないだろう。故に、私に何か相談するということも考えられない。そもそも彼の問題を解決できるような力が私にあるとは思えない。そこまで考えて、私の人生では絶対にありえないことだけれども、彼にとっては「会社立ち上げ」なんてものは、近況報告程度の話題なのかもしれないなと思い直した。
そうだとすれば、ただ聞いていればいいのだから気も楽だ、とメニューを開いて自分のランチの算段をつけることにした。
「まあ、アイスバーグさんが作る会社は造船会社以外に考えられないですね」
「ンマーな。それで、お前にも手伝ってほしくて」
「え?」
まだ、料理も選んでないのに話の展開が早すぎる。
「手伝うって、何をですか?」
「会社の立ち上げ」
「いやいやいや、情報増えてないです」
注文はお決まりになりましたか? と声をかけてくれた店員さんに、すみませんと頭を下げて、そのまま頭を抱えた。アイスバーグさんは、そんな私を無視するように、俺はボロネーゼが食いたいんだと結構どうでもいいことを報告してくる。そうそう、こういう話で良かったんだよ。ちなみに私もボロネーゼを食べたいけど、口元や飛び散るかもしれないソースがどうしても気になるので、彼の前で食べる勇気はまだなかった。彼は、私が食べるメニューひとつで、なんでこんなにうんうん悩んでいるかってことを知っているけれど、かといって必要以上に優しくないのがありがたかった。
とりあえず、私はチーズリゾットを注文することにして、メニュー問題を片づけてから本題に入る。
「会社の立ち上げの、何を手伝うんです?」
「何って言われると、難しいな」
「なんですか、それ」
普通、困っていることがあって、それを解決してもらいたくて、それができる人に手伝ってもらうのじゃないだろうか。何を手伝ってほしいかわからないのに、手伝ってほしいとはどういうことだろう。哲学か?
「いや、ていうか私、振られてますよね?」
「……ああ、そうだな」
「何回も」
「……ンマー、そうだな」
「私なら何でも言うこと聞くと思ってます?」
彼に限ってそんなことは絶対にないのだが、彼の否定の言葉を聞いて、彼の誠実さに安心したい私はついそんなことを聞いてしまう。アイスバーグさんはすぐに「そんなこと一度だって思ったことない」と言ってくれると思っていたのだが、まさか、目を逸らして考え込んでしまった。
私の方もそんなアイスバーグさんになんて声をかけたらいいのかわからず、運ばれてきたボロネーゼとチーズリゾットを見つめることしかできなくなる。沈黙に耐え切れずに触れたスプーンが、かちゃりと音を立てたのを合図にアイスバーグさんが口を開いた。
「……確かに、この件に関しては似たようなことを、思っていたのかもしれない」
「なんと」
「俺を好いてくれているお前なら二つ返事だと、……そういう甘えがあった」
「重罪すぎる」
お店の中は相変わらずの心地よい喧噪で、私たちのボロネーゼとチーズリゾットは少しずつ熱を失っていく。とりあえず食べましょうか、とスプーンを持ち直しチーズリゾットに向き合った私に、アイスバーグさんの迷いを帯びた声が降りかかる。
「言葉を……、間違えたな」
「なんて?」
「手伝ってほしいんじゃない」
アイスバーグさんは、逸らし続けていた視線をしっかりと私に戻した。視線がかち合って、彼の瞳に私が映り込んでいるのが見える、ような気がする。それくらいまっすぐ私を見つめてくれた。オールバックにしていた髪のひと房が、はらりと落ちてきたが、アイスバーグさんは気にも留めない。薄い、冷たそうな唇が少し震えて、それを振り払うように、小さく、でも確かに言った。
「……側にいてほしいんだ」
「極刑です」
あなた、私のこと振ってますよね!? と周りのテーブルに配慮したうえで出せる最大の音量で食って掛かった。
「そういう女に言って許される言葉だとは思いません。どうしたんですか?」
「……トムさんを、」
彼は絞り出すようにその名を口にした。そして私は、そのあとに続く男の名前も知っている。
「…フランキーを、二人を好きだったやつに、側にいてほしいんだ」
トムさんはともかく、フランキーを好きだったやつなんてなかなかいねぇだろ? とアイスバーグさんは頭をかいた。
二年というのは、たかだか、と括っていい長さだろうか? 少なくとも、私が彼らを失った傷が癒えるには全然足りない、「たかだか」二年だ。それでも、アイスバーグさんはその間休まず爪を研ぎ、今、会社を興そうとしている。
「私のことを振っておいて『側にいてほしい』っていうのはどういうことなんです? 人としては好きだけど、女としては、ってそういうこと?」
「まだ言えない」
「いっつもそればっかり」
いっそのことお前には全く興味がない、かけらも好きになれる気がしない、くらい言ってくれれば、傷ついて傷ついて、それで諦められるかもしれないのに、彼は決して、私の気持ちに応えられない理由を言わなかった。
「嘘をついた方が、お前にとっていいんだろうなってのは、……わかってるんだ。お前のことが嫌いだとか、魅力を感じないとか、とっとと別の男を探せだとか」
「そんなの、ずるい。それじゃあ、まるで」
「でも、無理だ。だめだ。理由は言えない」
「ひどい男」
「『会社の立ち上げ、手伝ってくれるか?』」
「……、……いい男に出会うまでなら」
それでいい、それでいいよ、とアイスバーグさんは心から安心したように笑った。
◆
「ンマー、そんなに嫌そうな顔されたら傷つくだろう?」
「思ってもないこと言わないでください!」
檀上は照明が眩しくて、ステージ下の様子がよくわからない。
創立一周年パーティーの式次第を渡されながら、カリファさんからこの催しを説明された日の記憶がよみがえる。壇上で紹介されるほどのことはしていないと突っぱねたら、カリファさんが「社長が全員から了承を得て来いと…」と悲しそうな顔するものだから、仕方なく受けたけど、お腹でも壊せばよかった。そう苦々しく思いながら、目の前の主犯を睨む。
「ンマー、……本当に。感謝してるんだ」
「何もしてないですって……」
そこでアイスバーグさんがまた頬を寄せてくる。壇上でこれ以上悪目立ちするのも嫌だと思い、諦めて受け入れることにした。耳元でアイスバーグさんの低い声が、ほとんど息だけだったけど響いた。
「側にいてくれただろう?」
いい男が見つかったら言えよ? という彼の言葉で浮かんだ顔を振り払うように、彼のキスを頬で受ける。おしまい
← →
ガレーラカンパニー創立一周年記念パーティーは、社長であるアイスバーグさんが市長に推薦されたことも相まって、一層賑やかで華やかな場となった。貸し切ったホールには料理と酒が所狭しと並べられ、至る所に花が飾ってある。カクとパウリーは、「創立記念パーティーなんて畏まった場に盛装してまで行きたくない」というベテラン職人たちから会場に無理矢理押し込められる形で参加していた。首元まで留めたシャツのボタンと巻いたネクタイには、この一晩だけでは慣れる気がしない。
会場の前の方で、カリファが「それでは社長から創立メンバーを紹介してもらいましょう」と式次第を読み上げると、マイクを受け取ったアイスバーグさんが「この会社を立ち上げられたのは彼らのおかげだ。改めて感謝する」と幾人かの名前を呼び、彼らに壇上へ上がるよう促していく。 そこにはアイスバーグさんを睨みつけるウカも含まれていた。アイスバーグさんはそんなウカの視線もお構いなしで「何なら手を引こうか?」などと話しかけ、差し伸べた手をウカに叩かれていた。ウカは気乗りしない様子でステージにあがると、既に並んでいた別の創立メンバーに、まあまあと窘められている。
「パウリー、お前、知っておったか?」
「あァ? ウカが創立メンバーだってことか?」
「そうなのか?」
「あいつは別に大したことはしてない、って言ってたけどな」
俺だって何度も手伝わせてくれって頼み込んだのによぉ! まあ、入社できたからもういいけどな、などと言うパウリーの言葉は右から左に抜けていく。
カクの目は、感謝と労い、思い出話や苦労話、そしてこれからもよろしく頼むという言葉とともに、アイスバーグさんから壇上でチークキスされそうになっているウカに釘付けだ。
八年前・春
「会社を立ち上げようと思っててな」
久しぶりに飯でも、と言われて、浮かれる気持ちを必死に押し殺して席に着くと、アイスバーグさんは私の分の水が運ばれて来る前にそう言った。私は大層驚いたが、それを落ち着けるための水すらない。
「会社、ですか」私が間の抜けた声で繰り返す頃、やっと水が運ばれてくる。
「ああ。造船会社」
今はお昼時をちょっとすぎたくらいで、お店はすごく混んでいるというわけではなかったけど、昼間で、明るくて、適度にがやがやとしていて、誰もが自分たちの料理と会話に夢中だったから、色んなことを話すにはちょうど良さそうだった。
運ばれてきた水をごくごくと飲みながら考える。私はこれから何を聞かされるのだろう。会社立ち上げの不安なんてものは彼に限ってないだろう。故に、私に何か相談するということも考えられない。そもそも彼の問題を解決できるような力が私にあるとは思えない。そこまで考えて、私の人生では絶対にありえないことだけれども、彼にとっては「会社立ち上げ」なんてものは、近況報告程度の話題なのかもしれないなと思い直した。
そうだとすれば、ただ聞いていればいいのだから気も楽だ、とメニューを開いて自分のランチの算段をつけることにした。
「まあ、アイスバーグさんが作る会社は造船会社以外に考えられないですね」
「ンマーな。それで、お前にも手伝ってほしくて」
「え?」
まだ、料理も選んでないのに話の展開が早すぎる。
「手伝うって、何をですか?」
「会社の立ち上げ」
「いやいやいや、情報増えてないです」
注文はお決まりになりましたか? と声をかけてくれた店員さんに、すみませんと頭を下げて、そのまま頭を抱えた。アイスバーグさんは、そんな私を無視するように、俺はボロネーゼが食いたいんだと結構どうでもいいことを報告してくる。そうそう、こういう話で良かったんだよ。ちなみに私もボロネーゼを食べたいけど、口元や飛び散るかもしれないソースがどうしても気になるので、彼の前で食べる勇気はまだなかった。彼は、私が食べるメニューひとつで、なんでこんなにうんうん悩んでいるかってことを知っているけれど、かといって必要以上に優しくないのがありがたかった。
とりあえず、私はチーズリゾットを注文することにして、メニュー問題を片づけてから本題に入る。
「会社の立ち上げの、何を手伝うんです?」
「何って言われると、難しいな」
「なんですか、それ」
普通、困っていることがあって、それを解決してもらいたくて、それができる人に手伝ってもらうのじゃないだろうか。何を手伝ってほしいかわからないのに、手伝ってほしいとはどういうことだろう。哲学か?
「いや、ていうか私、振られてますよね?」
「……ああ、そうだな」
「何回も」
「……ンマー、そうだな」
「私なら何でも言うこと聞くと思ってます?」
彼に限ってそんなことは絶対にないのだが、彼の否定の言葉を聞いて、彼の誠実さに安心したい私はついそんなことを聞いてしまう。アイスバーグさんはすぐに「そんなこと一度だって思ったことない」と言ってくれると思っていたのだが、まさか、目を逸らして考え込んでしまった。
私の方もそんなアイスバーグさんになんて声をかけたらいいのかわからず、運ばれてきたボロネーゼとチーズリゾットを見つめることしかできなくなる。沈黙に耐え切れずに触れたスプーンが、かちゃりと音を立てたのを合図にアイスバーグさんが口を開いた。
「……確かに、この件に関しては似たようなことを、思っていたのかもしれない」
「なんと」
「俺を好いてくれているお前なら二つ返事だと、……そういう甘えがあった」
「重罪すぎる」
お店の中は相変わらずの心地よい喧噪で、私たちのボロネーゼとチーズリゾットは少しずつ熱を失っていく。とりあえず食べましょうか、とスプーンを持ち直しチーズリゾットに向き合った私に、アイスバーグさんの迷いを帯びた声が降りかかる。
「言葉を……、間違えたな」
「なんて?」
「手伝ってほしいんじゃない」
アイスバーグさんは、逸らし続けていた視線をしっかりと私に戻した。視線がかち合って、彼の瞳に私が映り込んでいるのが見える、ような気がする。それくらいまっすぐ私を見つめてくれた。オールバックにしていた髪のひと房が、はらりと落ちてきたが、アイスバーグさんは気にも留めない。薄い、冷たそうな唇が少し震えて、それを振り払うように、小さく、でも確かに言った。
「……側にいてほしいんだ」
「極刑です」
あなた、私のこと振ってますよね!? と周りのテーブルに配慮したうえで出せる最大の音量で食って掛かった。
「そういう女に言って許される言葉だとは思いません。どうしたんですか?」
「……トムさんを、」
彼は絞り出すようにその名を口にした。そして私は、そのあとに続く男の名前も知っている。
「…フランキーを、二人を好きだったやつに、側にいてほしいんだ」
トムさんはともかく、フランキーを好きだったやつなんてなかなかいねぇだろ? とアイスバーグさんは頭をかいた。
二年というのは、たかだか、と括っていい長さだろうか? 少なくとも、私が彼らを失った傷が癒えるには全然足りない、「たかだか」二年だ。それでも、アイスバーグさんはその間休まず爪を研ぎ、今、会社を興そうとしている。
「私のことを振っておいて『側にいてほしい』っていうのはどういうことなんです? 人としては好きだけど、女としては、ってそういうこと?」
「まだ言えない」
「いっつもそればっかり」
いっそのことお前には全く興味がない、かけらも好きになれる気がしない、くらい言ってくれれば、傷ついて傷ついて、それで諦められるかもしれないのに、彼は決して、私の気持ちに応えられない理由を言わなかった。
「嘘をついた方が、お前にとっていいんだろうなってのは、……わかってるんだ。お前のことが嫌いだとか、魅力を感じないとか、とっとと別の男を探せだとか」
「そんなの、ずるい。それじゃあ、まるで」
「でも、無理だ。だめだ。理由は言えない」
「ひどい男」
「『会社の立ち上げ、手伝ってくれるか?』」
「……、……いい男に出会うまでなら」
それでいい、それでいいよ、とアイスバーグさんは心から安心したように笑った。
◆
「ンマー、そんなに嫌そうな顔されたら傷つくだろう?」
「思ってもないこと言わないでください!」
檀上は照明が眩しくて、ステージ下の様子がよくわからない。
創立一周年パーティーの式次第を渡されながら、カリファさんからこの催しを説明された日の記憶がよみがえる。壇上で紹介されるほどのことはしていないと突っぱねたら、カリファさんが「社長が全員から了承を得て来いと…」と悲しそうな顔するものだから、仕方なく受けたけど、お腹でも壊せばよかった。そう苦々しく思いながら、目の前の主犯を睨む。
「ンマー、……本当に。感謝してるんだ」
「何もしてないですって……」
そこでアイスバーグさんがまた頬を寄せてくる。壇上でこれ以上悪目立ちするのも嫌だと思い、諦めて受け入れることにした。耳元でアイスバーグさんの低い声が、ほとんど息だけだったけど響いた。
「側にいてくれただろう?」
いい男が見つかったら言えよ? という彼の言葉で浮かんだ顔を振り払うように、彼のキスを頬で受ける。おしまい
← →
夢小説,長編・連作,ONEPIECE,KISSMEMORE 3847字 No.25
恋はどうにも儘ならぬ #カク
七年前・冬の終わり
カクは海列車には初めて乗るのだと嘘をついた。ただ、二度目でも三度目でも、初めて乗った時と同じ気持ちになるので、まんざら嘘でもないだろう。乗り込むたびに「こりゃいいのう」と思うのだから。
車窓から見える雄大な海と空は、よっぽどの天候でなければ大した変化を見せないが、それでも太陽が反射してきらめく波間を座ってぼうっと見ているのは飽きなかった。加えて船と違うのは、このプライベート感だろう。座席で区切られた空間と、その空間それぞれに設置されている車窓のおかげで、さながら部屋ごと移動している気持ちにさせられる。
本当の初乗車は、潜入任務のためウォーターセブンにやってきたあの日だ。カクは自分と同じように海を眺めているウカをそっと盗み見しながらぼんやりと思い出す。噂には聞いていた海列車。船以外の方法で海を渡るのは初めてで、誰にも言わなかったが内心浮き立つ気持ちだった。
いざ乗ってみると、乗り心地は海の上を滑る船に似ていたが、窓で切り取られた海と空とを眺めながら、ただ座ってとりとめもないことを考えて過ごす時間は、カクにとってはとても良いもので、こりゃいいのう、とひとりほくそ笑んだのだ。
まさに今も、やっぱりいいのう、と思っている。
「見て、ちょうど夕日が沈むところだよ」
「あっちが西かあ」と呟くウカの髪が、額が、瞳が、頬が、唇が、夕日で照らされオレンジ色に染まっている。カクも夕日に目を向ける。遮る雲もない夕日は容赦なく輝いており、反射光と相まってまばゆいばかりだった。圧倒的な光量に思わず顔をしかめてしまう。こんなに美しいのに。直視できない。
「カクさんの髪、ますます綺麗だね」
カクが夕日に目を細めているうちに、ウカはいつの間にか夕日からカクへの視線を移し、夕日色に染まった頬を緩めカクを見つめていた。女性を褒めるようなウカの物言いに、カクはほんの少しだけひっかかりを覚える。彼女は自分のことをどう思っているのか。それとなく好意は伝えてきたはずだが、ウカから距離を縮めてくるようなことはない。
「プッチはさすが、美食の町じゃったのう」
「美味しかったねえ」
「あのタルタルソースがかかったチキンのやつ、美味しかったあ。ていうかタルタルソースが美味しかった! なんだろう、ピクルスが違うのかなあ?」といつもより早口で、それなのに語尾が緩んだまま捲し立てるウカはいつも以上に上機嫌だ。昼酒と別の島、というのが効いたのかもしれない。
ふと、ウカはカクと飲みに行っても、酔っぱらって普段と態度が変わる、ということがなかったなと気がつく。普段からニコニコと明るく愉快で、それはそのまま酒の席でも同じだ。カクは若者らしさを損なわない程度に好きに飲むようにしていたが、ウカはどうだったのだろう。自分以外の男と飲んでも、同じなのだろうか。カクはそこまで考えて、別に「男」に限ることはなかったか、と思い直す。
「このあとはどうする? 夜はこれからじゃし、余裕があるならブルーノの店にでも顔を出すか?」
「いいねえ。最後は馴染みの味で締めようか」
間もなくブルーステーション、ブルーステーション……というアナウンスを聞きながら、まだ肌寒い街中へ繰り出すための準備をする。
◆
「カクさん……?」
怪訝そうなウカの声に、カクはふっと我に返った。やりすぎた、そう思ったときにはもう遅い。テーブルの上で白目を向いている粗野な男から視線をはずしてウカを見ると、グラスを両手で抱えるようにしながら、眉を落としていた。ブルーノの、やれやれ、といった視線が痛い。まるで子供の癇癪を見守る親のようで癪に障る。
「ブルーノ、騒いで悪かったの」
「詫びはそちらの海賊さんから貰っておくよ」
「ウカ、行こう」と声をかけて店のウェスタンドアを押すと、ウカがブルーノにぺこりとお辞儀をしながら駆け寄ってくる。店のなかからは「はいはい、海賊さん。起きて起きて」というブルーノの声がする。 まだ夜更けというような時間ではなかったが、今夜は新月で夜道はいつもより暗い。予定より早く店を後にしてしまったので、あてもなく歩くことになった。ウカのヒールの音だけが石畳にコツコツと響く。
「カクさん、ありがとう。困ってたから助かった」
「あやつ、ウカに酌をさせようなぞ身の程知らずが。万死に値するわい」
「カクさんも強いんだね。ちょっと、死んじゃうかと思った」
カクは、自分の血の気配が悟られたようで、ぎくり、とすると同時に、ルッチの「わかってるだろうな」という脅迫と、カリファの「入れ込みすぎちゃだめよ」という忠告が脳内で交互にリフレインした。ウカはそんなカクの冷や汗には気づかずに「男の子って、どうやって戦えるようになるの? パウリーもさ、いつの間にか強くなっててびっくりしちゃう」と問うてくる。だが、答えを求めるような質問ではなかったようで、カクの強さの理由はすぐに別の言葉でうやむやになる。
「うまくやれなくてごめんね。お手を煩わせてしまいまして……」
「そんなこと。ウカが謝ることじゃないじゃろ」
「つい、笑ってやり過ごそうとしちゃってね。心のなかでは、もし手に銃があったら撃ってる、って思ってるのに」
「そうじゃったのか?」
そうだよ、と笑うウカの笑顔は先ほど酒場で見せていた笑顔と同じに見える。
しつこく酌を迫られていたウカは困っているようには見えたが、比喩にしろ殺意を抱くほどの怒りを募らせていたようには見えなかった。見抜けない自分はまだまだ、ということなのか。それとも、彼女が失礼な男に笑いかけているのを見て、つい手が出るほどあの男に苛立ちを覚え観察眼が鈍っているのか。
「必要があって笑っていることだってあるのにね」とウカはまた笑う。
「今は? 笑っとるようじゃけど」
「今は、嬉しくて笑っています」
「本当か?」
「疑り深いなあ。本当に。嬉しかったです」
「……恋人面しやがって、とか思わんかったか?」
「なにそれ!」
ウカが吹き出すがそれだけで、答えは得られなかった。代わりに「海が見えてきたよ」と真っ黒な海を指差す。
初めは正直誰でも、一緒にいて不快でない女性なら十分だった。早くこの島に馴染んで、人脈を広げ、噂が自然と耳に入ってくるように、何かを訊ねても怪しまれないように。ただでさえ面倒な潜入任務などさっさと済ませてしまいたかった。
潜入任務の開始から五日ばかりでしっかり会話できた女性がウカだった。ちょうどいいと思ったのも事実だが、そもそも親切で感じが良かった。自分の仕事はここからここまで、と線を引かない姿勢も好ましく感じた。お礼にと食事に誘うと二つ返事で、気構えていないのが気楽でよかった。
パウリーの冗談にのってやったのは、ウカに好かれて困ることはないと思ったからだ。ここで意識させれば、話が早いと思った。例え関係が悪くなっても、どうせ自分は期間限定の船大工。任務にさえ支障が出なければいいのだし、支障が出るようなら排除の手段はいくらでもあった。
誤算だったのは、キスされて真っ赤になったウカに、自分があんなに心奪われるとは思っていなかったことだ。話が違う、と思った。ほんの少し手に唇が触れただけだったのに、大人だと思っていた彼女が、幼い少女のように頬を紅潮させ、耳まで赤くして汗ばむ姿に、目が離せなくなった。今更気が付いても後の祭りだが、そういえば、任務で色仕掛けじみたことをしたのは今回が初めてだ。こうなってしまっては。好きになってしまっては、もう下手に手が出せない。
『わかってるだろうな?』
『なんの話じゃ?』
『好かれるんだ。好きになるんじゃない』
『入れ込みすぎちゃだめよ』
『なんの話じゃ?』
『辛くなるだけじゃない』
ルッチの睨み顔とカリファの困り顔を思い出しながら、苦笑する。
「ウカは……、」カクは思わず声に出していた。「んー?」とのんきなウカの声が返ってくる。
「好きなやつがおるんじゃろ? でも、そいつとはうまくいかんのじゃな」
「えっ、……なんでそんな風に思うの? 私そんなにわかりやすい?」
「ワハハ、今のでわかった」
それは反則でしょう!?とウカが拳を振り上げる。
本当は何となくわかっていた。今の答えで確信に変わっただけだ。
「そいつのことは諦めきれんのか?」
「……、我ながら自分のしつこさに呆れてるよ」
「そんなにずっと好きなのか。ままならんもんじゃのう」
「ふふっ、大人みたいなこと言って」
「ウカ、」
向き合ったウカの肩にそっと両手を置くが、ウカはその手をちらりと見ただけで、振り払ったりしなかった。夕日に照らされて輝いていたウカの髪は、額は、瞳は、頬は、唇は、今は遠くの街灯がぼんやりと映し出す程度で、触れていないと不安だった。
「わしじゃ、駄目なのか?」
「そんなことっ……!」
我ながらずるい聞き方だと情けなくなる。だが、こうでもしないと。
「いいのなら、このままじっとしていてくれ」
体を屈めながら、そっと唇を寄せていく。ウカの両肩がこわばり、体に力が入ったのがわかった。でも、ウカは動かない。そのまま距離を詰めると冷えた鼻先が、す、とウカの肌を掠めた。
「や、やっぱり……!」
肌が触れたのをきっかけに、ウカが自分の胸に両手を添えるようにする。だが、ずるい。彼女は自分を押し戻すことなく、ただ手を添えるだけだ。これで抵抗したと言うつもりだろうか。気づかないふりをしてそのまま口づけを交わそうとする。彼女の唇まで指三本分。あと少し。
「カクさんッ」
ウカはカクの口元を塞ぐように手を押し当てた。その状態で数秒。ウカの申し訳なさそうに困った瞳にカクの顔が映る。
「ふまん、ふまん、わうかった」
これはさすがに、降参だ。カクは謝罪の言葉を口にする。ウカはすぐ手を離した。そして「ごめんね」と俯く。何に対する『ごめん』なのかは聞かない。
カクはその隙を逃すまい、とウカの額に掠めるようなキスをする。ちゅっ、と音だけ響いた。
「カクさん!?」
「わしもまだ諦めんぞ」
ウカの表情はよくわからない。だが、また初めて食事をしたあの日のように、顔を火照らせているのだろうか。明日にも終わるかもしれない任務。終わればもう、この島には戻らない。それならば。ルッチの言うことなぞ、聞いていられるか。
『好かれるんだ。好きになるんじゃない』
そんなこと、出来たら苦労せんわ。おしまい
← →
七年前・冬の終わり
カクは海列車には初めて乗るのだと嘘をついた。ただ、二度目でも三度目でも、初めて乗った時と同じ気持ちになるので、まんざら嘘でもないだろう。乗り込むたびに「こりゃいいのう」と思うのだから。
車窓から見える雄大な海と空は、よっぽどの天候でなければ大した変化を見せないが、それでも太陽が反射してきらめく波間を座ってぼうっと見ているのは飽きなかった。加えて船と違うのは、このプライベート感だろう。座席で区切られた空間と、その空間それぞれに設置されている車窓のおかげで、さながら部屋ごと移動している気持ちにさせられる。
本当の初乗車は、潜入任務のためウォーターセブンにやってきたあの日だ。カクは自分と同じように海を眺めているウカをそっと盗み見しながらぼんやりと思い出す。噂には聞いていた海列車。船以外の方法で海を渡るのは初めてで、誰にも言わなかったが内心浮き立つ気持ちだった。
いざ乗ってみると、乗り心地は海の上を滑る船に似ていたが、窓で切り取られた海と空とを眺めながら、ただ座ってとりとめもないことを考えて過ごす時間は、カクにとってはとても良いもので、こりゃいいのう、とひとりほくそ笑んだのだ。
まさに今も、やっぱりいいのう、と思っている。
「見て、ちょうど夕日が沈むところだよ」
「あっちが西かあ」と呟くウカの髪が、額が、瞳が、頬が、唇が、夕日で照らされオレンジ色に染まっている。カクも夕日に目を向ける。遮る雲もない夕日は容赦なく輝いており、反射光と相まってまばゆいばかりだった。圧倒的な光量に思わず顔をしかめてしまう。こんなに美しいのに。直視できない。
「カクさんの髪、ますます綺麗だね」
カクが夕日に目を細めているうちに、ウカはいつの間にか夕日からカクへの視線を移し、夕日色に染まった頬を緩めカクを見つめていた。女性を褒めるようなウカの物言いに、カクはほんの少しだけひっかかりを覚える。彼女は自分のことをどう思っているのか。それとなく好意は伝えてきたはずだが、ウカから距離を縮めてくるようなことはない。
「プッチはさすが、美食の町じゃったのう」
「美味しかったねえ」
「あのタルタルソースがかかったチキンのやつ、美味しかったあ。ていうかタルタルソースが美味しかった! なんだろう、ピクルスが違うのかなあ?」といつもより早口で、それなのに語尾が緩んだまま捲し立てるウカはいつも以上に上機嫌だ。昼酒と別の島、というのが効いたのかもしれない。
ふと、ウカはカクと飲みに行っても、酔っぱらって普段と態度が変わる、ということがなかったなと気がつく。普段からニコニコと明るく愉快で、それはそのまま酒の席でも同じだ。カクは若者らしさを損なわない程度に好きに飲むようにしていたが、ウカはどうだったのだろう。自分以外の男と飲んでも、同じなのだろうか。カクはそこまで考えて、別に「男」に限ることはなかったか、と思い直す。
「このあとはどうする? 夜はこれからじゃし、余裕があるならブルーノの店にでも顔を出すか?」
「いいねえ。最後は馴染みの味で締めようか」
間もなくブルーステーション、ブルーステーション……というアナウンスを聞きながら、まだ肌寒い街中へ繰り出すための準備をする。
◆
「カクさん……?」
怪訝そうなウカの声に、カクはふっと我に返った。やりすぎた、そう思ったときにはもう遅い。テーブルの上で白目を向いている粗野な男から視線をはずしてウカを見ると、グラスを両手で抱えるようにしながら、眉を落としていた。ブルーノの、やれやれ、といった視線が痛い。まるで子供の癇癪を見守る親のようで癪に障る。
「ブルーノ、騒いで悪かったの」
「詫びはそちらの海賊さんから貰っておくよ」
「ウカ、行こう」と声をかけて店のウェスタンドアを押すと、ウカがブルーノにぺこりとお辞儀をしながら駆け寄ってくる。店のなかからは「はいはい、海賊さん。起きて起きて」というブルーノの声がする。 まだ夜更けというような時間ではなかったが、今夜は新月で夜道はいつもより暗い。予定より早く店を後にしてしまったので、あてもなく歩くことになった。ウカのヒールの音だけが石畳にコツコツと響く。
「カクさん、ありがとう。困ってたから助かった」
「あやつ、ウカに酌をさせようなぞ身の程知らずが。万死に値するわい」
「カクさんも強いんだね。ちょっと、死んじゃうかと思った」
カクは、自分の血の気配が悟られたようで、ぎくり、とすると同時に、ルッチの「わかってるだろうな」という脅迫と、カリファの「入れ込みすぎちゃだめよ」という忠告が脳内で交互にリフレインした。ウカはそんなカクの冷や汗には気づかずに「男の子って、どうやって戦えるようになるの? パウリーもさ、いつの間にか強くなっててびっくりしちゃう」と問うてくる。だが、答えを求めるような質問ではなかったようで、カクの強さの理由はすぐに別の言葉でうやむやになる。
「うまくやれなくてごめんね。お手を煩わせてしまいまして……」
「そんなこと。ウカが謝ることじゃないじゃろ」
「つい、笑ってやり過ごそうとしちゃってね。心のなかでは、もし手に銃があったら撃ってる、って思ってるのに」
「そうじゃったのか?」
そうだよ、と笑うウカの笑顔は先ほど酒場で見せていた笑顔と同じに見える。
しつこく酌を迫られていたウカは困っているようには見えたが、比喩にしろ殺意を抱くほどの怒りを募らせていたようには見えなかった。見抜けない自分はまだまだ、ということなのか。それとも、彼女が失礼な男に笑いかけているのを見て、つい手が出るほどあの男に苛立ちを覚え観察眼が鈍っているのか。
「必要があって笑っていることだってあるのにね」とウカはまた笑う。
「今は? 笑っとるようじゃけど」
「今は、嬉しくて笑っています」
「本当か?」
「疑り深いなあ。本当に。嬉しかったです」
「……恋人面しやがって、とか思わんかったか?」
「なにそれ!」
ウカが吹き出すがそれだけで、答えは得られなかった。代わりに「海が見えてきたよ」と真っ黒な海を指差す。
初めは正直誰でも、一緒にいて不快でない女性なら十分だった。早くこの島に馴染んで、人脈を広げ、噂が自然と耳に入ってくるように、何かを訊ねても怪しまれないように。ただでさえ面倒な潜入任務などさっさと済ませてしまいたかった。
潜入任務の開始から五日ばかりでしっかり会話できた女性がウカだった。ちょうどいいと思ったのも事実だが、そもそも親切で感じが良かった。自分の仕事はここからここまで、と線を引かない姿勢も好ましく感じた。お礼にと食事に誘うと二つ返事で、気構えていないのが気楽でよかった。
パウリーの冗談にのってやったのは、ウカに好かれて困ることはないと思ったからだ。ここで意識させれば、話が早いと思った。例え関係が悪くなっても、どうせ自分は期間限定の船大工。任務にさえ支障が出なければいいのだし、支障が出るようなら排除の手段はいくらでもあった。
誤算だったのは、キスされて真っ赤になったウカに、自分があんなに心奪われるとは思っていなかったことだ。話が違う、と思った。ほんの少し手に唇が触れただけだったのに、大人だと思っていた彼女が、幼い少女のように頬を紅潮させ、耳まで赤くして汗ばむ姿に、目が離せなくなった。今更気が付いても後の祭りだが、そういえば、任務で色仕掛けじみたことをしたのは今回が初めてだ。こうなってしまっては。好きになってしまっては、もう下手に手が出せない。
『わかってるだろうな?』
『なんの話じゃ?』
『好かれるんだ。好きになるんじゃない』
『入れ込みすぎちゃだめよ』
『なんの話じゃ?』
『辛くなるだけじゃない』
ルッチの睨み顔とカリファの困り顔を思い出しながら、苦笑する。
「ウカは……、」カクは思わず声に出していた。「んー?」とのんきなウカの声が返ってくる。
「好きなやつがおるんじゃろ? でも、そいつとはうまくいかんのじゃな」
「えっ、……なんでそんな風に思うの? 私そんなにわかりやすい?」
「ワハハ、今のでわかった」
それは反則でしょう!?とウカが拳を振り上げる。
本当は何となくわかっていた。今の答えで確信に変わっただけだ。
「そいつのことは諦めきれんのか?」
「……、我ながら自分のしつこさに呆れてるよ」
「そんなにずっと好きなのか。ままならんもんじゃのう」
「ふふっ、大人みたいなこと言って」
「ウカ、」
向き合ったウカの肩にそっと両手を置くが、ウカはその手をちらりと見ただけで、振り払ったりしなかった。夕日に照らされて輝いていたウカの髪は、額は、瞳は、頬は、唇は、今は遠くの街灯がぼんやりと映し出す程度で、触れていないと不安だった。
「わしじゃ、駄目なのか?」
「そんなことっ……!」
我ながらずるい聞き方だと情けなくなる。だが、こうでもしないと。
「いいのなら、このままじっとしていてくれ」
体を屈めながら、そっと唇を寄せていく。ウカの両肩がこわばり、体に力が入ったのがわかった。でも、ウカは動かない。そのまま距離を詰めると冷えた鼻先が、す、とウカの肌を掠めた。
「や、やっぱり……!」
肌が触れたのをきっかけに、ウカが自分の胸に両手を添えるようにする。だが、ずるい。彼女は自分を押し戻すことなく、ただ手を添えるだけだ。これで抵抗したと言うつもりだろうか。気づかないふりをしてそのまま口づけを交わそうとする。彼女の唇まで指三本分。あと少し。
「カクさんッ」
ウカはカクの口元を塞ぐように手を押し当てた。その状態で数秒。ウカの申し訳なさそうに困った瞳にカクの顔が映る。
「ふまん、ふまん、わうかった」
これはさすがに、降参だ。カクは謝罪の言葉を口にする。ウカはすぐ手を離した。そして「ごめんね」と俯く。何に対する『ごめん』なのかは聞かない。
カクはその隙を逃すまい、とウカの額に掠めるようなキスをする。ちゅっ、と音だけ響いた。
「カクさん!?」
「わしもまだ諦めんぞ」
ウカの表情はよくわからない。だが、また初めて食事をしたあの日のように、顔を火照らせているのだろうか。明日にも終わるかもしれない任務。終わればもう、この島には戻らない。それならば。ルッチの言うことなぞ、聞いていられるか。
『好かれるんだ。好きになるんじゃない』
そんなこと、出来たら苦労せんわ。おしまい
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夢小説,長編・連作,ONEPIECE,KISSMEMORE 4358字 No.24
来年の今月今夜は神のみぞ知る #カク
七年前・冬
今日は恋人たちの日。
ウカは赤い薔薇の花束を持った男性が待ち合わせ場所に駆けていくのを目にして、やっぱり今日だよね、と諦めに似た気持ちを覚えた。腕時計に目をやりながら、ショーウインドウで前髪を直す女性や、早足で人並みをすり抜けていく男性。街全体がその雰囲気にのまれている、というほどではないけれど、いつもとは確実に様子の違う街の空気に、のまれるものかと足を突っ張りたくなる。
残念ながらというのは語弊があるかもしれないが、ウカにとっては、ここ何年もずっと縁のない日だったのだが、今年は少し違った。なんと、カクからご飯に誘われているのだ。
いつもの調子で「明後日の夜、もし空いてたらメシでも食べに行かんか?」と誘われたものだから、ウカは結構かなり困っている。カクは今日がなんの日か知っていて、誘ったのだろうか。ウカにはわからなかったし、確認する勇気もウカにはなかった。結局、ウカは、全然なんにも意識していないですよ、という空気を精一杯だして「お、いいね」とだけ言って了承した。
待ち合わせた店に早めに着いてしまったウカは、感じのいい店員にカクに予約してもらった席へと通されながら、横目ですでに店内で食事を楽しむカップルたちの様子を窺った。ウカよりずっと若く見える子達も含め、みな気安い雰囲気で思い思いに「今日」という日の食事を楽しんでいるように見える。
ウカは、いい年をして思春期の女の子みたいに、内心どぎまぎしていることが急に恥ずかしくなった。でも、許してほしい、とも思う。なぜなら、ウカの育った東の海の小さな島国では、今日は「女の子が好きな男の子に告白する日」だったのだ。三つ子の魂、ではないが、住む場所が変わって、ウォーターセブンにそんな文化はなくても、ウカはそれをなんとなく気にしてしまう。
ウカは、カクが自分の手にほんの軽く唇を寄せてくれた時から、彼に対してなんだかむずむずとした気持ちを抱えてはいる。だが、ずっと希望を見いだせない恋、いや、もはや執着と言っても差し支えないような思いをここ何年もずっと引きずっていたせいか、正直、恋とはどんなものかしら? といった具合で、ここからどう進めたいのか自分でもわからなくなっていた。
一緒にいて楽しい、とウカは思う。だが、それだけで進むのは、もう怖い。
カクはカクで、あの後気まずくなるでもなく、かといって距離が縮まるでもなく、仕事の話をしたり、最近読んだ本を教え合ったりしながら、海列車でプッチに足を伸ばして新しいお店を開拓してみたりとするだけで、楽しく「お友達」を継続中だった。
このままが、いいよね? ウカは自分に言い聞かせるように自問した。誰も答えてはくれない。
◆
「はは、待たせたの」
カクの荒い息交じりの声と一緒に、肩越しに差し出されたのは一輪の薔薇だった。紅く、柔らかにうっとりと広がる瑞々しい花弁も見事で目を奪われるが、何より「今日」という日に自分の目の前に薔薇の花が現れたことに息を呑む。
「び、っくりした……」と、ウカがようやく振り返ると、満足そうに「成功じゃ」と笑うカクと目が合った。驚き冷めやらぬウカがお礼を言うタイミングを失っているうちに、カクは、どっこらしょ、とウカの前に座る。テーブルの下はほとんどカクの足で埋まってしまい、ウカは足が絡まるんじゃないかとひやひやした。
「今日は、恋人たちの日? なんじゃろ? ささやかじゃけども」
カクは照れる様子もなく、晴れ晴れとした顔で言った。こういうとこあるよな、とウカはカクの不意打ちにまんまとしてやられる。なんとか「ううん、もう、とんでもなく嬉しい」と答えてみせるが、カクは「そりゃ良かった」と余裕の表情だ。
もうメニューは見とったか? せっかくだしバレンタインメニューにするかの、と無邪気なカクとの温度差にウカはますます気恥ずかしさが募っていく。
実は、ウカも三つ子の魂にならって、チョコレートをプレゼントしようと準備しているのだ。ウカの生まれた島では、チョコレートを渡して告白、だったが、そんなつもりはない。ただ、なんでもないふうに、お礼の気持ちでさらっと渡せたらと思っていたのに、初っぱなから正解を見せつけられ、ウカは出鼻を挫かれた。完全にタイミングを失ったウカは気もそぞろに「そうだね、せっかくだしね」とバレンタインメニューを頼むことにする。
◆
「はああ、旨かったのう。バレンタイン限定なのが残念じゃ」
「今日頼まなかったメニューも気になるし、また来よう」
「そうじゃな」
ティラミスを食べ終わったら、今夜は終わりだろうか。ウカは、結局渡せずにいるバッグの中のチョコレートを思い浮かべながら、ティラミスを口に運ぶ。告白なんてものをするわけじゃない、ただちょっとしたものを日々のお礼に渡したいだけなのに、妙に意識してしまう。渡せばいいだけ、渡せばいいだけ、ウカは心のなかでそう唱えてみるが、唱えるほどに体温が上がるような気がした。
「デザートに甘いものも食べたいのう」
「へ? いま、ティラミスを……」
「わしはチョコレートがいいんじゃけど」
カクが唐突に言うので、ウカは再び「へ?」と間抜けな声を出した。カクは頬杖をしたまま片眉をあげて、謎めいた笑みを浮かべながらウカを見つめている。
「チョコレート。誰に渡すんじゃ?」
「なんで、わかるの?」
「昨日、うんうん唸りながら悩んで買っとるところを見かけたもんで」
ウカは、そんな……と、呻きながら、一瞬で耳まで紅潮した顔を隠すように手で覆って伏せた。買うところから見られていたなんて、とウカは昨日の自分を思いだす。カクの言う通り、価格や色形、種類、フレーバー、全てにおいて悩んで悩んで決めたのだ。ウカが頭を抱えてカクの顔を見られずにいると、テーブルの下で二人の足が絡んだ。いや、カクがウカに足を絡めた。ウカは反射的に顔をあげてしまい、全てを見透かしたようなカクの視線に射抜かれる。
「なァ? それは、誰にやるチョコなんじゃ?」
カクはウカを逃がさない。
「……カクさんにあげようと思って買ったやつ、ですよ」
ウカが観念して白状すると、カクはくしゃっと笑って「よかった!」とはしゃいだ。ウカは、よかった、ってどういうことだろうと思いつつも、早う早うとせかしてくるカクでうやむやになる。なんだ、こんなに喜んでくれるなら、さっさと渡せば良かった。ウカは、バッグから手のひらサイズの小箱を取り出して「いつもありがとう」と言って手渡した。
「よし、店を出たらちょっと一緒に食べんか?」
「え? いいの?」
「だってこれ、美味しいやつじゃろ?」
カクのシンプルな「美味しいやつ」という言い方に、ウカはなんだかほっとした。「美味しいやつ」を一緒に食べようって言ってくれる人なんだよなあ、としみじみしながら、いそいそとお会計の準備をするカクに続いて、ウカは慌てて席を立つ。
◆
街は、やはりいつもより浮ついているような気がした。まだ眠らないぞ、という気概を感じる。とはいえ、風は冬らしく乾いて冷たく、近くの店で急いでホットコーヒーをテイクアウトして、広場のベンチに腰かけた。カクはウカからもらったチョコレートをコートのポケットから大事そうに取り出す。
「ふは、高そうでうまそうじゃの~」
「ふふっ、そうだね。ちょっと奮発したよ」
無事渡せてほっとしたことで、ウカも軽口を叩けるようになってきた。楽しみじゃのう、と言いながら、カクが長い指で赤いリボンをつまみ、しゅるしゅるとほどいていく。カクのうきうきした様子に、やっぱり準備して良かったなとウカがほっとしたのも束の間、箱を開けたカクは開口一番、
「ハートじゃない……」
「え?」
「ハートじゃないんか?」
と縋るような瞳をウカに向けた。確かにウカが選んだチョコレートは、ミルク、ビター、キャラメル……といくつかのフレーバーが楽しめるもので、全部一口サイズの四角いチョコだった。けれど。
「は、ハート? いやあ、ハートのは……お店になくて……」
「……本当に?」
カクに探るような目を向けられたウカは弱かった。あっさりと両手をあげ、降参のポーズをとり、「すみません、恥ずかしくて無理でした」と素直に謝る。カクは「はああああ、楽しみにしとったのに!」と大げさに悲しんでから、ウカの唇にチョコレートを一つ摘まんで押し付けた。ウカが反射で口を開けると、カクがチョコレートを放り込む。
「来年は頼んだぞ」
何でもないふうにカクは言うが、ウカは、カクの来年に当たり前のように自分がいるのがたまらなく嬉しい。しかも、ハートのチョコをご所望だ。
相変わらずウカの気持ちは定まらず、なんて返事をしたいのか自分でもまだわからない。ひとまず口の中のチョコレートが溶けきらぬうちは、このまま。
……このままが、いいの?おしまい
← →
七年前・冬
今日は恋人たちの日。
ウカは赤い薔薇の花束を持った男性が待ち合わせ場所に駆けていくのを目にして、やっぱり今日だよね、と諦めに似た気持ちを覚えた。腕時計に目をやりながら、ショーウインドウで前髪を直す女性や、早足で人並みをすり抜けていく男性。街全体がその雰囲気にのまれている、というほどではないけれど、いつもとは確実に様子の違う街の空気に、のまれるものかと足を突っ張りたくなる。
残念ながらというのは語弊があるかもしれないが、ウカにとっては、ここ何年もずっと縁のない日だったのだが、今年は少し違った。なんと、カクからご飯に誘われているのだ。
いつもの調子で「明後日の夜、もし空いてたらメシでも食べに行かんか?」と誘われたものだから、ウカは結構かなり困っている。カクは今日がなんの日か知っていて、誘ったのだろうか。ウカにはわからなかったし、確認する勇気もウカにはなかった。結局、ウカは、全然なんにも意識していないですよ、という空気を精一杯だして「お、いいね」とだけ言って了承した。
待ち合わせた店に早めに着いてしまったウカは、感じのいい店員にカクに予約してもらった席へと通されながら、横目ですでに店内で食事を楽しむカップルたちの様子を窺った。ウカよりずっと若く見える子達も含め、みな気安い雰囲気で思い思いに「今日」という日の食事を楽しんでいるように見える。
ウカは、いい年をして思春期の女の子みたいに、内心どぎまぎしていることが急に恥ずかしくなった。でも、許してほしい、とも思う。なぜなら、ウカの育った東の海の小さな島国では、今日は「女の子が好きな男の子に告白する日」だったのだ。三つ子の魂、ではないが、住む場所が変わって、ウォーターセブンにそんな文化はなくても、ウカはそれをなんとなく気にしてしまう。
ウカは、カクが自分の手にほんの軽く唇を寄せてくれた時から、彼に対してなんだかむずむずとした気持ちを抱えてはいる。だが、ずっと希望を見いだせない恋、いや、もはや執着と言っても差し支えないような思いをここ何年もずっと引きずっていたせいか、正直、恋とはどんなものかしら? といった具合で、ここからどう進めたいのか自分でもわからなくなっていた。
一緒にいて楽しい、とウカは思う。だが、それだけで進むのは、もう怖い。
カクはカクで、あの後気まずくなるでもなく、かといって距離が縮まるでもなく、仕事の話をしたり、最近読んだ本を教え合ったりしながら、海列車でプッチに足を伸ばして新しいお店を開拓してみたりとするだけで、楽しく「お友達」を継続中だった。
このままが、いいよね? ウカは自分に言い聞かせるように自問した。誰も答えてはくれない。
◆
「はは、待たせたの」
カクの荒い息交じりの声と一緒に、肩越しに差し出されたのは一輪の薔薇だった。紅く、柔らかにうっとりと広がる瑞々しい花弁も見事で目を奪われるが、何より「今日」という日に自分の目の前に薔薇の花が現れたことに息を呑む。
「び、っくりした……」と、ウカがようやく振り返ると、満足そうに「成功じゃ」と笑うカクと目が合った。驚き冷めやらぬウカがお礼を言うタイミングを失っているうちに、カクは、どっこらしょ、とウカの前に座る。テーブルの下はほとんどカクの足で埋まってしまい、ウカは足が絡まるんじゃないかとひやひやした。
「今日は、恋人たちの日? なんじゃろ? ささやかじゃけども」
カクは照れる様子もなく、晴れ晴れとした顔で言った。こういうとこあるよな、とウカはカクの不意打ちにまんまとしてやられる。なんとか「ううん、もう、とんでもなく嬉しい」と答えてみせるが、カクは「そりゃ良かった」と余裕の表情だ。
もうメニューは見とったか? せっかくだしバレンタインメニューにするかの、と無邪気なカクとの温度差にウカはますます気恥ずかしさが募っていく。
実は、ウカも三つ子の魂にならって、チョコレートをプレゼントしようと準備しているのだ。ウカの生まれた島では、チョコレートを渡して告白、だったが、そんなつもりはない。ただ、なんでもないふうに、お礼の気持ちでさらっと渡せたらと思っていたのに、初っぱなから正解を見せつけられ、ウカは出鼻を挫かれた。完全にタイミングを失ったウカは気もそぞろに「そうだね、せっかくだしね」とバレンタインメニューを頼むことにする。
◆
「はああ、旨かったのう。バレンタイン限定なのが残念じゃ」
「今日頼まなかったメニューも気になるし、また来よう」
「そうじゃな」
ティラミスを食べ終わったら、今夜は終わりだろうか。ウカは、結局渡せずにいるバッグの中のチョコレートを思い浮かべながら、ティラミスを口に運ぶ。告白なんてものをするわけじゃない、ただちょっとしたものを日々のお礼に渡したいだけなのに、妙に意識してしまう。渡せばいいだけ、渡せばいいだけ、ウカは心のなかでそう唱えてみるが、唱えるほどに体温が上がるような気がした。
「デザートに甘いものも食べたいのう」
「へ? いま、ティラミスを……」
「わしはチョコレートがいいんじゃけど」
カクが唐突に言うので、ウカは再び「へ?」と間抜けな声を出した。カクは頬杖をしたまま片眉をあげて、謎めいた笑みを浮かべながらウカを見つめている。
「チョコレート。誰に渡すんじゃ?」
「なんで、わかるの?」
「昨日、うんうん唸りながら悩んで買っとるところを見かけたもんで」
ウカは、そんな……と、呻きながら、一瞬で耳まで紅潮した顔を隠すように手で覆って伏せた。買うところから見られていたなんて、とウカは昨日の自分を思いだす。カクの言う通り、価格や色形、種類、フレーバー、全てにおいて悩んで悩んで決めたのだ。ウカが頭を抱えてカクの顔を見られずにいると、テーブルの下で二人の足が絡んだ。いや、カクがウカに足を絡めた。ウカは反射的に顔をあげてしまい、全てを見透かしたようなカクの視線に射抜かれる。
「なァ? それは、誰にやるチョコなんじゃ?」
カクはウカを逃がさない。
「……カクさんにあげようと思って買ったやつ、ですよ」
ウカが観念して白状すると、カクはくしゃっと笑って「よかった!」とはしゃいだ。ウカは、よかった、ってどういうことだろうと思いつつも、早う早うとせかしてくるカクでうやむやになる。なんだ、こんなに喜んでくれるなら、さっさと渡せば良かった。ウカは、バッグから手のひらサイズの小箱を取り出して「いつもありがとう」と言って手渡した。
「よし、店を出たらちょっと一緒に食べんか?」
「え? いいの?」
「だってこれ、美味しいやつじゃろ?」
カクのシンプルな「美味しいやつ」という言い方に、ウカはなんだかほっとした。「美味しいやつ」を一緒に食べようって言ってくれる人なんだよなあ、としみじみしながら、いそいそとお会計の準備をするカクに続いて、ウカは慌てて席を立つ。
◆
街は、やはりいつもより浮ついているような気がした。まだ眠らないぞ、という気概を感じる。とはいえ、風は冬らしく乾いて冷たく、近くの店で急いでホットコーヒーをテイクアウトして、広場のベンチに腰かけた。カクはウカからもらったチョコレートをコートのポケットから大事そうに取り出す。
「ふは、高そうでうまそうじゃの~」
「ふふっ、そうだね。ちょっと奮発したよ」
無事渡せてほっとしたことで、ウカも軽口を叩けるようになってきた。楽しみじゃのう、と言いながら、カクが長い指で赤いリボンをつまみ、しゅるしゅるとほどいていく。カクのうきうきした様子に、やっぱり準備して良かったなとウカがほっとしたのも束の間、箱を開けたカクは開口一番、
「ハートじゃない……」
「え?」
「ハートじゃないんか?」
と縋るような瞳をウカに向けた。確かにウカが選んだチョコレートは、ミルク、ビター、キャラメル……といくつかのフレーバーが楽しめるもので、全部一口サイズの四角いチョコだった。けれど。
「は、ハート? いやあ、ハートのは……お店になくて……」
「……本当に?」
カクに探るような目を向けられたウカは弱かった。あっさりと両手をあげ、降参のポーズをとり、「すみません、恥ずかしくて無理でした」と素直に謝る。カクは「はああああ、楽しみにしとったのに!」と大げさに悲しんでから、ウカの唇にチョコレートを一つ摘まんで押し付けた。ウカが反射で口を開けると、カクがチョコレートを放り込む。
「来年は頼んだぞ」
何でもないふうにカクは言うが、ウカは、カクの来年に当たり前のように自分がいるのがたまらなく嬉しい。しかも、ハートのチョコをご所望だ。
相変わらずウカの気持ちは定まらず、なんて返事をしたいのか自分でもまだわからない。ひとまず口の中のチョコレートが溶けきらぬうちは、このまま。
……このままが、いいの?おしまい
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夢小説,長編・連作,ONEPIECE,KISSMEMORE 3711字 No.23
五年前・夏
ウカは、万力で脳髄をぎりぎりと絞られるような痛みに耐えながら、そんな痛みよりも深刻な事態にうんうんと唸っていた。
もうおしまいだ、とウカは泣きたくなる。いい大人のくせになんてことを、と反省して、いつになったら私はちゃんとした、かっこいい、凛とした大人になれるのかと項垂れた。死ぬまでなれない気がする。
昨夜、私の失礼な態度で一緒に食事をしていたカクさんを怒らせてしまった。それが悲しくて辛くてブルーノの酒場に飛び込んたら、キウイちゃんとモズちゃんがいたから勝手に合流した。それで、ぐでんぐでんに酔っぱらって、フランキーにそれを揶揄されているところに、カクさんが戻ってきてくれて、カクさんとセックスした。というか、押し倒してしまった。
酔っぱらってよく覚えていない、となれば少なくとも悩む要素は減るのだが、結構しっかり覚えている。でも、忘れたいわけでは決してない。ただ今は、カクさんの広い肩とか、潤んだ瞳とか、骨ばって長い指とか、何より自分の痴態などの記憶が鮮明すぎて、生々しく、思い出すと汗が噴き出るのでとても仕事にならないのだ。
今朝、朝日が昇るころ、ウカは頭痛と知らない枕の感触で目が覚めた。固い、けど、あたたかい。それはカクの腕だった。ぎょっとして、でも、飛び起きると起こしてしまう。ウカはそうっと、自分の頭の下からカクの腕を抜いた。幸い、カクは目を覚まさなかった。
急に動くと頭に響く。ウカはゆっくり体を起こして、自分が全裸であることに、やっぱりか、と諦めつつ納得した。足音を立てないように、下着と服をかき集める。酒場の匂いが残るそれらを素早く身に着け、宿代をサイドテーブルに置くと、ウカは迷って迷って、カクのことは起こさずに、そっと部屋を後にした。
もちろん、失礼なことだとは思っている。またカクを怒らせてしまうかもしれない。それでも、昨夜の自分を思い出すと、とてもじゃないが、今日はまともに話せる気がしない。今日だけは許してほしい、とウカは胸の中で何度も何度もカクに謝った。
ウカの謝罪が届いたのか、今日はカクに話しかけられないな、とウカがほっとしたのも束の間、というか見かけもしない。となると、ウカはだんだん不安になってくる。
まさか、昨日私が襲い掛かったせいでどこか身体を痛めたのではないだろうか。それとも体調が? もしや、心に傷を負ってしまったのでは……。あ、会って、謝らなくては。いやでも、私がのこのこ会いに行っても構わないだろうか。
そんなことを始終考えているものだから、座っているだけでてんで役に立たないウカは、後輩から「なんか汗もすごいし、帰った方がいいですよ」と定時前にやんわり職場を追い出された。
役立たずの自覚があったウカは素直にガレーラカンパニーを後にする。もちろん、ブルーノの酒場には行けない。フランキーにも絶対会えない。自分の部屋にも、まだなんとなく、帰りたくない。ウカはアイスコーヒーをテイクアウトして、海でも見るかと、寄り道することにした。
冷たいアイスコーヒーが汗でどろどろになった身体を少し冷やしてくれるようで、ウカはほう、と一息ついた。海が見えるように設置してあるベンチは幸い誰も使っていなかったので、どかりと腰を下ろす。途端、なんだか一気に力が抜けた。
思えば、朝からずっと緊張していた。もう一口、とコーヒーをストローで吸う。ただ、そうやって少しずつ冷静になると、逃げるように宿をあとにしたのはやっぱり人として最悪、下の下だったのではと、自己嫌悪に陥る。少なくとも、好いた相手にすることではない。どうしよう。やっぱり早く、今日にでもカクさんに会って、弁解した方が……。
コーヒーはあと半分以上も残っていたけど、そう思いついてしまうと、ウカは居ても立ってもいられず、勢いをつけて立ち上がる。すると、
「昨夜はどうも」
と、後ろから声をかけられた。
「カクさん……」
「経理に顔を出したら、早退したというから部屋に行ったのに、こんなところで道草とは」
「元気そうでよかった」とカクは安堵のため息をついた。ウカは慌てて「こ、こちらこそ!」としどろもどろで返事をし、「きょ、今日、会社で見かけなかったけど、大丈夫?」と付け加えた。
「ああ、今日は外回り、とは違うか。査定の仕事が多くてのう、ドッグにはほとんどおらんかったんじゃ」
カクがいつものように笑ってくれて、ウカはほっとする。そして、いざ本人を目の前にすると、先ほどまでの気持ちが、羞恥心に負けてしまいそうになる。でも、今朝だってそうして間違ったのだ。ウカはきちんと説明しよう、と意を決して「け、けさは、その」と話し始める。
「か、帰っちゃって、ごめんね」
「ああ、ショックだったわい」
「ご、ごめん……」
「昨日はあんなに仲良くしとったのにのう」
「言わないで!」
ウカは思わずテイクアウトしたコーヒーのカップを握りしめてしまい、その勢いでコーヒーがこぼれた。コーヒーはウカの胸元に広がり、ブラウスに染みをつくる。ああ、ああ、と言いながらカクがハンカチを取り出した。
拭いてくれるカクの手が微かに震えているのに気が付き、ウカはおや? とひっかかりを覚えた。
「カクさん、震えてる? 寒い?」
「そんなんじゃないわい」
「え、じゃあ……」
カクはブラウスの染みからウカにちらりと視線を移したかと思うと、すぐにうつむいて、深いため息をついた。
「……もう、本当に、振られるのかと思うじゃろ」
「違う!」
ウカが大きな声を出すと、また、コーヒーが零れた。今度はカクのハンカチまでコーヒー色になる。青ざめるウカをものともせず、カクが思わずワハハ! と笑い、「コーヒーは飲んでしまった方がいいのう」とそれ以上の笑いを抑えるように口元を手で隠した。
ウカが急いで残ったコーヒーを飲んでいる間、カクは考え込むようにしてから、か細い声で言った。
「じゃあ、……付き合って、くれますのか?」
「……、うん? のか?」
「緊張しとるもんで!」
悪かったのう! かっこつかんで! とカクが顔を真っ赤にしてキャップを目深にかぶった。ウカはカクさんってかわいいなあと思って、胸がいっぱいになる。
「ふふ、ごめん、ごめん」
「ええ!?」
「え、あっ、違う! 返事じゃなくて!」
ウカが慌てて否定すると、カクは「ウカは昨日から謝ってばっかりじゃ」と言いながら笑うので、ウカはほっとした。
「ずっと、はぐらかしててごめんね」
「それも昨日聞いた、多分」
「え?」
「怖かったんじゃろ? わしが、若くて、優秀で、人気者で、背も高くて、スタイルも良くて、かっこよくて、それなのに気さくで優しいから」
「ぜ、んぶ聞いてたの……?」
「すまんのう」
「そんな……」
ウカがへなへなとまたベンチに座り込むと、カクも隣に腰を下ろす。ちょうど夕日が海に沈むところで、そういえば、こんな夕日をカクさんと海列車から見たなあとウカは急に思い出した。 ぼうっとしているウカにカクがそっと尋ねる。
「ウカは、わしのそういうところが好きなのか?」
「そういうところ?」
「わしは、採用初日にミスしそうになったわしに話しかけてくれたウカが好きじゃ」
「そ、れは……」
「普通か? あとな、職人は職人、経理は経理、そうやって仕事に線を引かんのもいいなと思った」
「あ、りがとう」
「そんなに仕事ができるお姉さんなのに、わしがちょーっと挨拶したら顔を真っ赤にして照れとるし」
「あれはカクさんだって照れてたでしょ!」とウカが応戦するが「大人しくしとらんと、またコーヒーが零れるぞ」とカクに言われたウカは言うとおりにするしかない。
そうか、カクさん、カクは、私のそういうところを好きになってくれたのか。ウカは自分がずっとカクの若さとか、優秀さとか、見た目とか、そういうところばかりを気にして勝手に引け目を感じていたなと反省する。
「……ねえ、キス、してもいい?」
「今日は聞くんじゃな」
「~~~~ッ」
「すまんすまん、意地悪じゃったの」
「いつでも、お好きな時に」
年下の恋人がそう甘やかすので、ウカは人目も気にせず、遠慮なく唇を重ねた。
「ところで!? 付き合ってくれるんじゃろうな!?」
「あれ? ごめん!」
「はぁ!?」
「違う! 返事したつもりになってて!」おしまい
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