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カテゴリ「夢小説」に属する投稿[68件](6ページ目)
急流 #カク
雨があがった。
この前はすまんかった、と謝るくせに仏頂面で、照れたようなカクさんがやっぱり好きだった。
急流
秋がきた、と思える高い空だった。秋の空の高さを人はどうやって感じ取っているのだろう。澄み渡る青か、それとも雲の遠さからか。頬を掠める風の、からっとした冷たさかもしれない。何にせよ、夏が終わり、雨は上がり、秋がきた。
今日は休日だったから、叔父の家でごろごろと惰眠を貪るのも良かったが、天気もいいし、ちょっとだけ外に出ることにする。ルッチさんの入院している病院は、叔父の家から歩いて十分くらいだ。
ルッチさんのお見舞いには絶対に行かないと決めていたが、かといって弱っているだろうルッチさんのところに、パウリーを連れていくのも嫌だった。目を覚まさないルッチさんを見たら、パウリーならなんだか色々を許してしまいそうな気がするからだ。いや、頭ではいくら許したくないと強く思っても、心が、許してしまうんじゃないかと。私が知っているパウリーならきっと──、許してしまう。
だから、もしパウリーを連れてくるならせめて、ルッチさんが目を覚まして、話せるようになっていないと、と歩みを止めて、ルッチさんがいるはずの病院を睨む。
「ウカちゃん? 何しとるんじゃ」
「わ、似合ってるね! かっこいい!」
声をかけてきたカクさんは、これまでの真っ黒な服ではなく、デニムに明るい色のポロシャツと黒いニット帽を合わせていた。心なしか、ウォーターセブンにいた頃を思い出させる色合わせで懐かしくなる。飾り気のない私の賞賛にカクさんは面食らったようで、後頭部をポリポリかき、目を逸らしながら「この前はすまんかった」と小さい声でぼそぼそ謝罪の言葉を口にした。つい先日、病院の横で小さくなっていたカクさんを思い出す。照れているのだとわかって、私はやっぱりまだカクさんが好きだなと再確認した。
お互い全然会話になっていなかったからか、カクさんはこちらが本題だというように、すぐに話題を変えた。
「そうそう。今日、ルッチが退院したんじゃ」
「え、うそ」
「おかげさまで」
「……よかった! よかったね!」
聞いた瞬間、身体の底からぶわっと安堵が湧き上がる。それを持て余した私は、その場で控えめにぴょんと跳ね、カクさんの手を取って上下に振り回した。カクさんは呆れながらも、されるがままだ。
本当によかった。カクさんの大切な人が、カクさんを置いて、あのままいなくならなくて。いつかくる別れなのかもしれないけれど、それが「今」でなくて本当に良かった。でも。
こみ上げた涙は上を向いて誤魔化した。この涙はなんだろう。パウリーを思うと、なんだか悔しくもあった。パウリーも私も、置いていかれるのに。なんてね。
嫌な、良くない捉え方だと、私はすぐ別のことを考えることにした。
退院、とはいえ病み上がりだろうから、まだしばらくは療養のため、この島にいるだろう。その間に、なんとかパウリーを連れてこられないだろうか。ルッチさんの目が覚め、退院できたというなら。三人で、会話ができるなら。いよいよ、パウリーに全部打ち明けて、連れてきてもいいんじゃないか。
だが、私はすぐに耳を疑うことになる。
「で、これからボウリングじゃ」
「嘘でしょ」
え? まさかルッチさんも? ちょっと前まで意識が戻らないって言ってなかった!? という私の叫びにも似た非難をカクさんは、つまらなそうな顔で受け止めた。常人には理解できない感覚だが、カクさんはどこ吹く風といった顔つきだ。
「仕方ないじゃろ。わしらは無職で暇なんじゃし」
こんなの初めてなんじゃ、と浮かれているようにしか見えないカクさん。明らかに「大人の夏休み」にはしゃいでいる。どんな事情で取得できたのかは知らない。
「一緒にくるか?」
「いや! それは!」
反射で拒絶してしまう。
ルッチさんの様子は、かなり気になる。でも、やっぱりどうしても、会うべきは私ではなくパウリーだろうという思いが拭えない。有無を言わさぬ私の即断に、カクさんは「別に一緒にやろうってんじゃない。後ろから眺めてみればいいじゃろ」と提案してくれた。結局、どうしてもルッチさんの様子が気になってしまった私は「ルッチさんには絶対会わない」と宣言して、カクさんの後ろを数歩離れて着いていくことにする。
◆
来るんじゃなかった。私はすぐに後悔した。
受付近くの休憩スペースでサイダーを飲みつつ、後ろから様子をうかがう限り、ルッチさんは思った以上に元気そうだった。ボウリング、と思う気持ちもわからなくも……いや、さっぱりまったくわからないが、まあ元気そう。頭に巻いた包帯は痛々しかったが、表情は明るくて、あと、やっぱり普通に喋れるんだと、結構ショックだった。
ボウリング場には、ルッチさんだけでなく、なぜかブルーノやカリファさんもいて、見知った彼彼女らは、見たこともない男の人達と気安い雰囲気で楽しそうに過ごしている。
なんだ、こっちが友達か。
舌打ちしながら、思ってしまった。
その輪の中にはカクさんもいる。私は何を見せられているのだろう。思ってしまって、いやいや、と頭を振る。別に、どんな繋がりだろうが、ルッチさんやカクさんに別のコミュニティがあったっていいじゃないか。事情は知らないが、それがパウリーを傷つけるものではないのなら。
さっきから気を抜くと、他責的な考えが頭をもたげてきて、もううんざりだ。
このままここにいるのは良くない。
ルッチさんの様子も見られたし、さっさと帰ろうとストローでサイダーを思い切り吸い込んだその時。
「誰か来てくれ!」
助けを求める声とともに男性が入ってきた。
だが、元々賑やかなボウリング場。その声に気づいたのは巡回していた警察官と、近くにいた店員くらいだった。他の客たちは気づかずゲームに夢中になっている。カコーンッ! という小気味いい音とそれに続く「よっしゃあ!」という歓声が、変わりなくあちこちから響いた。
ちらりとカクさんたちの方に目を向ければ、彼らはゲームこそ中断していたようだったが、こちらに顔を向けることはなかった。聞き耳を立てていると、「何があった」「港が」「早く」「海賊が」「襲っている」「暴れていて」という単語が端々に聞こえてくる。
まさか、と思ったら彼らはあっという間だった。さっきまでボウリングを楽しんでいたルッチさんたちは、いつの間にか私の目の前を音もなく駆け抜け、外へ出ていく。カクさんだけ、のんびりと私の目の前に立った。
「今度こそ、本当にさよならかもしれんのう」
「え?」
警察官が「港に海賊だ! 早く避難を!」と叫ぶと客たちは、それを合図にわあきゃあと店外へ駆け出した。
私たちも連れ立って外に出ると、日常は一変していた。
海賊から逃げようと港から押し寄せてくる人波。ボウリング場前の大通りは逃げ惑う人々でごった返していた。カクさんはその人波と真逆、つまり、港の方へ歩き出す。「待って」と叫びながら、無理矢理ついていこうとするが、必死に逃げる人間のパワーは凄まじく、とても対抗できるものではない。カクさんとの距離がどんどん開く。
「もし出来るなら」
悲鳴と怒号。合間に、カクさんのなんてことない声。
姿が人波に消えて声だけになる。
「パウリーに、世話になった、と」
「カクさんっ!」
揉みくちゃにされながら逃げ惑う人たちに抗って、なんとか人の群れから抜け出るも、カクさんの背はもう随分遠くだ。呆然としていると、心優しい町の人が「何をやっているんだ! 早く安全なところへ!」と手を引いてくれる。
最後まで『パウリー』か。それならもう。
「連れていくから! 待ってて!」
それだけじゃない。
「自分で言ってよ!」
絶叫。
小さくなっていくカクさんの背にそれが届いたかはわからない。
けれど、遠くなったカクさんは右手を上げてくれたような気がした。
「ごめんなさい!」と引かれる手を振り解いて、人のいなくなったボウリング場に駆け込む。目についた電伝虫を乱暴に手に取り、指が覚えている馴染みの番号を人生一番の速さでダイヤルした。
ぷるぷるぷるぷる。はやく。ぷるぷるぷるぷる。はやく出て。ぷるぷるぷるぷる。はやくしないと。ぷるぷるぷるぷる。もう二度と。がちゃ。
『はい』
「パウリー! いますぐ海列車に乗ってセント・ポプラにきて!」
お願いだから! はやく!
受話器の向こうからドタバタという足音のあと、バタンとドアが閉まる音が聞こえた。
肩で息をしながら、静かに受話器をおく。駅に走り出す。
おしまい
← →
雨があがった。
この前はすまんかった、と謝るくせに仏頂面で、照れたようなカクさんがやっぱり好きだった。
急流
秋がきた、と思える高い空だった。秋の空の高さを人はどうやって感じ取っているのだろう。澄み渡る青か、それとも雲の遠さからか。頬を掠める風の、からっとした冷たさかもしれない。何にせよ、夏が終わり、雨は上がり、秋がきた。
今日は休日だったから、叔父の家でごろごろと惰眠を貪るのも良かったが、天気もいいし、ちょっとだけ外に出ることにする。ルッチさんの入院している病院は、叔父の家から歩いて十分くらいだ。
ルッチさんのお見舞いには絶対に行かないと決めていたが、かといって弱っているだろうルッチさんのところに、パウリーを連れていくのも嫌だった。目を覚まさないルッチさんを見たら、パウリーならなんだか色々を許してしまいそうな気がするからだ。いや、頭ではいくら許したくないと強く思っても、心が、許してしまうんじゃないかと。私が知っているパウリーならきっと──、許してしまう。
だから、もしパウリーを連れてくるならせめて、ルッチさんが目を覚まして、話せるようになっていないと、と歩みを止めて、ルッチさんがいるはずの病院を睨む。
「ウカちゃん? 何しとるんじゃ」
「わ、似合ってるね! かっこいい!」
声をかけてきたカクさんは、これまでの真っ黒な服ではなく、デニムに明るい色のポロシャツと黒いニット帽を合わせていた。心なしか、ウォーターセブンにいた頃を思い出させる色合わせで懐かしくなる。飾り気のない私の賞賛にカクさんは面食らったようで、後頭部をポリポリかき、目を逸らしながら「この前はすまんかった」と小さい声でぼそぼそ謝罪の言葉を口にした。つい先日、病院の横で小さくなっていたカクさんを思い出す。照れているのだとわかって、私はやっぱりまだカクさんが好きだなと再確認した。
お互い全然会話になっていなかったからか、カクさんはこちらが本題だというように、すぐに話題を変えた。
「そうそう。今日、ルッチが退院したんじゃ」
「え、うそ」
「おかげさまで」
「……よかった! よかったね!」
聞いた瞬間、身体の底からぶわっと安堵が湧き上がる。それを持て余した私は、その場で控えめにぴょんと跳ね、カクさんの手を取って上下に振り回した。カクさんは呆れながらも、されるがままだ。
本当によかった。カクさんの大切な人が、カクさんを置いて、あのままいなくならなくて。いつかくる別れなのかもしれないけれど、それが「今」でなくて本当に良かった。でも。
こみ上げた涙は上を向いて誤魔化した。この涙はなんだろう。パウリーを思うと、なんだか悔しくもあった。パウリーも私も、置いていかれるのに。なんてね。
嫌な、良くない捉え方だと、私はすぐ別のことを考えることにした。
退院、とはいえ病み上がりだろうから、まだしばらくは療養のため、この島にいるだろう。その間に、なんとかパウリーを連れてこられないだろうか。ルッチさんの目が覚め、退院できたというなら。三人で、会話ができるなら。いよいよ、パウリーに全部打ち明けて、連れてきてもいいんじゃないか。
だが、私はすぐに耳を疑うことになる。
「で、これからボウリングじゃ」
「嘘でしょ」
え? まさかルッチさんも? ちょっと前まで意識が戻らないって言ってなかった!? という私の叫びにも似た非難をカクさんは、つまらなそうな顔で受け止めた。常人には理解できない感覚だが、カクさんはどこ吹く風といった顔つきだ。
「仕方ないじゃろ。わしらは無職で暇なんじゃし」
こんなの初めてなんじゃ、と浮かれているようにしか見えないカクさん。明らかに「大人の夏休み」にはしゃいでいる。どんな事情で取得できたのかは知らない。
「一緒にくるか?」
「いや! それは!」
反射で拒絶してしまう。
ルッチさんの様子は、かなり気になる。でも、やっぱりどうしても、会うべきは私ではなくパウリーだろうという思いが拭えない。有無を言わさぬ私の即断に、カクさんは「別に一緒にやろうってんじゃない。後ろから眺めてみればいいじゃろ」と提案してくれた。結局、どうしてもルッチさんの様子が気になってしまった私は「ルッチさんには絶対会わない」と宣言して、カクさんの後ろを数歩離れて着いていくことにする。
◆
来るんじゃなかった。私はすぐに後悔した。
受付近くの休憩スペースでサイダーを飲みつつ、後ろから様子をうかがう限り、ルッチさんは思った以上に元気そうだった。ボウリング、と思う気持ちもわからなくも……いや、さっぱりまったくわからないが、まあ元気そう。頭に巻いた包帯は痛々しかったが、表情は明るくて、あと、やっぱり普通に喋れるんだと、結構ショックだった。
ボウリング場には、ルッチさんだけでなく、なぜかブルーノやカリファさんもいて、見知った彼彼女らは、見たこともない男の人達と気安い雰囲気で楽しそうに過ごしている。
なんだ、こっちが友達か。
舌打ちしながら、思ってしまった。
その輪の中にはカクさんもいる。私は何を見せられているのだろう。思ってしまって、いやいや、と頭を振る。別に、どんな繋がりだろうが、ルッチさんやカクさんに別のコミュニティがあったっていいじゃないか。事情は知らないが、それがパウリーを傷つけるものではないのなら。
さっきから気を抜くと、他責的な考えが頭をもたげてきて、もううんざりだ。
このままここにいるのは良くない。
ルッチさんの様子も見られたし、さっさと帰ろうとストローでサイダーを思い切り吸い込んだその時。
「誰か来てくれ!」
助けを求める声とともに男性が入ってきた。
だが、元々賑やかなボウリング場。その声に気づいたのは巡回していた警察官と、近くにいた店員くらいだった。他の客たちは気づかずゲームに夢中になっている。カコーンッ! という小気味いい音とそれに続く「よっしゃあ!」という歓声が、変わりなくあちこちから響いた。
ちらりとカクさんたちの方に目を向ければ、彼らはゲームこそ中断していたようだったが、こちらに顔を向けることはなかった。聞き耳を立てていると、「何があった」「港が」「早く」「海賊が」「襲っている」「暴れていて」という単語が端々に聞こえてくる。
まさか、と思ったら彼らはあっという間だった。さっきまでボウリングを楽しんでいたルッチさんたちは、いつの間にか私の目の前を音もなく駆け抜け、外へ出ていく。カクさんだけ、のんびりと私の目の前に立った。
「今度こそ、本当にさよならかもしれんのう」
「え?」
警察官が「港に海賊だ! 早く避難を!」と叫ぶと客たちは、それを合図にわあきゃあと店外へ駆け出した。
私たちも連れ立って外に出ると、日常は一変していた。
海賊から逃げようと港から押し寄せてくる人波。ボウリング場前の大通りは逃げ惑う人々でごった返していた。カクさんはその人波と真逆、つまり、港の方へ歩き出す。「待って」と叫びながら、無理矢理ついていこうとするが、必死に逃げる人間のパワーは凄まじく、とても対抗できるものではない。カクさんとの距離がどんどん開く。
「もし出来るなら」
悲鳴と怒号。合間に、カクさんのなんてことない声。
姿が人波に消えて声だけになる。
「パウリーに、世話になった、と」
「カクさんっ!」
揉みくちゃにされながら逃げ惑う人たちに抗って、なんとか人の群れから抜け出るも、カクさんの背はもう随分遠くだ。呆然としていると、心優しい町の人が「何をやっているんだ! 早く安全なところへ!」と手を引いてくれる。
最後まで『パウリー』か。それならもう。
「連れていくから! 待ってて!」
それだけじゃない。
「自分で言ってよ!」
絶叫。
小さくなっていくカクさんの背にそれが届いたかはわからない。
けれど、遠くなったカクさんは右手を上げてくれたような気がした。
「ごめんなさい!」と引かれる手を振り解いて、人のいなくなったボウリング場に駆け込む。目についた電伝虫を乱暴に手に取り、指が覚えている馴染みの番号を人生一番の速さでダイヤルした。
ぷるぷるぷるぷる。はやく。ぷるぷるぷるぷる。はやく出て。ぷるぷるぷるぷる。はやくしないと。ぷるぷるぷるぷる。もう二度と。がちゃ。
『はい』
「パウリー! いますぐ海列車に乗ってセント・ポプラにきて!」
お願いだから! はやく!
受話器の向こうからドタバタという足音のあと、バタンとドアが閉まる音が聞こえた。
肩で息をしながら、静かに受話器をおく。駅に走り出す。
おしまい
← →
献身 #カク
秋雨が続いている。セント・ポプラは今日も雨だ。霧ほどに細かい雨が肌にまとわりつくように降っていて、傘を差さずに帽子やフードを被って済ませる人も多かった。ウカも先ほどまでは傘を差していたが、差している方が鬱陶しい、と思い直し、道行く皆に倣って畳むことにする。ミスト状の雨が髪や頬を優しく湿らせていくが、不快ではない。
ルッチさんは大怪我をして入院中だとカクさんに聞いてから、なんとなくルッチさんが入院しているという病院の前を通って帰るようになった。ただ前を通ってみるだけで、お見舞いには行っていない。もちろん行くつもりもない。
それを聞いてから数日は気にして前を通ってみたものの、当たり前のことではあるが、病院の前を通り過ぎるほんの十数秒で何があるわけでもなく、今日も何もないはずだった。
「なんであんなところに」
病室の窓の下に座り込むカクさんを見つけなければ。
◆
関係者でもないのに病院の敷地に入るのは気が引けたが、ウカは石畳にそっと足を乗せた。コツ、と固い音がする。なるべく静かに歩くが、コツ、コツ、という音は消せなかった。
正面玄関を逸れて、建物の脇に回る。そこはもう草むらで、足音は芝生が吸収してくれると思ったのだが。
「ウカちゃんか」
窓の下、建物の壁に背を預けて地面に座り込んでいたカクさんは、こちらを見ることはせず、地面のどこか一点を見ながらつぶやいた。立てた膝に長い腕を乗せ、手を組んでいる。隣に座ってもいいのだろうか、と逡巡して、結局おずおずと壁を背にして隣に立つ羽目になった。
佇まいがあまりに寂し気だったので思わず近づいてはみたものの、かける言葉がみつからない。困ったなと思いながら、所在なく曇り空を眺めてみる。薄い、もやのような雨が町並みの輪郭を淡くしていた。
不意に、どす、と足に衝撃が走る。何事かと下を見やると、カクさんが頭を凭れてきていた。子供みたいなことをするんだなと驚く間もなく、「座ったらどうじゃ」とハンカチを差し出してきて、好青年ぶりをみせてくれる。おっかなびっくり受け取って、ふわりと芝生の上に敷いた。お尻を乗せるとじんわりと冷たい心地がする。カクさんは私が座るのを見届けると、満足したように前に向き直った。
「こんなところに座り込んでどうしたの? 面会の時間、終わっちゃった?」
「ルッチが」
「ルッチさん?」
「ルッチが死んだらどうしよう」
カクさんは帰り道が分からなくなった子供みたいだった。
◆
心細い声音に息を呑んだ。雨音はしないが、しっとりした雨のヴェールが町には下りている。喧騒が遠くに聞こえて、カクさんの怯えた声だけがくっきりと耳に届いた。恐る恐る「……良くないの?」と顔を覗き込む。カクさんは組んだ手を開いてみたり、また組んでみたり、そわそわと落ち着きがない。
「こんなルッチは……初めて見る。こんな、ボロボロで、包帯だらけで、いつまでも目を覚まさない。そんなルッチは」
吐き出された不安はデクレッシェンドしていき、最後は聞き取るのが難しいくらいだった。
何でもないふうを取り繕うのは諦めたらしい。カクさんは大きなため息をついて、両手で顔を覆った。こんなカクさんは初めて見る。パウリーならなんて声をかけるだろう。カクさんの瞳はかすかに震え、揺らめいているのが見てとれた。いつか、払いを渋る海賊を懲らしめるパウリーや、カクさん、ルッチさんを見かけたことがあったが、そのとき目にした逞しい肩が今はとても小さく見える。
せめて、この肩に手を置こうか。思ってやめる。カクさんの肩から五センチほどのところで止まった手は、そのまま宙を彷徨って、結局ぱたりと地に落ちた。唇を噛んで、五指で刈り込まれた草を掴むようにひっかく。カクさんはそんな私に気づいているのかいないのか「ルッチとは長い付き合いじゃけど」と始めて、「こんなことは今までなかったんじゃ」と結んだ。
「幼馴染なの?」
「そんな素敵なもんじゃないわい。子供の頃から知っとるっちゅうだけで」
カクさんは呆れたように手を振って否定する。ウカちゃんがパウリーを大事に思う気持ちとは違う、と。そんなの嘘だ。すぐさま思ったが、口は挟まない。
「ルッチは……少なくともわしにとっては、仲間とも、上司とも、先輩とも違う。兄でもなかった。ましてや友なんて、もってのほか。なんじゃろうな、あやつは。こういうのは、なんていうんじゃろう」
カクさんはひとつひとつを正しく確かめていくようだった。
私には、カクさんとルッチさんの間柄はいまいち想像できない。付き合いの長さもわからないし、どんなふうに過ごしてきたのかも。親、子供、兄弟、上司、部下、先輩、後輩、仲間、友達、恋人……。二人の関係は、この世界で名前のついているどれかに当てはめることが出来るのだろうか。カクさんは全部違うと言った。でも絶対。
「ルッチは、自分の理想で目標だった。なるべき姿を体現してくれる。ルッチは正しい。ルッチの言うとおりにしていれば、ルッチみたいになれば、間違わない。そんなふうに思っとったんじゃけど。それがまさかこんなことに。膝をつくルッチなんて、想像しとらんかったんじゃ」
絶対、大切な人だ。それはわかる。
◆
カクさんはふうと大きく息を吐く。この状況に参っているようだった。
パウリーなら。ずっと思っている。パウリーなら、カクさんを慰めてあげられるんじゃないか。パウリーならもっと頼られて、カクさんを安心させてあげられる気がする。いやむしろ、何も言わず寄り添って、ただそれだけで少しでも気持ちが落ち着いたりするんじゃないかな。
きっと、パウリーなら全部出来る。パウリーとカクさん、ルッチさんで共有している思い出の力と、パウリーの裏表ない素直さで、きっとカクさんは少し元気になるだろうなと確信があった。
でもパウリーはここにいないし、私はパウリーじゃない。
「パウリーが」
「ん?」
「ここに、パウリーがいたら良かった」
あまりの無力感にそうこぼすと、カクさんはパチ、パチ、とゆっくり瞬きした。そして何か言おうとして口を開けて、また閉じて。もう一度口を開けたと思ったら「パウリーは、もういいんじゃ」とのんびりした口調で答えるものだから、私はあからさまに眉を寄せて「そんな」と咎めるような言い方でカクさんを睨んでしまった。カクさんは動じない。何なら、口の端に笑みを浮かべるほどで、私はそれが気に入らない。
「じゃってのう。もう、あやつは眩しすぎて。これ以上見とったら目が潰れる。無理じゃ、無理。もう十分」
「眩しい?」
「ルッチなんて見るに堪えんかった。パウリーに毒されおって。誕生日を祝ってやるルッチなんて信じられん。“友人として適切に振舞っただけ”なんて言っとったが、たった五年で絆されたのか? あの、ルッチが」
カクさんは、やれやれ、と言わんばかりの仕草で「まあ、あのルッチが、なんて言ったところで、ウカちゃんはルッチを知らんからのう」と言いながら残念そうだ。
「そんなの、友達になっただけじゃない」
「わしらに友達はおらん」
カクさんはさらりと言うので、それがとても悔しい。
「嘘つき」
「おお、よくわかっとるの」
カクさんが片眉を上げて茶化してくる。茶化す元気が出てきたのならそれは嬉しい。でも。
「ねえ、パウリーに会いたい?」
「別に」
「嘘つき」
「そうじゃとも」
カクさんの迷いない返答に、ぎゅっと拳を握った。
もう何度もシミュレーションしたかのような反応だった。何度、脳内でひとり自問自答したのだろう。想像して、胸がぎゅっと締めつけられる。
「よかった」
カクさんが、独り言のようにぽつりとつぶやいた。
「え?」
「今日、ウカちゃんに会えて良かった」
はじかれたようにカクさんを見る。横顔だけではカクさんの真意はよくわからない。
「それも、嘘?」
「そうに決まっとる」
嘘つきが嘘だけついてくれるなら。
正直な嘘つきの肩に、今度こそ手を置いた。震えも体温も感じないが、カクさんが「すまんの」と小さくこぼすので、私は「友達だから」と応じ、早くルッチさんの目が覚めますようにと、神様とかに祈った。
おしまい
← →
秋雨が続いている。セント・ポプラは今日も雨だ。霧ほどに細かい雨が肌にまとわりつくように降っていて、傘を差さずに帽子やフードを被って済ませる人も多かった。ウカも先ほどまでは傘を差していたが、差している方が鬱陶しい、と思い直し、道行く皆に倣って畳むことにする。ミスト状の雨が髪や頬を優しく湿らせていくが、不快ではない。
ルッチさんは大怪我をして入院中だとカクさんに聞いてから、なんとなくルッチさんが入院しているという病院の前を通って帰るようになった。ただ前を通ってみるだけで、お見舞いには行っていない。もちろん行くつもりもない。
それを聞いてから数日は気にして前を通ってみたものの、当たり前のことではあるが、病院の前を通り過ぎるほんの十数秒で何があるわけでもなく、今日も何もないはずだった。
「なんであんなところに」
病室の窓の下に座り込むカクさんを見つけなければ。
◆
関係者でもないのに病院の敷地に入るのは気が引けたが、ウカは石畳にそっと足を乗せた。コツ、と固い音がする。なるべく静かに歩くが、コツ、コツ、という音は消せなかった。
正面玄関を逸れて、建物の脇に回る。そこはもう草むらで、足音は芝生が吸収してくれると思ったのだが。
「ウカちゃんか」
窓の下、建物の壁に背を預けて地面に座り込んでいたカクさんは、こちらを見ることはせず、地面のどこか一点を見ながらつぶやいた。立てた膝に長い腕を乗せ、手を組んでいる。隣に座ってもいいのだろうか、と逡巡して、結局おずおずと壁を背にして隣に立つ羽目になった。
佇まいがあまりに寂し気だったので思わず近づいてはみたものの、かける言葉がみつからない。困ったなと思いながら、所在なく曇り空を眺めてみる。薄い、もやのような雨が町並みの輪郭を淡くしていた。
不意に、どす、と足に衝撃が走る。何事かと下を見やると、カクさんが頭を凭れてきていた。子供みたいなことをするんだなと驚く間もなく、「座ったらどうじゃ」とハンカチを差し出してきて、好青年ぶりをみせてくれる。おっかなびっくり受け取って、ふわりと芝生の上に敷いた。お尻を乗せるとじんわりと冷たい心地がする。カクさんは私が座るのを見届けると、満足したように前に向き直った。
「こんなところに座り込んでどうしたの? 面会の時間、終わっちゃった?」
「ルッチが」
「ルッチさん?」
「ルッチが死んだらどうしよう」
カクさんは帰り道が分からなくなった子供みたいだった。
◆
心細い声音に息を呑んだ。雨音はしないが、しっとりした雨のヴェールが町には下りている。喧騒が遠くに聞こえて、カクさんの怯えた声だけがくっきりと耳に届いた。恐る恐る「……良くないの?」と顔を覗き込む。カクさんは組んだ手を開いてみたり、また組んでみたり、そわそわと落ち着きがない。
「こんなルッチは……初めて見る。こんな、ボロボロで、包帯だらけで、いつまでも目を覚まさない。そんなルッチは」
吐き出された不安はデクレッシェンドしていき、最後は聞き取るのが難しいくらいだった。
何でもないふうを取り繕うのは諦めたらしい。カクさんは大きなため息をついて、両手で顔を覆った。こんなカクさんは初めて見る。パウリーならなんて声をかけるだろう。カクさんの瞳はかすかに震え、揺らめいているのが見てとれた。いつか、払いを渋る海賊を懲らしめるパウリーや、カクさん、ルッチさんを見かけたことがあったが、そのとき目にした逞しい肩が今はとても小さく見える。
せめて、この肩に手を置こうか。思ってやめる。カクさんの肩から五センチほどのところで止まった手は、そのまま宙を彷徨って、結局ぱたりと地に落ちた。唇を噛んで、五指で刈り込まれた草を掴むようにひっかく。カクさんはそんな私に気づいているのかいないのか「ルッチとは長い付き合いじゃけど」と始めて、「こんなことは今までなかったんじゃ」と結んだ。
「幼馴染なの?」
「そんな素敵なもんじゃないわい。子供の頃から知っとるっちゅうだけで」
カクさんは呆れたように手を振って否定する。ウカちゃんがパウリーを大事に思う気持ちとは違う、と。そんなの嘘だ。すぐさま思ったが、口は挟まない。
「ルッチは……少なくともわしにとっては、仲間とも、上司とも、先輩とも違う。兄でもなかった。ましてや友なんて、もってのほか。なんじゃろうな、あやつは。こういうのは、なんていうんじゃろう」
カクさんはひとつひとつを正しく確かめていくようだった。
私には、カクさんとルッチさんの間柄はいまいち想像できない。付き合いの長さもわからないし、どんなふうに過ごしてきたのかも。親、子供、兄弟、上司、部下、先輩、後輩、仲間、友達、恋人……。二人の関係は、この世界で名前のついているどれかに当てはめることが出来るのだろうか。カクさんは全部違うと言った。でも絶対。
「ルッチは、自分の理想で目標だった。なるべき姿を体現してくれる。ルッチは正しい。ルッチの言うとおりにしていれば、ルッチみたいになれば、間違わない。そんなふうに思っとったんじゃけど。それがまさかこんなことに。膝をつくルッチなんて、想像しとらんかったんじゃ」
絶対、大切な人だ。それはわかる。
◆
カクさんはふうと大きく息を吐く。この状況に参っているようだった。
パウリーなら。ずっと思っている。パウリーなら、カクさんを慰めてあげられるんじゃないか。パウリーならもっと頼られて、カクさんを安心させてあげられる気がする。いやむしろ、何も言わず寄り添って、ただそれだけで少しでも気持ちが落ち着いたりするんじゃないかな。
きっと、パウリーなら全部出来る。パウリーとカクさん、ルッチさんで共有している思い出の力と、パウリーの裏表ない素直さで、きっとカクさんは少し元気になるだろうなと確信があった。
でもパウリーはここにいないし、私はパウリーじゃない。
「パウリーが」
「ん?」
「ここに、パウリーがいたら良かった」
あまりの無力感にそうこぼすと、カクさんはパチ、パチ、とゆっくり瞬きした。そして何か言おうとして口を開けて、また閉じて。もう一度口を開けたと思ったら「パウリーは、もういいんじゃ」とのんびりした口調で答えるものだから、私はあからさまに眉を寄せて「そんな」と咎めるような言い方でカクさんを睨んでしまった。カクさんは動じない。何なら、口の端に笑みを浮かべるほどで、私はそれが気に入らない。
「じゃってのう。もう、あやつは眩しすぎて。これ以上見とったら目が潰れる。無理じゃ、無理。もう十分」
「眩しい?」
「ルッチなんて見るに堪えんかった。パウリーに毒されおって。誕生日を祝ってやるルッチなんて信じられん。“友人として適切に振舞っただけ”なんて言っとったが、たった五年で絆されたのか? あの、ルッチが」
カクさんは、やれやれ、と言わんばかりの仕草で「まあ、あのルッチが、なんて言ったところで、ウカちゃんはルッチを知らんからのう」と言いながら残念そうだ。
「そんなの、友達になっただけじゃない」
「わしらに友達はおらん」
カクさんはさらりと言うので、それがとても悔しい。
「嘘つき」
「おお、よくわかっとるの」
カクさんが片眉を上げて茶化してくる。茶化す元気が出てきたのならそれは嬉しい。でも。
「ねえ、パウリーに会いたい?」
「別に」
「嘘つき」
「そうじゃとも」
カクさんの迷いない返答に、ぎゅっと拳を握った。
もう何度もシミュレーションしたかのような反応だった。何度、脳内でひとり自問自答したのだろう。想像して、胸がぎゅっと締めつけられる。
「よかった」
カクさんが、独り言のようにぽつりとつぶやいた。
「え?」
「今日、ウカちゃんに会えて良かった」
はじかれたようにカクさんを見る。横顔だけではカクさんの真意はよくわからない。
「それも、嘘?」
「そうに決まっとる」
嘘つきが嘘だけついてくれるなら。
正直な嘘つきの肩に、今度こそ手を置いた。震えも体温も感じないが、カクさんが「すまんの」と小さくこぼすので、私は「友達だから」と応じ、早くルッチさんの目が覚めますようにと、神様とかに祈った。
おしまい
← →
豪雨 #カク
初めて耳元で響いた言葉は思いもよらぬ言葉で、私は急接近を喜ぶ暇もなく、なんで、とただそれだけ思った。
豪雨
風が強くなるのに比例して、コンコン、コンコン、という音も町中から響くようになってきた。家のドアに鉄戸をはめ、隙間に麻を詰めていく音だ。これを聞くと、アクア・ラグナがくるんだなと実感する。
私の部屋の避難準備は、大家さんが請け負ってくれることになった。アクア・ラグナからの避難自体は歳の数からマイナス五回はしているが、五年ぶりの避難だったし、「家」に対する避難準備を一人でやったことはなく、正直きちんと部屋を守れるか内心とても不安だったから、とてもありがたい申し出だ。
本当はパウリーを頼ろうかと思っていたのだが、このタイミングの『暗殺海賊』。市長が暗殺されかけたというニュースが島を騒がすこの日に、市長、もとい、社長を慕っているパウリーを頼ることはやめておきたかったし、そもそもできない相談だったろう。大家さんには感謝が尽きない。
大家さんからは、お昼前には荷物をまとめて、避難所に行くように言われていた。お昼過ぎには鉄戸をはめてしまうからと。それまでに荷物をまとめねば。春先に越してきたばかりだったから、物はそう多くないが、避難準備の勝手を忘れてしまっていて、何があれば便利だったっけ? などともたもたしているうちにもう約束の時間だ。
壁に貼っていたカードを外して、折れないよう大事に鞄に詰め込む。最後にもう一度だけ部屋を見回して、ドアを閉めた。
◆
造船工場のどのドックに避難しても変わらないのだろうけど、なんとなく、馴染みの一番ドックを選んでしまったのが間違いだったかもしれない。一番ドックは避難所としても人気なのか、もうほとんどのスペースが埋まっていて、私は仕方なく入口近くに空いていたスペースに落ち着くことにした。人の出入りが多いために空いていたのだろうが、避難が終わり、扉が閉ざされればそこまで気になることもないだろう。
周りは家族連れやご夫婦が多い。もしかしたら、年代とか、一人暮らしだとか、住んでいるそれぞれの町や区画かなんかで、避難するドックがなんとなく決まっているのかも、と今更ながらの気づきがある。場違いだったかな、と気になり、子供の頃はどこに避難していたっけ、と思い返してみる。
これまでの避難といえば呑気なものだった。時間帯にもよるけれど、大抵は避難所に一泊することになるので、ちょっと非日常的なイベント、お泊り会、みたいな感じで、子供の頃は不謹慎だがワクワクしたのを思い出す。パウリーの家族と連れ立っていくことがほとんどだったから、おのずとパウリーが一緒にいるのが常だった。
祖母とパウリーのご両親、パウリーがそばにいて、避難所だったけどそこにはいつもの日常に近いものがあった。おばさんは、いつも私と祖母の分のパニーニも作ってくれて、ピクニックのように過ごしたのを思い出す。みんなでカードゲームをして、パウリーはよく無茶な勝負に出ては負けていた。悔しそうにするパウリーをなだめ、明かりが落ちるのに合わせて、続きはまた明日とタオルケットにくるまる。暗くなると一転、馴染みのない天井と知らない人の息遣い、衣擦れの音。なかなか寝付けなくて、朝方にようやくうとうとした。毎回、寝付いたくらいに起こされる羽目になり、外に出ると決まってからりと晴れた空だったから、眩しさが恨めしかった。快晴の下、カードゲームの続きをすることはない。そうしてまた次のアクア・ラグナがくる。
十代後半ともなると、特に男の子たちは、さすがに家族、両親と一緒に寝る、なんてことはなく。辛うじてご飯は一緒に食べていたが、食べ終わると、ふらりと避難所の隅に集まってたむろしていた。そんな光景は珍しいものではなかった。
でも、前回の避難は、久しぶりにパウリーが隣にいてくれた。祖母がいなかったからだ。
そうか。一人でする避難は、生まれて初めてだ。
はた、と気づいて、不安がじわじわと募る。
ここまで水が流れ込んでくることは、きっとない。でも、部屋は裏町だから確実に水に浸かるだろう。避難準備は大家さんがやってくれたから大丈夫。とはいえ、アクラ・ラグナの規模によっては……。大事なものは全部持ってきた。母と祖母の写真。パウリーからもらったカード。それから。
大丈夫、大丈夫。島全体が水に浸かるわけじゃない。万一、ここにまで水が迫るようなら、その前にちゃんと避難指示が出る。部屋だって、もし浸かって駄目になってもまた探せばいい。買い直せないものは全部持ってきている。持ってきているはずだ。
どっどっどっど。思えば思うほど制御できない自分の心臓の音で、さらに焦っていく。大丈夫、大丈夫。先ほどから飽きるほど言い聞かせているのに、身体は言うことを聞かない。心細さが限界に達し、膝を身体に引き寄せてぎゅっと抱えた。
自分のつま先を見つめていたら、縮こまる私を人影がさっと覆って、上から知った声が降ってきた。
「地元っ子じゃろ? そんなに震えてどうしたんじゃ」
◆
「なんでいるの!?」
「パウリーが心配しとっての」
突然現れたカクさんは何でもないふうにさらっと言った。私をまっすぐ見下ろす丸い瞳と目が合って、心臓が別の意味で跳ねる。おかげで、先ほどまでの嫌な動悸が一瞬でおさまった。息を整えるために、長く吐く。
「事件は……。今日は……、職長が会社を離れてたらまずいんじゃ」
「そうそう。じゃからパウリーはどうしても外せんくてのう。わしが代わりに」
抜けてきた、と歯を見せるカクさんに、肩の力が抜けていく。こわばりがほぐれ、あたたかい血がじわっと身体をめぐっていくような気がした。カクさんは「ったく、海賊どもめ」と悪態をつきながら私の隣に腰を下ろす。元々、手狭なスペースだったので身を寄せ合うようになり、長い手足を一生懸命おさめて座るカクさんは新鮮だった。「もっとこっちに寄っていいよ」とは下心があるせいで、とても言えない。
「大変な時に申し訳ないけど……嬉しい。ありがとう。一人の避難は初めてで不安だったの」
「やっぱりのう。ウカちゃんは怖がりじゃなあ。寝るまで側にいてやらんと」
からかい混じりの、でもどきりとする発言に、元気が戻ってきた私はちゃんと受けて立つ。
「寝るまでって……! カクさんって、ちょいちょい私を小さい子供みたいに扱うよね? 私、カクさんよりお姉さんなんですけど?」
唇を尖らせ、頬を膨らますとカクさんは「ぷっ」と吹き出し、口元を手で覆った。明らかに馬鹿にされている。
「お姉さんって。ウカちゃん、パウリーと同い年じゃろう? あの、パウリーと」
「ちょっと待って、聞き捨てならないんだけど。私って、パウリーと同じくくり?」
「違うのか?」
下から覗き込まれるように見つめられて、私は二の句が継げなくなる。
「さっきも震えとったじゃろ。小さい子供みたいに」
とどめだ。
仰るとおりです、としぶしぶ負けを認めると「素直でよろしい」と飴をもらった。間をあけずに口に放り込んだらバナナミルク味で、ころころと口の中で転がし優しい甘さを楽しんでいると「やっぱり子供みたいじゃのう」と大人の微笑を向けられる。
気恥ずかしさを紛らわせるように、奥歯でがり、と飴玉を砕きながら話題を探した。
「カクさんは避難したことある?」
「わしは造船島に部屋を借りとるからのう。あ、でも島に来たばかりの頃、一回だけパウリーに付き合ってしてみたな」
何事も経験じゃし、と続けたカクさんの言いぶりが少し寂しかった。なぜだろう、カクさんの言葉には、どこか根無し草のような風情があった。ここは船大工にとって憧れの島かもしれないが、腕を磨いて故郷に帰る人だっているのだから、仕方ないのかもしれない。
遅まきながらようやく気付いた。カクさんは、いつかこの島からいなくなるのかもしれない、と。思いついたら途端に、それが身に迫るような気持ちになって、もどかしくなる。
「カクさん、あの、私ね」
カクさんのこと、好きになっちゃったんだけど。
言ってしまおうと息を吸った瞬間、不意に明かりが消えて、吸った息は「わっ」というちょっとした悲鳴に変わった。なんだ、どうしたと周りもざわつく。挫かれた心を立て直してもう一回、息を。
「──ッ⁉」
告白は失敗に終わった。
隣に座っていたカクさんが私の肩を抱くように両腕を回し、首に、耳に、息がかかる距離まで顔が近づいているのが分かったからだ。カクさんが静かに息をしているのが肌で分かった。
心臓が体全部を揺らしているんじゃないかと心配になる。触れている肩から、胸の高鳴りがばれてしまうのではと。下手に動くと、触れ合う場所が増えたり減ったりしそうで、結局ただ身体を強張らせることしかできなかった。
でも、嬉しかった。
「か、カクさん……?」
やっとの思いで名を呼ぶ。長い沈黙に感じたけど、おそらく一瞬だった。
私はたぶん頬を染めていた。暗闇でなければ、緩む口元を手で覆って隠していたに違いない。好いていた人から暗闇で抱きすくめられて、私は初恋が実ったのだと無邪気に喜びながら、暗闇で良かったと心から思った。
「すまんの」
だから、カクさんが何を言っているのかわからなくて、目を見開くだけに終わった。
「パウリーを、よろしく」
カクさんが言い終わるや否や、すぐに明かりがついて、そしたらもうカクさんはいなくて、私の隣がただぽっかり空いていた。ぬくもりも残っておらず、カクさんは本当にいたのか、それすら疑わしい。でも、私の手の中には飴の包み紙がくしゃりと丸まっていた。
脳内でカクさんの言葉がリフレインする。
『すまんの。パウリーを、よろしく』
私のことはどうやらこれっぽっちも、気にしてないみたいだ。
「さよなら」と言われたわけではないのに、そうとしか聞こえなくて、私の初恋は完全に行き場を失った。
さよなら、初恋。
おしまい
← →
初めて耳元で響いた言葉は思いもよらぬ言葉で、私は急接近を喜ぶ暇もなく、なんで、とただそれだけ思った。
豪雨
風が強くなるのに比例して、コンコン、コンコン、という音も町中から響くようになってきた。家のドアに鉄戸をはめ、隙間に麻を詰めていく音だ。これを聞くと、アクア・ラグナがくるんだなと実感する。
私の部屋の避難準備は、大家さんが請け負ってくれることになった。アクア・ラグナからの避難自体は歳の数からマイナス五回はしているが、五年ぶりの避難だったし、「家」に対する避難準備を一人でやったことはなく、正直きちんと部屋を守れるか内心とても不安だったから、とてもありがたい申し出だ。
本当はパウリーを頼ろうかと思っていたのだが、このタイミングの『暗殺海賊』。市長が暗殺されかけたというニュースが島を騒がすこの日に、市長、もとい、社長を慕っているパウリーを頼ることはやめておきたかったし、そもそもできない相談だったろう。大家さんには感謝が尽きない。
大家さんからは、お昼前には荷物をまとめて、避難所に行くように言われていた。お昼過ぎには鉄戸をはめてしまうからと。それまでに荷物をまとめねば。春先に越してきたばかりだったから、物はそう多くないが、避難準備の勝手を忘れてしまっていて、何があれば便利だったっけ? などともたもたしているうちにもう約束の時間だ。
壁に貼っていたカードを外して、折れないよう大事に鞄に詰め込む。最後にもう一度だけ部屋を見回して、ドアを閉めた。
◆
造船工場のどのドックに避難しても変わらないのだろうけど、なんとなく、馴染みの一番ドックを選んでしまったのが間違いだったかもしれない。一番ドックは避難所としても人気なのか、もうほとんどのスペースが埋まっていて、私は仕方なく入口近くに空いていたスペースに落ち着くことにした。人の出入りが多いために空いていたのだろうが、避難が終わり、扉が閉ざされればそこまで気になることもないだろう。
周りは家族連れやご夫婦が多い。もしかしたら、年代とか、一人暮らしだとか、住んでいるそれぞれの町や区画かなんかで、避難するドックがなんとなく決まっているのかも、と今更ながらの気づきがある。場違いだったかな、と気になり、子供の頃はどこに避難していたっけ、と思い返してみる。
これまでの避難といえば呑気なものだった。時間帯にもよるけれど、大抵は避難所に一泊することになるので、ちょっと非日常的なイベント、お泊り会、みたいな感じで、子供の頃は不謹慎だがワクワクしたのを思い出す。パウリーの家族と連れ立っていくことがほとんどだったから、おのずとパウリーが一緒にいるのが常だった。
祖母とパウリーのご両親、パウリーがそばにいて、避難所だったけどそこにはいつもの日常に近いものがあった。おばさんは、いつも私と祖母の分のパニーニも作ってくれて、ピクニックのように過ごしたのを思い出す。みんなでカードゲームをして、パウリーはよく無茶な勝負に出ては負けていた。悔しそうにするパウリーをなだめ、明かりが落ちるのに合わせて、続きはまた明日とタオルケットにくるまる。暗くなると一転、馴染みのない天井と知らない人の息遣い、衣擦れの音。なかなか寝付けなくて、朝方にようやくうとうとした。毎回、寝付いたくらいに起こされる羽目になり、外に出ると決まってからりと晴れた空だったから、眩しさが恨めしかった。快晴の下、カードゲームの続きをすることはない。そうしてまた次のアクア・ラグナがくる。
十代後半ともなると、特に男の子たちは、さすがに家族、両親と一緒に寝る、なんてことはなく。辛うじてご飯は一緒に食べていたが、食べ終わると、ふらりと避難所の隅に集まってたむろしていた。そんな光景は珍しいものではなかった。
でも、前回の避難は、久しぶりにパウリーが隣にいてくれた。祖母がいなかったからだ。
そうか。一人でする避難は、生まれて初めてだ。
はた、と気づいて、不安がじわじわと募る。
ここまで水が流れ込んでくることは、きっとない。でも、部屋は裏町だから確実に水に浸かるだろう。避難準備は大家さんがやってくれたから大丈夫。とはいえ、アクラ・ラグナの規模によっては……。大事なものは全部持ってきた。母と祖母の写真。パウリーからもらったカード。それから。
大丈夫、大丈夫。島全体が水に浸かるわけじゃない。万一、ここにまで水が迫るようなら、その前にちゃんと避難指示が出る。部屋だって、もし浸かって駄目になってもまた探せばいい。買い直せないものは全部持ってきている。持ってきているはずだ。
どっどっどっど。思えば思うほど制御できない自分の心臓の音で、さらに焦っていく。大丈夫、大丈夫。先ほどから飽きるほど言い聞かせているのに、身体は言うことを聞かない。心細さが限界に達し、膝を身体に引き寄せてぎゅっと抱えた。
自分のつま先を見つめていたら、縮こまる私を人影がさっと覆って、上から知った声が降ってきた。
「地元っ子じゃろ? そんなに震えてどうしたんじゃ」
◆
「なんでいるの!?」
「パウリーが心配しとっての」
突然現れたカクさんは何でもないふうにさらっと言った。私をまっすぐ見下ろす丸い瞳と目が合って、心臓が別の意味で跳ねる。おかげで、先ほどまでの嫌な動悸が一瞬でおさまった。息を整えるために、長く吐く。
「事件は……。今日は……、職長が会社を離れてたらまずいんじゃ」
「そうそう。じゃからパウリーはどうしても外せんくてのう。わしが代わりに」
抜けてきた、と歯を見せるカクさんに、肩の力が抜けていく。こわばりがほぐれ、あたたかい血がじわっと身体をめぐっていくような気がした。カクさんは「ったく、海賊どもめ」と悪態をつきながら私の隣に腰を下ろす。元々、手狭なスペースだったので身を寄せ合うようになり、長い手足を一生懸命おさめて座るカクさんは新鮮だった。「もっとこっちに寄っていいよ」とは下心があるせいで、とても言えない。
「大変な時に申し訳ないけど……嬉しい。ありがとう。一人の避難は初めてで不安だったの」
「やっぱりのう。ウカちゃんは怖がりじゃなあ。寝るまで側にいてやらんと」
からかい混じりの、でもどきりとする発言に、元気が戻ってきた私はちゃんと受けて立つ。
「寝るまでって……! カクさんって、ちょいちょい私を小さい子供みたいに扱うよね? 私、カクさんよりお姉さんなんですけど?」
唇を尖らせ、頬を膨らますとカクさんは「ぷっ」と吹き出し、口元を手で覆った。明らかに馬鹿にされている。
「お姉さんって。ウカちゃん、パウリーと同い年じゃろう? あの、パウリーと」
「ちょっと待って、聞き捨てならないんだけど。私って、パウリーと同じくくり?」
「違うのか?」
下から覗き込まれるように見つめられて、私は二の句が継げなくなる。
「さっきも震えとったじゃろ。小さい子供みたいに」
とどめだ。
仰るとおりです、としぶしぶ負けを認めると「素直でよろしい」と飴をもらった。間をあけずに口に放り込んだらバナナミルク味で、ころころと口の中で転がし優しい甘さを楽しんでいると「やっぱり子供みたいじゃのう」と大人の微笑を向けられる。
気恥ずかしさを紛らわせるように、奥歯でがり、と飴玉を砕きながら話題を探した。
「カクさんは避難したことある?」
「わしは造船島に部屋を借りとるからのう。あ、でも島に来たばかりの頃、一回だけパウリーに付き合ってしてみたな」
何事も経験じゃし、と続けたカクさんの言いぶりが少し寂しかった。なぜだろう、カクさんの言葉には、どこか根無し草のような風情があった。ここは船大工にとって憧れの島かもしれないが、腕を磨いて故郷に帰る人だっているのだから、仕方ないのかもしれない。
遅まきながらようやく気付いた。カクさんは、いつかこの島からいなくなるのかもしれない、と。思いついたら途端に、それが身に迫るような気持ちになって、もどかしくなる。
「カクさん、あの、私ね」
カクさんのこと、好きになっちゃったんだけど。
言ってしまおうと息を吸った瞬間、不意に明かりが消えて、吸った息は「わっ」というちょっとした悲鳴に変わった。なんだ、どうしたと周りもざわつく。挫かれた心を立て直してもう一回、息を。
「──ッ⁉」
告白は失敗に終わった。
隣に座っていたカクさんが私の肩を抱くように両腕を回し、首に、耳に、息がかかる距離まで顔が近づいているのが分かったからだ。カクさんが静かに息をしているのが肌で分かった。
心臓が体全部を揺らしているんじゃないかと心配になる。触れている肩から、胸の高鳴りがばれてしまうのではと。下手に動くと、触れ合う場所が増えたり減ったりしそうで、結局ただ身体を強張らせることしかできなかった。
でも、嬉しかった。
「か、カクさん……?」
やっとの思いで名を呼ぶ。長い沈黙に感じたけど、おそらく一瞬だった。
私はたぶん頬を染めていた。暗闇でなければ、緩む口元を手で覆って隠していたに違いない。好いていた人から暗闇で抱きすくめられて、私は初恋が実ったのだと無邪気に喜びながら、暗闇で良かったと心から思った。
「すまんの」
だから、カクさんが何を言っているのかわからなくて、目を見開くだけに終わった。
「パウリーを、よろしく」
カクさんが言い終わるや否や、すぐに明かりがついて、そしたらもうカクさんはいなくて、私の隣がただぽっかり空いていた。ぬくもりも残っておらず、カクさんは本当にいたのか、それすら疑わしい。でも、私の手の中には飴の包み紙がくしゃりと丸まっていた。
脳内でカクさんの言葉がリフレインする。
『すまんの。パウリーを、よろしく』
私のことはどうやらこれっぽっちも、気にしてないみたいだ。
「さよなら」と言われたわけではないのに、そうとしか聞こえなくて、私の初恋は完全に行き場を失った。
さよなら、初恋。
おしまい
← →
忘れてもらって大丈夫 #カク
きっとわしは、彼女に酷いことをする。
だから全部、
忘れてもらって大丈夫
パウリーの誕生日会は大変に盛り上がった。会の序盤は「パウリーお誕生日おめでとう」の空気が濃かったが、ガレオン船の納期が迫っていることと、暑気払いを兼ねていたこともあって、後半はただの宴会と化した。当の本人に不満の色はちっともなさそうだ。「本日の主役」と書かれたタスキはすでに外されていて、テーブルの隅で雑に丸まっている。
会にはウカも参加していた。ルッチが事前に声をかけていたらしい。あの、ルッチが。
ルッチのことは昔からよくわからない。けれど、最近のルッチは輪をかけてわからない。昔は「人の血が流れているのか」と本気で疑ったものだ。どんな時でもぶれないその背中は、恐ろしくもあり、頼もしくもあった。もちろん、今でも信頼は揺らがない。が、どうしたのだ、と肩を揺すりたくなることはある。パウリーのせいだ。勝手にそう思っている。
パウリーは不思議な男だった。何か任務の足しにならないかと、周囲を探ってみたものの、意外と交友関係が狭かった。いや、もっと的確な言葉を選ぶなら「薄かった」。もちろん会社以外のコミュニティ、馴染みの店や賭場はあったが、やつはあくまで「場」に顔を出しているにすぎず、「人」にこだわっているようにはみえなかった。結局、調べた範囲では自分たちが一番の友人、と言えそうだ。自分たちの優秀さに、カクは眩暈を覚える。
任務にかけられるコストは五年、と決まっていた。そしてすでに五年が経った。どんな終わりになるかは、長官とルッチ、ブルーノあたりが決めるのだろう。自分に口をはさむ機会があるかはわからないが、終わりは確実に迫っている。
そんなタイミングでひょっこり現れたのがウカだった。
女が苦手なパウリーの、一番近くに長くいた女。もしかしたら、パウリーの女嫌いの原因か? と訝しんだこともあったが、調べれば調べるほど、彼と彼女は昔から今の今まで、れっきとした幼馴染で友達だった。
「ウカちゃん、来とったのか?」
店の隅で、パウリーを見つめながらのんびりグラスを傾けていたウカに声をかけ、彼女の目の前の椅子を引く。来ていたことなんて百も承知で、我ながら白々しいなと思ったが、ウカは気にしなかった。ウカの顔が、ぱあっと明るくなる。
「カクさん。こんばんは。そうなの、ルッチさんが呼んでくれてね。最初はちょっと申し訳ないしと思って、お店を手伝ってたんだけど、ブルーノさんがもういいよって。だから飲んでた。楽しいねえ。パウリーも楽しそう。呼んでくれてありがとう」
ウカは酔っぱらっているのか、いつも以上に饒舌だった。楽しそう、というウカの言葉に、どれどれと身体を捻る。
パウリーは店の中央のテーブルで、べろんべろんになっていた。アイスバーグさんと、カリファ、ルッチ、ルルやタイルストンが相手をしている。ちょうどパウリーが「パウリー! 飲みます! おめでとう、おれ!」と宣言して立ち上がり、グラスを高々と突き上げているところだった。ルッチが『それでこそおれたちのパウリーだ』と適当なことを言い、タイルストンが「そうだパウリー! その意気だ!」と囃し立てる。ルルとカリファは、パウリーの飲みすぎを咎めるでもなく、心配をするでもなく、ただ肩を揺らしている。アイスバーグさんはやれやれ、とヤンチャな兄弟を見守る兄のような目つきで微笑んでいた。
いつもなら自分もそちらにいるのだが。なんとなく今は、ルッチのそばにいたくない。
「誕生日を祝ってくれるお友達が、パウリーにたくさん出来てよかった」
ウカの言葉に向き直る。ウカは急にどこか遠くを見るような眼差しで、しみじみと言った。視線の先がパウリーなのは間違いない。
「まるで母親みたいな言い方じゃのう」
カクの揶揄するような返答に、ウカは意外そうに少しだけ目を丸くして、でも気を悪くするでもなく「ううん……」とグラスをもてあそび、中の氷と酒をくるくると回した。そして「ふふ、確かにちょっとお母さんみたいだったねえ」と同意する。
「子供の頃ってあんまり……大っぴらに楽しいことが出来なかったから、誕生日も家族とこっそり祝ってたんだ。だから、こんなに盛大にお祝い出来るなんて、素晴らしいなあって思ったら感動しちゃって。それに、大人になったら友達が増えるなんて、想像できた? 私は出来なかったなあ。」
わしらは「友達」じゃあ、ないんじゃが。
思って、存外、カクは胸が痛い。
言葉を継げずにいると「カクさんはどうだった?」と興味深そうにこちらを見つめてくるウカと目が合った。思わず目をそらしてしまう。ウカは質問が曖昧過ぎると思ったのか、「カクさんはお誕生日、何かお祝いした?」と焦点を絞った問いに変えた。
「わしも……似たようなもんじゃったなあ」
不要な嘘はつかないことにしている。カクは、誕生日にまつわる子供の頃のエピソードで、話せそうなことがあるか頭を巡らせたが、もちろんそんなものはなかったので、これ以上は語らないことにした。ウカは、語らないことを根掘り葉掘り詮索するような人ではない。カクはそれを知っていた。
「ちなみに、カクさんのお誕生日はいつ? 教えてもらったっけ?」
面倒だと思ったのが本音だが、これくらいはいいか、と判断して「来月じゃな」と答える。「ウカは?」と一応聞いてみたが「秘密」と口元で人差し指を立てられた。くそ、それがありならわしだって馬鹿正直に答えんかったわ。ペースを乱される気がして悔しいが、後の祭りだ。
「なら、お祝いさせて! ルッチさんも」
「いらん、いらん」
言ってから、あまりに強く拒絶するような物言いだったと反省する。案の定、ウカは眉を下げ、少し悲しそうに笑っていた。母親が子供の癇癪に付き合うような顔にも見え、ますます調子が狂う。いつもは子供みたいな顔で笑うくせに。頬杖をつきながら、気まずさを持て余していると、ウカがカクの気持ちを知ってか知らずか、勝手に話し始めた。
「島を出てる間、パウリーが一回だけカードを送ってくれたんだけど」
「一回! 五年で一回か? 薄情なやつじゃのう」
ここぞとばかりにパウリーを責めると、ウカは、あはは、と口を大きく開けて笑った。「ううん。これくらいなの、私たちは。私も一回しか送らなかったし」とパウリーを庇うのも忘れない。いつもの子供みたいな笑顔に、こっそりほっとする。
ウカは目を細めながら続けた。
「そのカードにはさ、ちゃんと帰って来いってそれだけ書いてあって、それだけで十分嬉しかったんだけど『追伸』が」
P.S 誕生日おめでとう
「そのカードは大事に持って帰ってきて、入居してすぐ、部屋の壁に貼ったよ」
嬉しかったことは、忘れないように毎日思い出したいから。
朝起きて、いい気分でも、そうでなくても、毎日の習慣みたいに壁のカードに目を留めて、嬉しくなったり、ほっとしたり、仕方ないかと自分を慰めたり、そんなウカが目に浮かぶ。
自分も、誰かに祝ってほしいと思ってしまった。今日みたいに、盛大でなくていい。カードに一行、おめでとうと添えてある。走り書きでいい。ふと思い出して、慌てて店でカードを準備して、何食わぬ顔で渡してくれる。そんな程度の祝いで十分だった。
「……八月、七日」
こぼしてしまってから、しまった、と口を噤んでももう遅い。
「七日ね。わかった」
ウカはきっと、あたたかく祝ってくれる。パウリーにもらったものを、今度はわしに。
でも、わしらは遠くない未来、必ず姿を消す。どんなふうに終わるのかは定かではないが、適当な理由をつけての円満退職なんて、できるとは思っていない。
きっと、酷いことをする。だから、
「全部……、忘れてもらって大丈夫じゃから」
「忘れたりしないよ? ちゃんと壁に貼っておく」
顔の横でピースサインをつくるウカ。
やめてくれ! 叫びたいほどの衝動を、なんとかこらえて、唇を緩やかな笑みの形にした。痙攣して引き攣りそうになる口角を必死でおさえる。
きっとわしは、彼女に酷いことをする。
楽しかったことだけ覚えていてくれなんて傲慢なことは言わない。全部忘れてくれて構わない。笑いあった日々も、わしらがする、非道も全部。
忘れてもらって大丈夫。
おしまい
← →
きっとわしは、彼女に酷いことをする。
だから全部、
忘れてもらって大丈夫
パウリーの誕生日会は大変に盛り上がった。会の序盤は「パウリーお誕生日おめでとう」の空気が濃かったが、ガレオン船の納期が迫っていることと、暑気払いを兼ねていたこともあって、後半はただの宴会と化した。当の本人に不満の色はちっともなさそうだ。「本日の主役」と書かれたタスキはすでに外されていて、テーブルの隅で雑に丸まっている。
会にはウカも参加していた。ルッチが事前に声をかけていたらしい。あの、ルッチが。
ルッチのことは昔からよくわからない。けれど、最近のルッチは輪をかけてわからない。昔は「人の血が流れているのか」と本気で疑ったものだ。どんな時でもぶれないその背中は、恐ろしくもあり、頼もしくもあった。もちろん、今でも信頼は揺らがない。が、どうしたのだ、と肩を揺すりたくなることはある。パウリーのせいだ。勝手にそう思っている。
パウリーは不思議な男だった。何か任務の足しにならないかと、周囲を探ってみたものの、意外と交友関係が狭かった。いや、もっと的確な言葉を選ぶなら「薄かった」。もちろん会社以外のコミュニティ、馴染みの店や賭場はあったが、やつはあくまで「場」に顔を出しているにすぎず、「人」にこだわっているようにはみえなかった。結局、調べた範囲では自分たちが一番の友人、と言えそうだ。自分たちの優秀さに、カクは眩暈を覚える。
任務にかけられるコストは五年、と決まっていた。そしてすでに五年が経った。どんな終わりになるかは、長官とルッチ、ブルーノあたりが決めるのだろう。自分に口をはさむ機会があるかはわからないが、終わりは確実に迫っている。
そんなタイミングでひょっこり現れたのがウカだった。
女が苦手なパウリーの、一番近くに長くいた女。もしかしたら、パウリーの女嫌いの原因か? と訝しんだこともあったが、調べれば調べるほど、彼と彼女は昔から今の今まで、れっきとした幼馴染で友達だった。
「ウカちゃん、来とったのか?」
店の隅で、パウリーを見つめながらのんびりグラスを傾けていたウカに声をかけ、彼女の目の前の椅子を引く。来ていたことなんて百も承知で、我ながら白々しいなと思ったが、ウカは気にしなかった。ウカの顔が、ぱあっと明るくなる。
「カクさん。こんばんは。そうなの、ルッチさんが呼んでくれてね。最初はちょっと申し訳ないしと思って、お店を手伝ってたんだけど、ブルーノさんがもういいよって。だから飲んでた。楽しいねえ。パウリーも楽しそう。呼んでくれてありがとう」
ウカは酔っぱらっているのか、いつも以上に饒舌だった。楽しそう、というウカの言葉に、どれどれと身体を捻る。
パウリーは店の中央のテーブルで、べろんべろんになっていた。アイスバーグさんと、カリファ、ルッチ、ルルやタイルストンが相手をしている。ちょうどパウリーが「パウリー! 飲みます! おめでとう、おれ!」と宣言して立ち上がり、グラスを高々と突き上げているところだった。ルッチが『それでこそおれたちのパウリーだ』と適当なことを言い、タイルストンが「そうだパウリー! その意気だ!」と囃し立てる。ルルとカリファは、パウリーの飲みすぎを咎めるでもなく、心配をするでもなく、ただ肩を揺らしている。アイスバーグさんはやれやれ、とヤンチャな兄弟を見守る兄のような目つきで微笑んでいた。
いつもなら自分もそちらにいるのだが。なんとなく今は、ルッチのそばにいたくない。
「誕生日を祝ってくれるお友達が、パウリーにたくさん出来てよかった」
ウカの言葉に向き直る。ウカは急にどこか遠くを見るような眼差しで、しみじみと言った。視線の先がパウリーなのは間違いない。
「まるで母親みたいな言い方じゃのう」
カクの揶揄するような返答に、ウカは意外そうに少しだけ目を丸くして、でも気を悪くするでもなく「ううん……」とグラスをもてあそび、中の氷と酒をくるくると回した。そして「ふふ、確かにちょっとお母さんみたいだったねえ」と同意する。
「子供の頃ってあんまり……大っぴらに楽しいことが出来なかったから、誕生日も家族とこっそり祝ってたんだ。だから、こんなに盛大にお祝い出来るなんて、素晴らしいなあって思ったら感動しちゃって。それに、大人になったら友達が増えるなんて、想像できた? 私は出来なかったなあ。」
わしらは「友達」じゃあ、ないんじゃが。
思って、存外、カクは胸が痛い。
言葉を継げずにいると「カクさんはどうだった?」と興味深そうにこちらを見つめてくるウカと目が合った。思わず目をそらしてしまう。ウカは質問が曖昧過ぎると思ったのか、「カクさんはお誕生日、何かお祝いした?」と焦点を絞った問いに変えた。
「わしも……似たようなもんじゃったなあ」
不要な嘘はつかないことにしている。カクは、誕生日にまつわる子供の頃のエピソードで、話せそうなことがあるか頭を巡らせたが、もちろんそんなものはなかったので、これ以上は語らないことにした。ウカは、語らないことを根掘り葉掘り詮索するような人ではない。カクはそれを知っていた。
「ちなみに、カクさんのお誕生日はいつ? 教えてもらったっけ?」
面倒だと思ったのが本音だが、これくらいはいいか、と判断して「来月じゃな」と答える。「ウカは?」と一応聞いてみたが「秘密」と口元で人差し指を立てられた。くそ、それがありならわしだって馬鹿正直に答えんかったわ。ペースを乱される気がして悔しいが、後の祭りだ。
「なら、お祝いさせて! ルッチさんも」
「いらん、いらん」
言ってから、あまりに強く拒絶するような物言いだったと反省する。案の定、ウカは眉を下げ、少し悲しそうに笑っていた。母親が子供の癇癪に付き合うような顔にも見え、ますます調子が狂う。いつもは子供みたいな顔で笑うくせに。頬杖をつきながら、気まずさを持て余していると、ウカがカクの気持ちを知ってか知らずか、勝手に話し始めた。
「島を出てる間、パウリーが一回だけカードを送ってくれたんだけど」
「一回! 五年で一回か? 薄情なやつじゃのう」
ここぞとばかりにパウリーを責めると、ウカは、あはは、と口を大きく開けて笑った。「ううん。これくらいなの、私たちは。私も一回しか送らなかったし」とパウリーを庇うのも忘れない。いつもの子供みたいな笑顔に、こっそりほっとする。
ウカは目を細めながら続けた。
「そのカードにはさ、ちゃんと帰って来いってそれだけ書いてあって、それだけで十分嬉しかったんだけど『追伸』が」
P.S 誕生日おめでとう
「そのカードは大事に持って帰ってきて、入居してすぐ、部屋の壁に貼ったよ」
嬉しかったことは、忘れないように毎日思い出したいから。
朝起きて、いい気分でも、そうでなくても、毎日の習慣みたいに壁のカードに目を留めて、嬉しくなったり、ほっとしたり、仕方ないかと自分を慰めたり、そんなウカが目に浮かぶ。
自分も、誰かに祝ってほしいと思ってしまった。今日みたいに、盛大でなくていい。カードに一行、おめでとうと添えてある。走り書きでいい。ふと思い出して、慌てて店でカードを準備して、何食わぬ顔で渡してくれる。そんな程度の祝いで十分だった。
「……八月、七日」
こぼしてしまってから、しまった、と口を噤んでももう遅い。
「七日ね。わかった」
ウカはきっと、あたたかく祝ってくれる。パウリーにもらったものを、今度はわしに。
でも、わしらは遠くない未来、必ず姿を消す。どんなふうに終わるのかは定かではないが、適当な理由をつけての円満退職なんて、できるとは思っていない。
きっと、酷いことをする。だから、
「全部……、忘れてもらって大丈夫じゃから」
「忘れたりしないよ? ちゃんと壁に貼っておく」
顔の横でピースサインをつくるウカ。
やめてくれ! 叫びたいほどの衝動を、なんとかこらえて、唇を緩やかな笑みの形にした。痙攣して引き攣りそうになる口角を必死でおさえる。
きっとわしは、彼女に酷いことをする。
楽しかったことだけ覚えていてくれなんて傲慢なことは言わない。全部忘れてくれて構わない。笑いあった日々も、わしらがする、非道も全部。
忘れてもらって大丈夫。
おしまい
← →
そんなに泣くなよ。
夏という月日
ぎりぎりのところで乗り込んだ海列車の車内では、出発して間もなく、セント・ポプラに海賊が現れたため、安全が確保できるまで一時停泊する旨のアナウンスが流れた。
ウカはそれであんな電伝虫を……?
ウカのただならぬ様子に、事情も聞かず飛び乗った海列車だったが遅々として進まず、パウリーに苛立ちが募る。セント・ポプラに海軍が到着するのに、どれほど時間がかかるだろう。ウォーターセブンなら。いや、こちらも今はアクア・ラグナからの復興で手薄だ。それに、ルッチやカクも、もういない。
「くそ」
誰に言うでもなく、しいて言えば、彼らの顔を思い浮かべてしまった自分に毒づいた。
永遠にも思えたじれったい時間だったが、実際には三十分にも満たなかったようだ。もう鎮圧したのか? 早すぎる、と思ったが、タイミングよく近くを通りがかっていた海軍でもいたのかもしれない。真相はわからないまま、海列車は普段より四十分ほどの遅れでセント・ポプラに着いた。
セント・ポプラの駅に転がるように降り立ったら、ウカがおれを見た途端泣き出して何事かと思う。泣きじゃくってるせいでなんの説明も出来ないウカは、あろうことかそのままおれの手を引いて歩き出した。
「おいっ! どうした? 海賊が暴れてるってアナウンスがあったぞ⁉」
「う゛ぅッ……ごべん゛……、……っと待っ、で……」
おそらく「泣き止むから」と言いたいのだろうが、まったくその気配はない。仕方なく手を引かれるまま歩いていく。ウカは港の方へ向かっているようだった。泣きじゃくる女に手を引かれながら無言でついていくむさ苦しい男、という図だったが、町全体がざわついており、おれ達の異様さも目立たなかった。
町には、数日前に自分も嗅いだ「戦闘の匂い」が漂っていた。具体的には、血と硝煙の匂いだ。港に近づくにつれそれは濃くなっていく。そして、水をかけながらデッキブラシで道路を擦る人々が増えた。血を洗い流しているのだと分かった。
鎮圧に時間はかからなかったはずなのに。血が大量に流れていることへの違和感が膨れ上がる。慌ててウカをみやって、どこかから血が流れていやしないかと確認した。
「とにかく、お前。身体はなんともないんだよな? 怪我して痛ぇとかじゃねえんだよな?」
つむじの見える小さな後頭部に投げかけると、ウカはこくんと首を縦に振った。ほっとして息を吐く。
「それならいいんだ。気がすむまで泣いてりゃいい。気にすんな」
泣いていていい、と言われたウカは、嘘のようにしゅるしゅると泣き止んでいった。嗚咽がどんどん小さくなり、ずびずびと鼻を鳴らすようになって、すんすん言いながら、最後は鼻をかんだ。どうやら泣き止まねば、と焦っていたようだ。そして「また泣いて話せなくなったら、ごめん」と先回りする。
「いいよ。そのうち泣くのにも飽きるだろ」
ウカは今日初めて笑顔を見せた。力ない笑顔だった。
◆
港に着く頃には日が傾いていて、空は茜色になりかけていた。波は穏やかだったが、あちこちに戦いの名残を感じる。でも、ただそれだけだ。ウカがおれをここに連れてきて何をしたいのかは皆目見当つかない。適当な草むらに並んで腰を下ろす。ウカは膝を抱えて、水平線のさらに向こうに目を凝らしているようにみえた。
ウカは深呼吸を二、三度すると、きり、と何かを決意したような顔をおれの方に向けて信じられないことを言う。
「さっきまで、ルッチさんとカクさんが、ここにいたの」
「はあッ⁉」
つい出てしまった大きな声に、ウカはあっけなく眉を八の字にして膝に顔をうずめた。声はくぐもっていたが、ちゃんと聞き取れた。
「でも、もういない。あっという間に海賊を倒したと思ったら、その海賊船で出航しちゃったんだって。行先はわからない。私は駅にいて気がつかなくて、さっき知ったの。海賊に容赦がなかったから町の人がかえって怖がっちゃったみたいで。電伝虫は、二人に会える最後の機会だと思ってかけた。それなのにごめん。それに、今まで教えてあげられなくてごめん。間に合わなくて、引き留められなくて。本当にごめん」
ウカは息継ぎするように謝罪の言葉をはさんだ。
セント・ポプラでカクさんに会ったの。黙っていてごめん。すぐに教えなくてごめん。パウリーには知らせないで欲しいっていうカクさんの言うことをきいてしまってごめん。ルッチさんが入院していることを知らせなくてごめん。二人に会わせてあげられなくてごめん。ごめん。ごめん。ごめんなさい。
おれの顔は見なかったが、言い訳はひとつも言わなかった。
「あ、あー。ちょ、っと待て」
あいつらが、ここに、セント・ポプラにいた? いや、そもそも生きて、無事で、いたのか。
うっかり滲んだ涙をウカに気づかれないように拭った。追いつかない思考を少しでも整理したくて頭をわしわしとかき、そして、はた、と思い出す。
「片づけのとき、『会いたいか?』ってしつこく聞いたのは、これか?」
ウカの部屋の片づけを手伝った時、そういえばやけに聞かれたな、と記憶がよみがえる。その時は、なんとも思わなかった。ただ、もう二度と会えるわけないと思っていたから、真面目になんて考えなかったはずだ。おれはなんて言った?
改めてウカを見ると、ばつの悪そうな顔でこちらを見ていた。ウカは言いにくそうに、目を泳がせながら言葉を選ぶ。
「パウリーが会いたいなら、教えようと思った。でも、三人に何があったかわからなかったし、パウリーが会いたくないなら会わせたくなかった。でも」
視線を彷徨わせていたウカが、ぴたりとこちらに焦点を定めた。
「カクさんも、パウリーも、『あいつはおれに会いたくないはずだ』っておんなじ言い方するから、もうわかんなくなっちゃって」
「カクが、なんて?」
「『パウリーはわしらの顔なんか、見たくないはずじゃから』って」
「……そうか」
言うか言うまいか。二人を好いていただろうウカに、わざわざ知らせたくなかった。
だが、少し間を取って、結局こらえきれなかった。
「あいつら、おれを……騙してたらしくてよ。そんで、それがバレちまった時に『おれはお前らを仲間だと思ってた』って言ったんだ。けどよ、ルッチとカクには『お前だけだ』って言われちまって」
「はあ⁉ なにそれ!」
ウカはみるみる眉を吊り上げて顔を赤くし、瞬く間に怒りを爆発させた。さっきまで殊勝な顔をしていたくせに。ころころ変わる表情に、少しばかり安心する。
ウカは自分の膝を拳でドンドンと叩きながら、ほんっとに嘘ばっかり、と歯ぎしりするので、どういうことかと聞き返す。
「カクさん、ずっと言ってたの。自分たちは嘘つきだって」
「ああ、まあ。おれらを騙してたからだろ」
「違う。いや、そうだけど。そうじゃなくて。ずっと、自分たちは嘘つきだって言いながら『会いたくない』『パウリーとは友達じゃない』って言うんだよ」
「だからなんだよ」
「ばかみたい。わざわざ『今から嘘をつくぞ』って言ってから『会いたくない』なんて。そんなの『会いたい』ってことじゃない」
あ。
思ってすぐに、そんなことあるはずない、と打ち消した。ウカの熱弁は続く。
「本当に嘘をつきたいんだったら、そんな宣言しないで『仕方なかったんだ』『友達だ』『今でも仲間だと思ってる』『会いたくてたまらない』って言えばいいのに」
「いや、でもお前それは……、え? 嘘つきが『会いたくない』って言ってんだから、本当は『会いたい』だろうって?」
「そう」
「いやいやいやいや」
そんな、子供みたいな。
「セント・ポプラでのカクさんはずっと、そうだった。会いたいくせに。会いたいって言いたいのを必死に堪えてるようにしか、見えなかった」
ウカはそこまで捲し立ててすっきりしたのか、だからって、許さなくていいけどね⁉ と慌てて念押ししてくる。
パウリーは優しいから心配だったのだと、ウカは言う。ルッチもカクも大怪我をしていて、ルッチはここ数日、意識不明だったのだと。そんな弱っている二人に会ってしまったら、パウリーは許したくなってしまうのではと不安で、ルッチの入院中は会わせたくなかった、とも。
呆然と、海をみた。船影はない。風もないので波もない。
「ごめん、パウリー」
ウカが、もう何度目になるかわからない謝罪をまた一つ重ねた。
謝るようなことはないのに。
「まだあんのか? つーか、そもそも謝るようなことじゃ」
「わたし、カクさんのこと好きだった」
ウカはまるで罪を告白するみたいな青い顔だった。
恋の話にはそぐわない、あまりの神妙さに、ぶは、と噴き出してしまう。何を言うかと思えば。
「なんだよ、それ! 別にわるかねえだろ?」
でも、と続くウカの言葉を無理矢理遮る。
「カクはいいやつだよ」
それを聞いたウカの目にはみるみる涙がたまり、顔をくしゃくしゃにしてまた泣いた。
パウリーは優しすぎると、手で顔を覆う。ばか、ばか、とおれを罵りながらあまりに泣くから、おずおずとウカの背に手を伸ばす。触れた背中は震えていて、とても熱かった。
本心だ。カクは。ルッチも。いいやつだ。
ウカが聞いてくれたあいつらの答え。嘘かも、いや言葉のとおりかもしれない。でも、直接おれが聞いたわけじゃないからこそ、嘘で、本当かもしれないと思えた。
騙されていた日々も確かに仲間で、友達だったと。心から笑いあった日々が確かにあったのだと。
だから、そんなに泣くなよ。
おれもおまえも。
おしまい
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