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カテゴリ「夢小説」に属する投稿[68件](4ページ目)
残り香の幽霊 #カク
突然借主がいなくなった大家さんが困っていたし、ちょうど新しい部屋を探さなきゃいけなかったところだし、家賃も払えない額じゃないし、とたくさんの言い訳をして、私はカクが住んでいた部屋に住むことにした。大家さんは本当にいいの? と心配そうだったけど、そのときの私はどうしてもそうしたかった。カクの部屋で確かめたいことがあったから。
今年のアクア・ラグナは本当にひどかった。備えはしていたがそれを上回る規模の高波で、いつもなら浸水しないエリアにあったはずの私の部屋も見事に水に浸かってしまい、住み続けるのは難しくなってしまったのだ。どうしようかと困って、ひとまずカクの部屋を訪ねてみたらカクの部屋の前で腕を組んだ女性に出くわした。母と同じくらいの歳だろうか。どうされました? と尋ねた私は大層呑気な顔をしていただろうなと思う。
女性はこの部屋の大家だといい、あなた恋人なのよね? 本当に? と何度も確認した後、とても言い辛そうに、カクの退去を告げた。タイキョ? と言葉を飲み込めない私に、大家さんは追い打ちをかける。家具の処分にでも使ってほしい、とカクからまとまったお金と手紙が届いていたのだそうだ。あなた何も知らないのよね? 本当にいいのかしら、困ったわあと額に手を当てて俯く大家さんに、私が代わりに住んでもいいですか、というまでそう長い時間はかからなかった。
大家さんは、次の部屋が見つかるまでの拠点にしたらいいわ、と私を大層気の毒がって快く承諾してくれた。アクア・ラグナで家を失い、同じタイミングで恋人も去った私はさぞ可哀相な人間だったろう。私の荷物は避難所に持ち込んだ荷物だけになったから、引っ越しはすぐに済んだ。カクの部屋にはダイニングテーブルやベッドみたいな大きな家具がそのまま残っていたけど、服や本、食器の類は大方処分されていて、しんとした佇まいだった。自分のたてる物音がやけに響く。
カクと最後に会ったのはほんの二日前。私が避難の支度を終えて避難所に向かおうとしていたときだ。数日前から、海賊が市長の命を狙っているらしく、街の人も、ガレーラカンパニーの職人たちもみんなピリピリしていた。カクは職長だったから一層忙しかっただろうに、短い時間だったけど会いに来てくれたのだ。その時は、退去のことなんてもちろん一言も言ってなかったけど、この片付きようは一朝一夕で出来るものじゃない。カクは前々から準備していて、自分の意志でいなくなったんだ、と改めて思い知らされた。
とはいえ、そもそもカクはあまり物を持っていなかった。
カクの部屋の方が高台にあって景色も良かったのに、カクは私の部屋に来たがった。今思うと、自分の部屋にあまり来てほしくなかったのかもしれない。私がカクの部屋に入ったのは通り雨に振られてびしょ濡れになったあの日だけだ。部屋に入れてほしいとは、かえって言い出せなかった。断りにくいだろうこの状況で言い出すのは卑怯な気がしたから。けれど、カクはこちらが拍子抜けするくらい呆気なく部屋に招き入れてくれた。おずおずと遠慮がちにお邪魔したカクの部屋は、なんだか生活感がなくてびっくりしたけど、それを言葉にしてはいけない雰囲気があって、結局黙って借りたタオルで頭を拭いた。タオルはちょっとごわごわしていて、でも、カクの服と同じ石鹸の香りがして、そこでようやく、カクもここで生活しているんだなと安心したのを覚えている。
ひとまず、引き出しや戸棚の類をすべて開けてみる。開けても開けても当たり前のようにからっぽで、そろそろ飽きてきたという頃にそれは姿を見せた。見つけた、というべきなんだろうけど、出てきた、というのが私の気持ちに近かった。
「なんで、これが」
春先に一緒に買った香水だった。上の方の戸棚にあったのは、カクなら難なく届くからなのか、とりあえずしまい込んでいて存在を忘れたのか、なんとも判断しづらい。落とさないようにそっと手に取ると、香水にしては素っ気ない試験管のような細身のボトルが手に馴染む。
サン・ファルドで開催される仮装カーニバルにあわせて、ウォーターセブンの商店街にも色んなグッズが並ぶ。その香水は、そんな時期に露店で見かけて、柄じゃない、というカクを、こういうの夢だったのと言いくるめて買ったもの。少量で手ごろな価格だった。ナノハナから仕入れているんですよと声をかけてきた店主は商売っ気のない品のいい紳士で、香水に馴染みがない私たちに、つける場所や量なんかを色々教えてくれた。その語り口のおかげか、最初は渋々といった様子だったカクも、二つ、三つと手に取って試してみてくれる。
『カク! これすごいよ、パンの香りだ! パンの匂いがする』
『嘘じゃろ……食べ物の匂いって……』
『……』
『パンじゃな』
『ね~? でもちゃんといい香りだね。すごいね』
最初は興味なさげだったカクも、最後には土や石、木の根や苔をベースにした香りを、私はイチジクやザクロといった果実をベースにした香りを選んだ。ほう、と店主から声が漏れる。二人できょとんとしていると、店主はにこにこしながら、こう教えてくれた。お二人がそれぞれ選んだ香りはペアフレグランスとして使えるくらい互いに相性がいい香りなんですよ、と。ペアフレグランスと言われてもぴんとこない私たちに、店主はもっとわかりやすく、互いが互いを高めあってより良い香りになる組み合わせですと説明してくれた。私はようやくそこで舞い上がったし、カクもなんだか照れ臭そうだった。
私は香りも思い出も込みで気に入り、カクに会う時は必ず使った。今回の避難でも、使えないけどお守りみたいにバッグに入れて持って行った。でも、カクの方はというと、使ってくれたんだと思えたことはなかった気がする。
だから、戸棚の隅からそっと取り出した香水が、わずかに、でも確かに減ってるように見えたとき、カクが使った? いつ? と食い気味に思った。カクがつけていたのに私が気づかなかったのか。それとも部屋でつけてみて、やっぱり違う、趣味じゃないと思ったのか。わずかにでも減るくらいには、何度か試してくれたのか。
もう何も聞けないし、わからない。
でも、聞いたところでわかるだろうか。やっぱり趣味じゃなかった香水みたいに、本当は苦手でも、カクはそれを悟らせなかったかもしれない。私はカクの何を知っていたんだろう。少なくとも、こんなふうに別れる人だなんて思っていなかった。別れる……振られたんだろうか、私は。私はまだ、カクの退去、いや、失踪に気持ちが追いついていなかった。香水のボトルを目の前に掲げて液面を揺らさないように身体を硬直させる。やっぱり、減ってる。
いい香りだと思ったことも、カクに似合っていたと思ったことも覚えていたが、どんな香りだったかはうろ覚えだった。踏み台に使った椅子に腰かけながら、何もない目の前の空間に香水をワンプッシュする。たちまち香りが広がり、そうだ、そうだ。こんな香りだった、と思い出す。華やかでも爽やかでもないけど、ちょっと地味だけど、穏やかで優しい、大地と木の香りがふわっと香る。木で船を造っている、おじいちゃんみたいなカクにぴったりだと思ったことを思い出した。カクの照れた笑顔もセットで浮かんできて、じんわり目が濡れた。慌てて、ずっ、と鼻をすする。カクは、内心無理してたのかもしれないけど笑顔ではあった。なんで、どうして。聞きたいことはたくさんあるのに、もう二度と聞けないんだと思ったら、いつまでも目はじとじとと濡れ続けた。
カクのいないこの部屋のどこに焦点を合わせていいのかわからないまま、もうワンプッシュだけ、と外したキャップをしばらくそのまま握りしめていた。
どれくらいそうしていたかわからないが、胃がぎゅうと縮んでぐうう、と音を立てたところで、ハッとしてお腹をさすった。そういえば、朝から何も食べていない。水を飲むためのコップもない。食欲はあまりないけど、とりあえず何か買ってくるかと近くの商店街へ向かった。
カクの部屋があるエリアは浸水しなかったので、ほとんどいつも通り営業していた。浸水したエリアの住民も来ているのか、いつもより人が多い。人と人との間隙を縫うように目当てのパン屋に向かう。ドアを押すと、いつものドアベルがカランカランと鳴り、いらっしゃいと声がかかる。おなかはすいていないけど、いつもの習慣でローストポークのサンドイッチを手に取ってしまった。それもふたつ。ふわふわのパンにきゅうりとレタス、やわらかいローストポークがサンドしてあって、バーベキューソースとマヨネーズのバランスがとてもいい。カクとふたりでよく食べたパンだ。余分なひとつを戻すことも出来ず、諦めて会計をする。
「今日はひとり? 珍しいね」
「ああ、ええ、まあ」
「そうか、ガレーラカンパニーの人らはしばらく忙しいよね。これおまけだよ」
サンドイッチがふたつ入った紙袋に追加で入ったのは一口サイズのクロワッサンだった。シロップが塗ってあって、ほの甘いパン。カクはコーヒーと一緒につまむのが好きでそれもよく買っていたから、このおまけは忙しいであろうガレーラカンパニーの人、つまりカクへの労いだろう。要りませんとも言えず、お礼を言って店を後にした。
そのあとも立ち寄る店々で声がかかる。内容はパン屋さんの時と似たり寄ったりだ。カクの不在をことさら強調されるようでしんどく後悔しはじめる。うんざりした気持ちで、商店街のメインストリートから一本横に入ると、急に知らない景色になりかえって安心した。それなりの荷物を抱えながらうろうろしてから、カクと来た覚えがないカフェに立ち寄った。もう隣にいないカクの話題を振られたくない。
「あれ? おひとりですか?」
入店して早々、やけに馴れ馴れしい店主に出鼻をくじかれた。ひとりですが、と訝し気に応じると、店主は、すみませんすみません、と簡単な謝罪を重ねる。
「いえね、カクさんが今度はウカさんも連れてくるって言うもんだからつい」
「カクが?」
聞くと、ここはカクがこの島に来た頃からずっと通っていたお店らしい。私のことは、カクと一緒にいるところをよく見かけており一方的に知っていたので声をかけてしまったのだと。
「ウカさんのことはカクさんからよく話を聞いていたので、勝手に知った気になってしまって。すみません」
「……カクはそんなに私の話をしてたんですか?」
「僕がウカさんと初対面ではないと勘違い出来るほどには」

その日見た夢は奇妙な夢だった。カクは見たことのない真っ黒な服を着てこの部屋のダイニングテーブルに座りテーブルの上の香水を見つめていた。ボトルに手を伸ばしたところで、やめておけ、と男性の声が響く。男性の姿は見えない。
『そんなもの、仕事に差し支えるだろ』
わかっとるわい、仕舞おうとしただけじゃ、とカクが応じた。カクと会ってないのはほんの二日程度なのに懐かしくて仕方がない。カクは香水のボトルを弄ぶように右手に左手にと持ち替えていた。
『あなたが香水なんて、どうしちゃったの?』
今度は女性の声だがやはり姿は見えず、私はただ、なんだこの女は、と眉間に皺をよせた。夢は、壁の穴から覗いているように固定された視界で、自由に見たいところを見られるわけでも、こちらの声が届くわけでもないようだった。ただ彼らのやりとりを穴から見える範囲で覗き聞き耳を立てるだけ。
『別にいいじゃろ。お洒落じゃ、お洒落』
『あの女と揃いで買ったんだと』
『……なんで知っとるんじゃ』
『隠し通せるとでも思ってたのか?』
男性の声には明らかに呆れや侮蔑の色があり、なんだこの男は、と拳に力が入る。
『素敵じゃない。使ってる?』
カクを庇うような女性の声に、私は少しだけ彼女に気を許した。
『いや』
そう言ったカクが申し訳なさそうに見えたのは、そうだったらいいのにと思う私の勘違いだろうか。
『どうして?』
『なんじゃろうな、目立つ、気がする』
カクの言い分はさっぱりわからない。女性は少し間を覆いて、賢明ね、と言った。なぜそのように評されるのかわからない、という顔で女性の声がする方を見つめるカクが見える。女性は諭すような声音だった。
『香りの記憶は色褪せないわ。あなたにその覚悟がある?』
『覚悟』
『彼女、きっとあなたのこと忘れられなくなるわよ』
その香りで、彼女はきっとあなたを思い出す。
目が覚めた私は、一瞬、どこまでが夢でどこからが現実かわからなくなった。さっきまでそのダイニングテーブルに彼らがいたような錯覚に陥り、何度も目をこする。こするほど、ついさっきまで見ていた夢なのにどんどん記憶が曖昧になっていく。カクと、知らない人が何かしゃべっていた。カクも知らない人みたいだった。思い出そうとすればするほど、まったく思い出せないことがわかって焦るのだが、取りこぼしこぼれていく記憶を自分ではどうすることもできない。
手で顔を覆いながら、指の隙間からベッドサイドに置いた香水に目を留める。なんで香水は処分せずに置いていったんだろう。いや、今となっては『置いていったのか』すらわからない。しまい込んで忘れてしまった、というのが一番自然な気がした。
私はこの部屋で確かめたかっただけだ。カクは本当にもう帰ってこないのか。実はあっさり帰ってくるんじゃないかって。ほとんど使ってない香水を見つけに来たわけじゃない。タオルケットを乱暴に引き寄せて滲んだ涙を拭うと、いつかのタオルと同じ石鹸の匂いがした。こんなに物が少ないのに、容赦なくカクの気配がするとは何事なんだと、また涙が押し寄せてくる。
そのうち目の端にちらつく香水がやけに腹立たしくなってきて、こんなもの! と手に取り振りかぶった。が、それを床に叩きつけるにはどうしても至らなかった。それもまた悔しいような、負けたような、惨めな気持ちになり、今度は、ううう、と声をあげながら泣いた。カクがいなくなってからはじめてちゃんと泣けた気がした。泣きながらいつの間にか疲れ果て眠ったようだが、もう夢は見なかった。

朝の光は偉大だ。浴びていると、ましな答えを出すのに一役買ってくれる。
カーテンのない窓からは容赦なく朝日が差し込んできて、半ば強制的に起こされる羽目になった。目が開かないのは眠いからではなく、腫れているからだろう。枕元に転がる香水に目を落とす。
ひとまず、カクの香水はしまっておこう。これは、今の私にはいい影響を与えない。かといって、今はまだ自分の手で処分する気にもなれない。とりあえず、あったところに戻すことにして、のろのろとベッドから降りた。椅子を持ってきて、戸棚を開ける。
別にどこに仕舞っても良かったのだが、どうせなら同じ場所に、と奥を覗くと隅に小さな紙切れがあるのが見えた。昨日は香水に気を取られて気づかなかった。なんだろう、と手をぐっと伸ばして指の先で捉える。爪の先でカサ、カサ、とかすってから、なんとか掴めた紙切れは、メモみたいな走り書きだった。目で追うほどでもない短い文章。理解して、え、と思ったときには、椅子から転げるように走りだして、荷物を入れたボストンバッグに飛びついた。大して多くない荷物を片っ端から取り出して、確かめて、放り投げる。ない、ない、ない。空になったボストンバッグを逆さまにして叩いて、散らかした荷物をまたかき集めて一つ一つ確かめて、バッグに入れたはずの『それ』がないことを確信した。
きっとあのときだ。避難所に向かう前、ほんの少し会ったとき。あのときしか。
「全然、意味わかんない」
カクの言葉は相変わらずさっぱりだったけど、床にへたり込んだ私はまた、私しかいない部屋にカクの香水をワンプッシュした。自然と口角が上がる。それを手でおさえた。視界が滲んでぼやけ、その分香りが一層際立つ。私は大きく息を吸い込んだ。
『すまんの。これは置いていくから、しばらくウカのを貸してくれ』
その香りで、きっとあなたを思い出す。
おしまい
突然借主がいなくなった大家さんが困っていたし、ちょうど新しい部屋を探さなきゃいけなかったところだし、家賃も払えない額じゃないし、とたくさんの言い訳をして、私はカクが住んでいた部屋に住むことにした。大家さんは本当にいいの? と心配そうだったけど、そのときの私はどうしてもそうしたかった。カクの部屋で確かめたいことがあったから。
今年のアクア・ラグナは本当にひどかった。備えはしていたがそれを上回る規模の高波で、いつもなら浸水しないエリアにあったはずの私の部屋も見事に水に浸かってしまい、住み続けるのは難しくなってしまったのだ。どうしようかと困って、ひとまずカクの部屋を訪ねてみたらカクの部屋の前で腕を組んだ女性に出くわした。母と同じくらいの歳だろうか。どうされました? と尋ねた私は大層呑気な顔をしていただろうなと思う。
女性はこの部屋の大家だといい、あなた恋人なのよね? 本当に? と何度も確認した後、とても言い辛そうに、カクの退去を告げた。タイキョ? と言葉を飲み込めない私に、大家さんは追い打ちをかける。家具の処分にでも使ってほしい、とカクからまとまったお金と手紙が届いていたのだそうだ。あなた何も知らないのよね? 本当にいいのかしら、困ったわあと額に手を当てて俯く大家さんに、私が代わりに住んでもいいですか、というまでそう長い時間はかからなかった。
大家さんは、次の部屋が見つかるまでの拠点にしたらいいわ、と私を大層気の毒がって快く承諾してくれた。アクア・ラグナで家を失い、同じタイミングで恋人も去った私はさぞ可哀相な人間だったろう。私の荷物は避難所に持ち込んだ荷物だけになったから、引っ越しはすぐに済んだ。カクの部屋にはダイニングテーブルやベッドみたいな大きな家具がそのまま残っていたけど、服や本、食器の類は大方処分されていて、しんとした佇まいだった。自分のたてる物音がやけに響く。
カクと最後に会ったのはほんの二日前。私が避難の支度を終えて避難所に向かおうとしていたときだ。数日前から、海賊が市長の命を狙っているらしく、街の人も、ガレーラカンパニーの職人たちもみんなピリピリしていた。カクは職長だったから一層忙しかっただろうに、短い時間だったけど会いに来てくれたのだ。その時は、退去のことなんてもちろん一言も言ってなかったけど、この片付きようは一朝一夕で出来るものじゃない。カクは前々から準備していて、自分の意志でいなくなったんだ、と改めて思い知らされた。
とはいえ、そもそもカクはあまり物を持っていなかった。
カクの部屋の方が高台にあって景色も良かったのに、カクは私の部屋に来たがった。今思うと、自分の部屋にあまり来てほしくなかったのかもしれない。私がカクの部屋に入ったのは通り雨に振られてびしょ濡れになったあの日だけだ。部屋に入れてほしいとは、かえって言い出せなかった。断りにくいだろうこの状況で言い出すのは卑怯な気がしたから。けれど、カクはこちらが拍子抜けするくらい呆気なく部屋に招き入れてくれた。おずおずと遠慮がちにお邪魔したカクの部屋は、なんだか生活感がなくてびっくりしたけど、それを言葉にしてはいけない雰囲気があって、結局黙って借りたタオルで頭を拭いた。タオルはちょっとごわごわしていて、でも、カクの服と同じ石鹸の香りがして、そこでようやく、カクもここで生活しているんだなと安心したのを覚えている。
ひとまず、引き出しや戸棚の類をすべて開けてみる。開けても開けても当たり前のようにからっぽで、そろそろ飽きてきたという頃にそれは姿を見せた。見つけた、というべきなんだろうけど、出てきた、というのが私の気持ちに近かった。
「なんで、これが」
春先に一緒に買った香水だった。上の方の戸棚にあったのは、カクなら難なく届くからなのか、とりあえずしまい込んでいて存在を忘れたのか、なんとも判断しづらい。落とさないようにそっと手に取ると、香水にしては素っ気ない試験管のような細身のボトルが手に馴染む。
サン・ファルドで開催される仮装カーニバルにあわせて、ウォーターセブンの商店街にも色んなグッズが並ぶ。その香水は、そんな時期に露店で見かけて、柄じゃない、というカクを、こういうの夢だったのと言いくるめて買ったもの。少量で手ごろな価格だった。ナノハナから仕入れているんですよと声をかけてきた店主は商売っ気のない品のいい紳士で、香水に馴染みがない私たちに、つける場所や量なんかを色々教えてくれた。その語り口のおかげか、最初は渋々といった様子だったカクも、二つ、三つと手に取って試してみてくれる。
『カク! これすごいよ、パンの香りだ! パンの匂いがする』
『嘘じゃろ……食べ物の匂いって……』
『……』
『パンじゃな』
『ね~? でもちゃんといい香りだね。すごいね』
最初は興味なさげだったカクも、最後には土や石、木の根や苔をベースにした香りを、私はイチジクやザクロといった果実をベースにした香りを選んだ。ほう、と店主から声が漏れる。二人できょとんとしていると、店主はにこにこしながら、こう教えてくれた。お二人がそれぞれ選んだ香りはペアフレグランスとして使えるくらい互いに相性がいい香りなんですよ、と。ペアフレグランスと言われてもぴんとこない私たちに、店主はもっとわかりやすく、互いが互いを高めあってより良い香りになる組み合わせですと説明してくれた。私はようやくそこで舞い上がったし、カクもなんだか照れ臭そうだった。
私は香りも思い出も込みで気に入り、カクに会う時は必ず使った。今回の避難でも、使えないけどお守りみたいにバッグに入れて持って行った。でも、カクの方はというと、使ってくれたんだと思えたことはなかった気がする。
だから、戸棚の隅からそっと取り出した香水が、わずかに、でも確かに減ってるように見えたとき、カクが使った? いつ? と食い気味に思った。カクがつけていたのに私が気づかなかったのか。それとも部屋でつけてみて、やっぱり違う、趣味じゃないと思ったのか。わずかにでも減るくらいには、何度か試してくれたのか。
もう何も聞けないし、わからない。
でも、聞いたところでわかるだろうか。やっぱり趣味じゃなかった香水みたいに、本当は苦手でも、カクはそれを悟らせなかったかもしれない。私はカクの何を知っていたんだろう。少なくとも、こんなふうに別れる人だなんて思っていなかった。別れる……振られたんだろうか、私は。私はまだ、カクの退去、いや、失踪に気持ちが追いついていなかった。香水のボトルを目の前に掲げて液面を揺らさないように身体を硬直させる。やっぱり、減ってる。
いい香りだと思ったことも、カクに似合っていたと思ったことも覚えていたが、どんな香りだったかはうろ覚えだった。踏み台に使った椅子に腰かけながら、何もない目の前の空間に香水をワンプッシュする。たちまち香りが広がり、そうだ、そうだ。こんな香りだった、と思い出す。華やかでも爽やかでもないけど、ちょっと地味だけど、穏やかで優しい、大地と木の香りがふわっと香る。木で船を造っている、おじいちゃんみたいなカクにぴったりだと思ったことを思い出した。カクの照れた笑顔もセットで浮かんできて、じんわり目が濡れた。慌てて、ずっ、と鼻をすする。カクは、内心無理してたのかもしれないけど笑顔ではあった。なんで、どうして。聞きたいことはたくさんあるのに、もう二度と聞けないんだと思ったら、いつまでも目はじとじとと濡れ続けた。
カクのいないこの部屋のどこに焦点を合わせていいのかわからないまま、もうワンプッシュだけ、と外したキャップをしばらくそのまま握りしめていた。
どれくらいそうしていたかわからないが、胃がぎゅうと縮んでぐうう、と音を立てたところで、ハッとしてお腹をさすった。そういえば、朝から何も食べていない。水を飲むためのコップもない。食欲はあまりないけど、とりあえず何か買ってくるかと近くの商店街へ向かった。
カクの部屋があるエリアは浸水しなかったので、ほとんどいつも通り営業していた。浸水したエリアの住民も来ているのか、いつもより人が多い。人と人との間隙を縫うように目当てのパン屋に向かう。ドアを押すと、いつものドアベルがカランカランと鳴り、いらっしゃいと声がかかる。おなかはすいていないけど、いつもの習慣でローストポークのサンドイッチを手に取ってしまった。それもふたつ。ふわふわのパンにきゅうりとレタス、やわらかいローストポークがサンドしてあって、バーベキューソースとマヨネーズのバランスがとてもいい。カクとふたりでよく食べたパンだ。余分なひとつを戻すことも出来ず、諦めて会計をする。
「今日はひとり? 珍しいね」
「ああ、ええ、まあ」
「そうか、ガレーラカンパニーの人らはしばらく忙しいよね。これおまけだよ」
サンドイッチがふたつ入った紙袋に追加で入ったのは一口サイズのクロワッサンだった。シロップが塗ってあって、ほの甘いパン。カクはコーヒーと一緒につまむのが好きでそれもよく買っていたから、このおまけは忙しいであろうガレーラカンパニーの人、つまりカクへの労いだろう。要りませんとも言えず、お礼を言って店を後にした。
そのあとも立ち寄る店々で声がかかる。内容はパン屋さんの時と似たり寄ったりだ。カクの不在をことさら強調されるようでしんどく後悔しはじめる。うんざりした気持ちで、商店街のメインストリートから一本横に入ると、急に知らない景色になりかえって安心した。それなりの荷物を抱えながらうろうろしてから、カクと来た覚えがないカフェに立ち寄った。もう隣にいないカクの話題を振られたくない。
「あれ? おひとりですか?」
入店して早々、やけに馴れ馴れしい店主に出鼻をくじかれた。ひとりですが、と訝し気に応じると、店主は、すみませんすみません、と簡単な謝罪を重ねる。
「いえね、カクさんが今度はウカさんも連れてくるって言うもんだからつい」
「カクが?」
聞くと、ここはカクがこの島に来た頃からずっと通っていたお店らしい。私のことは、カクと一緒にいるところをよく見かけており一方的に知っていたので声をかけてしまったのだと。
「ウカさんのことはカクさんからよく話を聞いていたので、勝手に知った気になってしまって。すみません」
「……カクはそんなに私の話をしてたんですか?」
「僕がウカさんと初対面ではないと勘違い出来るほどには」
その日見た夢は奇妙な夢だった。カクは見たことのない真っ黒な服を着てこの部屋のダイニングテーブルに座りテーブルの上の香水を見つめていた。ボトルに手を伸ばしたところで、やめておけ、と男性の声が響く。男性の姿は見えない。
『そんなもの、仕事に差し支えるだろ』
わかっとるわい、仕舞おうとしただけじゃ、とカクが応じた。カクと会ってないのはほんの二日程度なのに懐かしくて仕方がない。カクは香水のボトルを弄ぶように右手に左手にと持ち替えていた。
『あなたが香水なんて、どうしちゃったの?』
今度は女性の声だがやはり姿は見えず、私はただ、なんだこの女は、と眉間に皺をよせた。夢は、壁の穴から覗いているように固定された視界で、自由に見たいところを見られるわけでも、こちらの声が届くわけでもないようだった。ただ彼らのやりとりを穴から見える範囲で覗き聞き耳を立てるだけ。
『別にいいじゃろ。お洒落じゃ、お洒落』
『あの女と揃いで買ったんだと』
『……なんで知っとるんじゃ』
『隠し通せるとでも思ってたのか?』
男性の声には明らかに呆れや侮蔑の色があり、なんだこの男は、と拳に力が入る。
『素敵じゃない。使ってる?』
カクを庇うような女性の声に、私は少しだけ彼女に気を許した。
『いや』
そう言ったカクが申し訳なさそうに見えたのは、そうだったらいいのにと思う私の勘違いだろうか。
『どうして?』
『なんじゃろうな、目立つ、気がする』
カクの言い分はさっぱりわからない。女性は少し間を覆いて、賢明ね、と言った。なぜそのように評されるのかわからない、という顔で女性の声がする方を見つめるカクが見える。女性は諭すような声音だった。
『香りの記憶は色褪せないわ。あなたにその覚悟がある?』
『覚悟』
『彼女、きっとあなたのこと忘れられなくなるわよ』
その香りで、彼女はきっとあなたを思い出す。
目が覚めた私は、一瞬、どこまでが夢でどこからが現実かわからなくなった。さっきまでそのダイニングテーブルに彼らがいたような錯覚に陥り、何度も目をこする。こするほど、ついさっきまで見ていた夢なのにどんどん記憶が曖昧になっていく。カクと、知らない人が何かしゃべっていた。カクも知らない人みたいだった。思い出そうとすればするほど、まったく思い出せないことがわかって焦るのだが、取りこぼしこぼれていく記憶を自分ではどうすることもできない。
手で顔を覆いながら、指の隙間からベッドサイドに置いた香水に目を留める。なんで香水は処分せずに置いていったんだろう。いや、今となっては『置いていったのか』すらわからない。しまい込んで忘れてしまった、というのが一番自然な気がした。
私はこの部屋で確かめたかっただけだ。カクは本当にもう帰ってこないのか。実はあっさり帰ってくるんじゃないかって。ほとんど使ってない香水を見つけに来たわけじゃない。タオルケットを乱暴に引き寄せて滲んだ涙を拭うと、いつかのタオルと同じ石鹸の匂いがした。こんなに物が少ないのに、容赦なくカクの気配がするとは何事なんだと、また涙が押し寄せてくる。
そのうち目の端にちらつく香水がやけに腹立たしくなってきて、こんなもの! と手に取り振りかぶった。が、それを床に叩きつけるにはどうしても至らなかった。それもまた悔しいような、負けたような、惨めな気持ちになり、今度は、ううう、と声をあげながら泣いた。カクがいなくなってからはじめてちゃんと泣けた気がした。泣きながらいつの間にか疲れ果て眠ったようだが、もう夢は見なかった。
朝の光は偉大だ。浴びていると、ましな答えを出すのに一役買ってくれる。
カーテンのない窓からは容赦なく朝日が差し込んできて、半ば強制的に起こされる羽目になった。目が開かないのは眠いからではなく、腫れているからだろう。枕元に転がる香水に目を落とす。
ひとまず、カクの香水はしまっておこう。これは、今の私にはいい影響を与えない。かといって、今はまだ自分の手で処分する気にもなれない。とりあえず、あったところに戻すことにして、のろのろとベッドから降りた。椅子を持ってきて、戸棚を開ける。
別にどこに仕舞っても良かったのだが、どうせなら同じ場所に、と奥を覗くと隅に小さな紙切れがあるのが見えた。昨日は香水に気を取られて気づかなかった。なんだろう、と手をぐっと伸ばして指の先で捉える。爪の先でカサ、カサ、とかすってから、なんとか掴めた紙切れは、メモみたいな走り書きだった。目で追うほどでもない短い文章。理解して、え、と思ったときには、椅子から転げるように走りだして、荷物を入れたボストンバッグに飛びついた。大して多くない荷物を片っ端から取り出して、確かめて、放り投げる。ない、ない、ない。空になったボストンバッグを逆さまにして叩いて、散らかした荷物をまたかき集めて一つ一つ確かめて、バッグに入れたはずの『それ』がないことを確信した。
きっとあのときだ。避難所に向かう前、ほんの少し会ったとき。あのときしか。
「全然、意味わかんない」
カクの言葉は相変わらずさっぱりだったけど、床にへたり込んだ私はまた、私しかいない部屋にカクの香水をワンプッシュした。自然と口角が上がる。それを手でおさえた。視界が滲んでぼやけ、その分香りが一層際立つ。私は大きく息を吸い込んだ。
『すまんの。これは置いていくから、しばらくウカのを貸してくれ』
その香りで、きっとあなたを思い出す。
おしまい
冤罪 #カク #カリファ
ウカさんの挨拶が終わったあと、ルッチとカク、ジャブラ、フクロウはその場に残され、この前の任務の報告をさせられたようだ。退室を許された私たちに特段予定はなく、なんとなく私の部屋でお茶をすることにするが、クマドリは鍛練があると言うので廊下で別れた。 結局、ブルーノにだけ紅茶を淹れる。
「カリファは知り合いなのか?」
「ええ、父の関係で。子供の頃良くしてもらったわ」
「どんな人なんだ?」
「どんな……」
どんな、と問われて、なんと言えばいいか迷った。私の知っているウカさんは、子供の頃、会えば必ず屈んで目線を合わせてくれ、そして「お元気ですか?怪我などされていませんか?」と心配してくれる、そういう人だ。初めは、他の大人たちと同じく、父へのアピールかと疑ったこともあったが、どうやらそんなこともなく、結果としてなついてしまった自分がいる。そして、なついた結果の秘密も。 だから、
「仕事は出来る人だと思うわ」
こうなった以上私はウカさんの味方だ。みんなには悪いけど。
ブルーノは「そうか」と応じて、それ以上何も聞いてこなかった。
ルッチとカクは戻ってこなかったが、ジャブラとフクロウは廊下でジャブラがやいのやいのと騒がしいのがわかったので部屋に寄らないか、と声をかける。
お茶を出しながら、フクロウに「どうだった?」それとなく話を振ってみたのだが、彼には本当に珍しく口が固い。ウカさんに怯えているようにも見えるが、言いふらした後のルッチからの制裁が怖いのだろうか。「いや、まあ、ルッチが……うまく説明してくれた……」となんとも歯切れが悪く、この場にいては喋りたくないことも喋ってしまいそうで不安だとでもいうように、淹れたお茶もそのままに、そそくさと退室してしまった。その代わり、ジャブラが普段以上に饒舌に教えてくれる。
「いやァ、いいもん見たぜ! あいつらにも言ったがよ。おれは完全にウカ派だ。ルッチの野郎が怒りでわなわな震えるところなんて、なかなか見られねえぞ!」
しかも女相手に! と相当愉快なようで、ジャブラは笑いが止まらない。先程の出来事を反芻して、また一人、くくと笑っている。
「ルッチの枷なのか?」
とブルーノは腕を組んだ。ルッチの枷、そんなものにウカさんがなれるだろうか。
「にしても、ルッチのやつに忠誠誓って跪けたァ……最高だ」
「ウカさん、ルッチにそんなこと言ったの?」
「ルッチはどうしたんだ?」
「差し出されたウカの指をちゅうちゅう吸ってやがったぜ。傑作だ。ウカは微動だにしてなかったけどな」
ブルーノはよくわからん人だな、と紅茶を啜った。カリファは他の二人に気づかれないようにため息をつく。私から言わせれば「相変わらずだな」だ。
「悪いけど、お開きにしてもらえる? ウカさんに改めて挨拶してくるわ」
二人を無理やり追い出してドレッサーの前に座った。ヘアオイルを手のひらで温め、手櫛で髪を整えながら、なかなか減らない香水瓶をいくつか眺める。髪をいじりながら迷って、シンプルで無機質、長方形の板みたいなガラス瓶を手に取った。買ってはみたものの、なかなかつける機会のなかった香り。胸元より少し下、みぞおちの辺りにワンプッシュする。これは、悪女の香りだ。ウカさんに会うなら、これくらいでないと。体温で肌に馴染んでいく香りを確かめながらシャツのボタンをかけ直す。
ひとまず長官室へと歩いていくと、ちょうど、長官室前の会議室から出てくるウカさんと鉢合わせた。なぜ使われていない会議室から? という疑問と、心なしか汗ばんでいるように見えるその姿に少しだけひっかかりを覚えるが、あまり気にも留めずに声をかける。
「ウカさん」
「カリファ! さっきはろくな挨拶もできなくて申し訳ない。変わりないかな?」
両手を広げてハグのポーズをとるウカさんに釣られるようにハグをする。もう私の方が背が高くなってしまったから、ウカさんのつむじが見えた。こうして触れてみるとウカさんは思っていたより随分小柄だ。見上げてくるウカさんがにやりと笑った。
「大きくなったね。こんな香りまで似合うようになって。感慨深いよ」
「……恐縮です」
ウカさんに気に入られたくて悩んだ香りなのに、いざ褒められると照れてしまう。体温が上がると、また香りが立ち上るような気がして、気恥ずかしい。ウカさんの前では、いつまでも何もできない少女のようだ。ウカさんの瞳はそんな私を簡単に見透かしているような気がして、目が合わせられない。
「もう私の方が屈んでもらわないといけないな」
「背ばかり高くなってしまって」
「そんなことないだろう。任務の成果は聞いているよ」
あの可愛いカリファがねえ、とさっき整えた毛先をウカさんが手ですくので、髪もちゃんとしておいて良かったとこっそり胸を撫で下ろした。 ふと、ウカさんのネクタイが無いことに気がつく。挨拶の時はしていたはずだが、では、なぜ?さっき気にとめなかった違和感が少しずつ膨らんでいく。
「……ウカさん、ネクタイは?」
「ああ、さっき外してどこにやったか……」
ウカさんがちらりと目線をやった会議室を私は見逃さない。いやいや、そこにはないよと私を制止するウカさんを無視してドアを開けると、ウカさんのネクタイが所在なさげにはらりとした佇まいで床に落ちていた。後ろでウカさんが額に手をあてている気配がする。振り向いて詰め寄るとウカさんがわたわたと言い訳をし始めた。
「いや、カリファ、これは君が思っているような」
「誰? ルッチ? ジャブラ?」
「いやあ……」
「……まさか、カクなの!?」
カクはまだ子供よ! とあからさまに眉間に皺を寄せた私に、ウカさんは心外だと頬を膨らませた。見くびるな、とも。
「私は何もしていない」ウカさんは両手をあげて、降伏のポーズをとる。
「……嘘よ」
「酷いなあ、本当だよ。私は彼に触れていない。餌を撒いたら、かかってしまったんだ」
言っておくが私は被害者だぞ?と全く害を被っていないような顔でウカさんが捲し立てる。床に落ちていたネクタイを拾い上げ、手で埃を拭うようにしてからウカさんに手渡した。
「どうせ楽しんだくせに」
「おいおい、カリファ。いつの間にそんなに口が悪くなったんだ?」
攻撃的な笑みを浮かべながら下から睨むようにこちらを視線で射抜いてくるウカさんにぞくりとしながら、私はカクのこれからを思ってまたため息をついた。
おしまい
←
ウカさんの挨拶が終わったあと、ルッチとカク、ジャブラ、フクロウはその場に残され、この前の任務の報告をさせられたようだ。退室を許された私たちに特段予定はなく、なんとなく私の部屋でお茶をすることにするが、クマドリは鍛練があると言うので廊下で別れた。 結局、ブルーノにだけ紅茶を淹れる。
「カリファは知り合いなのか?」
「ええ、父の関係で。子供の頃良くしてもらったわ」
「どんな人なんだ?」
「どんな……」
どんな、と問われて、なんと言えばいいか迷った。私の知っているウカさんは、子供の頃、会えば必ず屈んで目線を合わせてくれ、そして「お元気ですか?怪我などされていませんか?」と心配してくれる、そういう人だ。初めは、他の大人たちと同じく、父へのアピールかと疑ったこともあったが、どうやらそんなこともなく、結果としてなついてしまった自分がいる。そして、なついた結果の秘密も。 だから、
「仕事は出来る人だと思うわ」
こうなった以上私はウカさんの味方だ。みんなには悪いけど。
ブルーノは「そうか」と応じて、それ以上何も聞いてこなかった。
ルッチとカクは戻ってこなかったが、ジャブラとフクロウは廊下でジャブラがやいのやいのと騒がしいのがわかったので部屋に寄らないか、と声をかける。
お茶を出しながら、フクロウに「どうだった?」それとなく話を振ってみたのだが、彼には本当に珍しく口が固い。ウカさんに怯えているようにも見えるが、言いふらした後のルッチからの制裁が怖いのだろうか。「いや、まあ、ルッチが……うまく説明してくれた……」となんとも歯切れが悪く、この場にいては喋りたくないことも喋ってしまいそうで不安だとでもいうように、淹れたお茶もそのままに、そそくさと退室してしまった。その代わり、ジャブラが普段以上に饒舌に教えてくれる。
「いやァ、いいもん見たぜ! あいつらにも言ったがよ。おれは完全にウカ派だ。ルッチの野郎が怒りでわなわな震えるところなんて、なかなか見られねえぞ!」
しかも女相手に! と相当愉快なようで、ジャブラは笑いが止まらない。先程の出来事を反芻して、また一人、くくと笑っている。
「ルッチの枷なのか?」
とブルーノは腕を組んだ。ルッチの枷、そんなものにウカさんがなれるだろうか。
「にしても、ルッチのやつに忠誠誓って跪けたァ……最高だ」
「ウカさん、ルッチにそんなこと言ったの?」
「ルッチはどうしたんだ?」
「差し出されたウカの指をちゅうちゅう吸ってやがったぜ。傑作だ。ウカは微動だにしてなかったけどな」
ブルーノはよくわからん人だな、と紅茶を啜った。カリファは他の二人に気づかれないようにため息をつく。私から言わせれば「相変わらずだな」だ。
「悪いけど、お開きにしてもらえる? ウカさんに改めて挨拶してくるわ」
二人を無理やり追い出してドレッサーの前に座った。ヘアオイルを手のひらで温め、手櫛で髪を整えながら、なかなか減らない香水瓶をいくつか眺める。髪をいじりながら迷って、シンプルで無機質、長方形の板みたいなガラス瓶を手に取った。買ってはみたものの、なかなかつける機会のなかった香り。胸元より少し下、みぞおちの辺りにワンプッシュする。これは、悪女の香りだ。ウカさんに会うなら、これくらいでないと。体温で肌に馴染んでいく香りを確かめながらシャツのボタンをかけ直す。
ひとまず長官室へと歩いていくと、ちょうど、長官室前の会議室から出てくるウカさんと鉢合わせた。なぜ使われていない会議室から? という疑問と、心なしか汗ばんでいるように見えるその姿に少しだけひっかかりを覚えるが、あまり気にも留めずに声をかける。
「ウカさん」
「カリファ! さっきはろくな挨拶もできなくて申し訳ない。変わりないかな?」
両手を広げてハグのポーズをとるウカさんに釣られるようにハグをする。もう私の方が背が高くなってしまったから、ウカさんのつむじが見えた。こうして触れてみるとウカさんは思っていたより随分小柄だ。見上げてくるウカさんがにやりと笑った。
「大きくなったね。こんな香りまで似合うようになって。感慨深いよ」
「……恐縮です」
ウカさんに気に入られたくて悩んだ香りなのに、いざ褒められると照れてしまう。体温が上がると、また香りが立ち上るような気がして、気恥ずかしい。ウカさんの前では、いつまでも何もできない少女のようだ。ウカさんの瞳はそんな私を簡単に見透かしているような気がして、目が合わせられない。
「もう私の方が屈んでもらわないといけないな」
「背ばかり高くなってしまって」
「そんなことないだろう。任務の成果は聞いているよ」
あの可愛いカリファがねえ、とさっき整えた毛先をウカさんが手ですくので、髪もちゃんとしておいて良かったとこっそり胸を撫で下ろした。 ふと、ウカさんのネクタイが無いことに気がつく。挨拶の時はしていたはずだが、では、なぜ?さっき気にとめなかった違和感が少しずつ膨らんでいく。
「……ウカさん、ネクタイは?」
「ああ、さっき外してどこにやったか……」
ウカさんがちらりと目線をやった会議室を私は見逃さない。いやいや、そこにはないよと私を制止するウカさんを無視してドアを開けると、ウカさんのネクタイが所在なさげにはらりとした佇まいで床に落ちていた。後ろでウカさんが額に手をあてている気配がする。振り向いて詰め寄るとウカさんがわたわたと言い訳をし始めた。
「いや、カリファ、これは君が思っているような」
「誰? ルッチ? ジャブラ?」
「いやあ……」
「……まさか、カクなの!?」
カクはまだ子供よ! とあからさまに眉間に皺を寄せた私に、ウカさんは心外だと頬を膨らませた。見くびるな、とも。
「私は何もしていない」ウカさんは両手をあげて、降伏のポーズをとる。
「……嘘よ」
「酷いなあ、本当だよ。私は彼に触れていない。餌を撒いたら、かかってしまったんだ」
言っておくが私は被害者だぞ?と全く害を被っていないような顔でウカさんが捲し立てる。床に落ちていたネクタイを拾い上げ、手で埃を拭うようにしてからウカさんに手渡した。
「どうせ楽しんだくせに」
「おいおい、カリファ。いつの間にそんなに口が悪くなったんだ?」
攻撃的な笑みを浮かべながら下から睨むようにこちらを視線で射抜いてくるウカさんにぞくりとしながら、私はカクのこれからを思ってまたため息をついた。
おしまい
←
可愛い部下の望みなら #カク
副長官殿に煽られまくって結局豹化したルッチの代わりに、報告書もとい顛末書を提出しに長官室の前に来たカクは自分の耳を疑った。
「ス パ ン ダ ム さん!!!」
「おお、どうだった?」
「やっぱり無理ありますよ、あのキャラは!!!」
「いけるいける! 舐められるよりマシだろ」
「ルッチ怖いって! 豹ルッチは特に怖い!」
さっきまであのルッチを詰問していた女性と、部屋のなかで「ルッチ怖い」と喚いている女性は同一人物だろうか。声は同じに聞こえるが、とカクは恐る恐るノックをしてドア開ける。
「長官、この前の任務の報告書を」
「おや? ルッチくんは来ないのか?」
さっきまでルッチ怖いと喚いていたであろうウカはやれやれといった様子で、「嫌われてしまったようです」と先程自分達に見せたのと同じ態度でスパンダムに話しかける。
「お前、何やったんだよ」
「何も。ちょうどカクくんが報告書を持ってきてくれた、この任務の顛末を少々聞いていただけですよ」
ルッチを散々煽って、指までしゃぶらせておいてよく言う、とカクは心のなかで毒づいた。でもまあ、いい。
「わしはこれで」
「私も少しはずします」
一緒に部屋を出るそぶりだったので、副長官殿のためにドアを開けてやると、ウカは片手を上げ軽く礼を言った。ウカが廊下に出たところでカクも続き、後ろ手でドアを閉めて、小さな、でも、たっぷりと悪意を込めた声で一言。
「上官の弱味を握って強請るなんぞ、諜報部員冥利に尽きるのう」
言いながら、カクはウカに制止の間を与えぬようすかさずウカの手首をぎゅっと握って脈をとる。
「……乙女の肌に無許可で触れる罪は重いぞ?」
言葉とは裏腹な脈の速さにカクは身震いした。こんなにも動揺しているはずなのに、それを決して悟らせないその目ができるのか。
「さて、わしにも忠誠を誓ってもらおうかの」
無論、唇で。カクは愉快そうに先ほどのウカと同じ台詞を吐いた。
(あんの……くそバカ長官ンンン!!!)
ウカは「この部屋は防音仕様だからな!」と宣った長官の言葉を不用意に信じた自分を恥じた。確かCP9のメンバーでは最年少だという目の前の青年は面白そうなおもちゃを見つけた、という顔を隠そうともしないし、手も離してくれない。
「あの部屋が防音仕様だと信じているのは長官だけじゃぞ。全部筒抜けだということを誰も教えてやっとらんからのう」
「部下に恵まれない長官が気の毒だね」
「ルッチが怖いんじゃろう?あんなに怯えてかわいそうに。ワシが守ってやろう」
「まさか。“可愛い”の聞き間違いだろう?」
ルッチにも同じ台詞が通用するといいのう、と毒を孕んだ笑顔で面白そうに言葉を重ねてくるカクにウカはお手上げだと両手を上げた。
「わかった、降参だ。何が望みかな?」
「強請りの相場は金か身体か、そうじゃろう?」
彼が下卑た要求をしてくるのは正直以外だったのでウカはほんの少し目を丸くする。金にも身体にも興味がなさそうなので、てっきりウカの更迭を要求するものと思っていた。
「意外と品がないね」
「何事も経験じゃろ?」
「訓練に明け暮れていた子供の考えそうなことだ」
言うなり身体を突き飛ばされ、ウカは廊下の壁に背中を打ち付ける。ウカが体勢を整える前にカクは目の前に立ち塞がり、ウカの両手をとって壁に磔にする。そして、唇が触れそうになるくらい顔を近づけてにっこり笑った。
「決めた。わしが子供かどうか、その身体で確かめるといい」
「急に荒っぽいね。図星ですと高らかに宣言しているようなものだ」
「その仮面、必ず剥いでやるからの」
カクは長官室の廊下を挟んで目の前にある会議室のドアを開けると、ウカをそこに押し込んだ。簡素な机と椅子が数組あるだけのそう広くない小会議室だ。長官室のすぐそばということもあって、ここを使うのはCP9の面々だけ。そして、赴任してきたばかりの副長官に挨拶以外の大した予定があるはずもない。
「そんなに発散できなくて辛かったのか? かわいそうに」
「それはお前さんもじゃろ?」
カクは机に浅く腰かけるようにしていたウカの足の間に自分の足をいれてぐりぐりと押し付けた。ウカの身体は傍目には無反応に見えたが、両手首を拘束しつつ、脈を取るのも忘れない。
「ルッチの舌はそんなによかったか?股が濡れているぞ」
「──ッ! 本当に……ッ! 品の、ない子だ。まさか経験もないのか?」
「だからそれを確かめてみろと言っておろう」
両手を使えないのはカクにとっても面倒だったためウカのネクタイを引き抜き、後ろ手に縛った。ついでにシャツのボタンも外していくと汗ばんだウカの肌が少し露になる。下着を緩めてインナーと一緒に上にずり上げると、胸の突起が固く屹立しているのが見ただけでもわかった。この状態であの口ぶりなのだから恐れ入る。
「ふ、口では余裕ぶっているが身体は正直じゃのう」
「だから……そういう物言いはどこで覚えてくる──っんん!」
「胸ばかり気にして、股のことは忘れとったのか?」
カクが足でウカの足の間にある敏感な部分を刺激すると、さすがのウカも不意打ちがすぎたのか、声を漏らしてしまったようだった。
「ゆっくり焦らす時間もないし、順当なところから責めておくか」
カクはウカのベルトを緩めスラックスとショーツを足元まで下ろした。これで簡単な足枷にもなる。
「もっと丁重に扱えないものか? 仮にも上司で乙女だぞ」
「すまん、すまん。今度はベッドの上で頭から爪先までゆっくり可愛がってやるから、今は勘弁してくれ」
「今度だと?」
「まさか副長官殿は“強請り”がたった一回で済むとでも?おめでたいのう」
「ふざけるのも──ッぁん! あ、あぁ! んんぁッ! ま、まて──ッ! ぅあッ!」
「やっぱり可愛い声も出せるんじゃな」
カクは左手を胸の飾りに、右手をさっきまで足で刺激していた突起に添え、もう片方の胸の尖りを口に含むと、指と舌を使って三ヶ所を一気に責め立てた。押し寄せる快感が大きすぎて、ウカは思わず腰をひいてなんとかやり過ごそうとするが、カクの足と机に阻まれ思うように逃げられない。
「そんなにこひをふらんでも……ちゃんと弄っとるじゃろ」
「咥えながら──ぁッ! 喋るなッ!」
「ふまんの」
カクはさっきからずっと同じリズムで絶え間なく刺激を与え、ウカの身体に快感をどんどん蓄積していく。何パターンかを試し、一番反応がいい動きを探った。
「ウカは指で乳首をこりこりされるのが好きなんじゃなあ? 残念じゃがもうバレとるぞ。で、舐めるときは下から上に押し込むように、じゃろ? 下の方は優しくカリカリされるのがいいみたいじゃの」
「わか……った、気に、なるのも──ッぁ……大概に……んぅッ!」
「ここまで蕩けさせておいてその言葉が出るのか。天晴れじゃな」
でももう終いじゃ、とカクはウカの身体から手と口を離すと、ウカの身体を抱えて机の上に転がした。ウカを拘束していたネクタイをほどいて仰向けに寝かせる。そして、手慣れた手つきで自分のモノを露にするとスラックスと下着で自由がきかないままのウカの両足をぐいとウカの顔の方に押しやって、先端を濡れそぼったウカの秘所に押しあてた。
「脱がすのが面倒での。悪いが今日はこれで」
「乙女の扱いと物言いについては……今後たっぷりと教育してやろう」
下半身をとろとろにさせながらもカクを睨み付け折れないウカに、カクは自分の嗜虐心をウカの手のひらでなぜられたような感覚に陥る。
ウカの蜜壺は十分に潤っていたが、体位のせいもあり、さすがに一気には貫けない。カクはゆっくりと腰を動かし、少し抜いてはまた奥へ、奥へと進めていく。進むほどにウカの中襞はカクに吸い付き、腰の進みに合わせてウカが声を殺しきれず小さく喘ぐ。
「んぁぁ……ッ! ……ぅあッ! ……ひ……ぁッ!」
「押し殺してる声もいいのう。ただ……いつまで我慢できるかの?」
それを合図にカクは収まりきった自身をそのままに、律動を早めた。なるべくウカの最奥を刺激できるよう腰を密着させる。
「さすがにこの短時間で子宮はおろせなかったか。また今度じゃな」
「ん゛ん゛ッッ! ん゛んんッ! んああッ!」
カクの知ったような軽口に、ウカは言い返したかったが、いま口を開くと喘ぎ声しか出せないことは自分でもよくわかっていた。そのため必死に手で口を押さえた。その様子をカクが楽しそうに見下ろしてにやにやしているのにも気づいたが、カクの硬くなったモノが自分のナカをトントントントンと突くたび、電流が走るような刺激に頭を真っ白にされてしまい、快感で思考が塗り潰されていく。
「おっ?! 中がひくついてきとるの。時間ももうないし、合わせてやろう」
カクがさらにウカを追い込むようにウカの乳首に両手を添えた。添えているだけでも、揺さぶられているので刺激がうまれてしまう。
「そっ! それはッ! だめ、だッ」
「だめと言われて止める男がいるのか? 好きなんじゃろう? 指でつままれてくりくり弄られるのが」
「あああああッ!」
ナカからの刺激と相まって、ピストンされながら乳首をつままれ玩ばれたウカは呆気なく果ててしまった。身体を震わせながら果てたウカの、その肉襞のうねりを楽しみつつ抗うように腰を動かしていたカクもほどなくして熱い飛沫を迸らせた。
カクは、はあはあと肩で息をするウカの耳元でそっと囁く。
「次は、最後のあの声で一晩中鳴かせるからの」
「はぁ、はぁ……、ふう……お手並み拝見といこう」
ウカはまだあのウカだった。カクは面白くなさそうに唇を噛む。
おしまい
← →
副長官殿に煽られまくって結局豹化したルッチの代わりに、報告書もとい顛末書を提出しに長官室の前に来たカクは自分の耳を疑った。
「ス パ ン ダ ム さん!!!」
「おお、どうだった?」
「やっぱり無理ありますよ、あのキャラは!!!」
「いけるいける! 舐められるよりマシだろ」
「ルッチ怖いって! 豹ルッチは特に怖い!」
さっきまであのルッチを詰問していた女性と、部屋のなかで「ルッチ怖い」と喚いている女性は同一人物だろうか。声は同じに聞こえるが、とカクは恐る恐るノックをしてドア開ける。
「長官、この前の任務の報告書を」
「おや? ルッチくんは来ないのか?」
さっきまでルッチ怖いと喚いていたであろうウカはやれやれといった様子で、「嫌われてしまったようです」と先程自分達に見せたのと同じ態度でスパンダムに話しかける。
「お前、何やったんだよ」
「何も。ちょうどカクくんが報告書を持ってきてくれた、この任務の顛末を少々聞いていただけですよ」
ルッチを散々煽って、指までしゃぶらせておいてよく言う、とカクは心のなかで毒づいた。でもまあ、いい。
「わしはこれで」
「私も少しはずします」
一緒に部屋を出るそぶりだったので、副長官殿のためにドアを開けてやると、ウカは片手を上げ軽く礼を言った。ウカが廊下に出たところでカクも続き、後ろ手でドアを閉めて、小さな、でも、たっぷりと悪意を込めた声で一言。
「上官の弱味を握って強請るなんぞ、諜報部員冥利に尽きるのう」
言いながら、カクはウカに制止の間を与えぬようすかさずウカの手首をぎゅっと握って脈をとる。
「……乙女の肌に無許可で触れる罪は重いぞ?」
言葉とは裏腹な脈の速さにカクは身震いした。こんなにも動揺しているはずなのに、それを決して悟らせないその目ができるのか。
「さて、わしにも忠誠を誓ってもらおうかの」
無論、唇で。カクは愉快そうに先ほどのウカと同じ台詞を吐いた。
(あんの……くそバカ長官ンンン!!!)
ウカは「この部屋は防音仕様だからな!」と宣った長官の言葉を不用意に信じた自分を恥じた。確かCP9のメンバーでは最年少だという目の前の青年は面白そうなおもちゃを見つけた、という顔を隠そうともしないし、手も離してくれない。
「あの部屋が防音仕様だと信じているのは長官だけじゃぞ。全部筒抜けだということを誰も教えてやっとらんからのう」
「部下に恵まれない長官が気の毒だね」
「ルッチが怖いんじゃろう?あんなに怯えてかわいそうに。ワシが守ってやろう」
「まさか。“可愛い”の聞き間違いだろう?」
ルッチにも同じ台詞が通用するといいのう、と毒を孕んだ笑顔で面白そうに言葉を重ねてくるカクにウカはお手上げだと両手を上げた。
「わかった、降参だ。何が望みかな?」
「強請りの相場は金か身体か、そうじゃろう?」
彼が下卑た要求をしてくるのは正直以外だったのでウカはほんの少し目を丸くする。金にも身体にも興味がなさそうなので、てっきりウカの更迭を要求するものと思っていた。
「意外と品がないね」
「何事も経験じゃろ?」
「訓練に明け暮れていた子供の考えそうなことだ」
言うなり身体を突き飛ばされ、ウカは廊下の壁に背中を打ち付ける。ウカが体勢を整える前にカクは目の前に立ち塞がり、ウカの両手をとって壁に磔にする。そして、唇が触れそうになるくらい顔を近づけてにっこり笑った。
「決めた。わしが子供かどうか、その身体で確かめるといい」
「急に荒っぽいね。図星ですと高らかに宣言しているようなものだ」
「その仮面、必ず剥いでやるからの」
カクは長官室の廊下を挟んで目の前にある会議室のドアを開けると、ウカをそこに押し込んだ。簡素な机と椅子が数組あるだけのそう広くない小会議室だ。長官室のすぐそばということもあって、ここを使うのはCP9の面々だけ。そして、赴任してきたばかりの副長官に挨拶以外の大した予定があるはずもない。
「そんなに発散できなくて辛かったのか? かわいそうに」
「それはお前さんもじゃろ?」
カクは机に浅く腰かけるようにしていたウカの足の間に自分の足をいれてぐりぐりと押し付けた。ウカの身体は傍目には無反応に見えたが、両手首を拘束しつつ、脈を取るのも忘れない。
「ルッチの舌はそんなによかったか?股が濡れているぞ」
「──ッ! 本当に……ッ! 品の、ない子だ。まさか経験もないのか?」
「だからそれを確かめてみろと言っておろう」
両手を使えないのはカクにとっても面倒だったためウカのネクタイを引き抜き、後ろ手に縛った。ついでにシャツのボタンも外していくと汗ばんだウカの肌が少し露になる。下着を緩めてインナーと一緒に上にずり上げると、胸の突起が固く屹立しているのが見ただけでもわかった。この状態であの口ぶりなのだから恐れ入る。
「ふ、口では余裕ぶっているが身体は正直じゃのう」
「だから……そういう物言いはどこで覚えてくる──っんん!」
「胸ばかり気にして、股のことは忘れとったのか?」
カクが足でウカの足の間にある敏感な部分を刺激すると、さすがのウカも不意打ちがすぎたのか、声を漏らしてしまったようだった。
「ゆっくり焦らす時間もないし、順当なところから責めておくか」
カクはウカのベルトを緩めスラックスとショーツを足元まで下ろした。これで簡単な足枷にもなる。
「もっと丁重に扱えないものか? 仮にも上司で乙女だぞ」
「すまん、すまん。今度はベッドの上で頭から爪先までゆっくり可愛がってやるから、今は勘弁してくれ」
「今度だと?」
「まさか副長官殿は“強請り”がたった一回で済むとでも?おめでたいのう」
「ふざけるのも──ッぁん! あ、あぁ! んんぁッ! ま、まて──ッ! ぅあッ!」
「やっぱり可愛い声も出せるんじゃな」
カクは左手を胸の飾りに、右手をさっきまで足で刺激していた突起に添え、もう片方の胸の尖りを口に含むと、指と舌を使って三ヶ所を一気に責め立てた。押し寄せる快感が大きすぎて、ウカは思わず腰をひいてなんとかやり過ごそうとするが、カクの足と机に阻まれ思うように逃げられない。
「そんなにこひをふらんでも……ちゃんと弄っとるじゃろ」
「咥えながら──ぁッ! 喋るなッ!」
「ふまんの」
カクはさっきからずっと同じリズムで絶え間なく刺激を与え、ウカの身体に快感をどんどん蓄積していく。何パターンかを試し、一番反応がいい動きを探った。
「ウカは指で乳首をこりこりされるのが好きなんじゃなあ? 残念じゃがもうバレとるぞ。で、舐めるときは下から上に押し込むように、じゃろ? 下の方は優しくカリカリされるのがいいみたいじゃの」
「わか……った、気に、なるのも──ッぁ……大概に……んぅッ!」
「ここまで蕩けさせておいてその言葉が出るのか。天晴れじゃな」
でももう終いじゃ、とカクはウカの身体から手と口を離すと、ウカの身体を抱えて机の上に転がした。ウカを拘束していたネクタイをほどいて仰向けに寝かせる。そして、手慣れた手つきで自分のモノを露にするとスラックスと下着で自由がきかないままのウカの両足をぐいとウカの顔の方に押しやって、先端を濡れそぼったウカの秘所に押しあてた。
「脱がすのが面倒での。悪いが今日はこれで」
「乙女の扱いと物言いについては……今後たっぷりと教育してやろう」
下半身をとろとろにさせながらもカクを睨み付け折れないウカに、カクは自分の嗜虐心をウカの手のひらでなぜられたような感覚に陥る。
ウカの蜜壺は十分に潤っていたが、体位のせいもあり、さすがに一気には貫けない。カクはゆっくりと腰を動かし、少し抜いてはまた奥へ、奥へと進めていく。進むほどにウカの中襞はカクに吸い付き、腰の進みに合わせてウカが声を殺しきれず小さく喘ぐ。
「んぁぁ……ッ! ……ぅあッ! ……ひ……ぁッ!」
「押し殺してる声もいいのう。ただ……いつまで我慢できるかの?」
それを合図にカクは収まりきった自身をそのままに、律動を早めた。なるべくウカの最奥を刺激できるよう腰を密着させる。
「さすがにこの短時間で子宮はおろせなかったか。また今度じゃな」
「ん゛ん゛ッッ! ん゛んんッ! んああッ!」
カクの知ったような軽口に、ウカは言い返したかったが、いま口を開くと喘ぎ声しか出せないことは自分でもよくわかっていた。そのため必死に手で口を押さえた。その様子をカクが楽しそうに見下ろしてにやにやしているのにも気づいたが、カクの硬くなったモノが自分のナカをトントントントンと突くたび、電流が走るような刺激に頭を真っ白にされてしまい、快感で思考が塗り潰されていく。
「おっ?! 中がひくついてきとるの。時間ももうないし、合わせてやろう」
カクがさらにウカを追い込むようにウカの乳首に両手を添えた。添えているだけでも、揺さぶられているので刺激がうまれてしまう。
「そっ! それはッ! だめ、だッ」
「だめと言われて止める男がいるのか? 好きなんじゃろう? 指でつままれてくりくり弄られるのが」
「あああああッ!」
ナカからの刺激と相まって、ピストンされながら乳首をつままれ玩ばれたウカは呆気なく果ててしまった。身体を震わせながら果てたウカの、その肉襞のうねりを楽しみつつ抗うように腰を動かしていたカクもほどなくして熱い飛沫を迸らせた。
カクは、はあはあと肩で息をするウカの耳元でそっと囁く。
「次は、最後のあの声で一晩中鳴かせるからの」
「はぁ、はぁ……、ふう……お手並み拝見といこう」
ウカはまだあのウカだった。カクは面白くなさそうに唇を噛む。
おしまい
← →
眼前の攻防 #カク #ルッチ #ジャブラ #長編第1話
「さて、何度言えばわかるのかな?」
表向きは大変に多忙なスパンダム長官を補佐するという名目、本当のところは不甲斐ない長官の補佐をさせようという理由で新たに派遣されてきた副長官殿はウカと名乗り、挨拶もままならないうちに申し訳ないがと言いながら、ルッチ、カク、ジャブラ、フクロウを横一列に並ばせて笑顔で問いかけた。ルッチの片眉がぴくりを動いたであろうことを長年の付き合いで察したカクは内心「勘弁してくれ」と頭を抱えたくなっている。ジャブラは両手をポケットの突っ込みながら欠伸をし、フクロウは背筋は伸ばしつつも、気まずそうに視線を明後日の方へと向けていた。
「君たちはCP9。他のCPの模範になってもらわねば。そうだろう? ロブ・ルッチくん?」
「……何がご不満で?」
ルッチが苛立ちを隠そうともせず不遜な態度で応戦するので、隣のカクは肩をすくめた。
「失態を隠そうと予定より多く殺すのはやめてくれないか? なあ、フクロウくん」
突然名を呼ばれたフクロウがびくりと身体を震わせたのをみたルッチは、フクロウが謝罪の言葉を口にする前に「失態ではありませんし、そもそもやつらは世界政府にたてつく不穏分子です」と擁護する。ウカは少しだけ目を丸くして、フクロウくんはいいリーダーに恵まれたね、と微笑んだ。
「命令以上に人を殺すのは失態ではない、と。そうだ、そうだ。君はそうだった」
でもね、と一段低い声でウカは続ける。
「頭の言う通りに動かない手足になんの価値が?」
ウカの言葉にジャブラがぴゅうと口笛を吹いた。ルッチがやり込められているのが楽しくてしょうがないのだろうが、ルッチとジャブラの間に挟まれているカクは気が気でない。フクロウはウカの迫力に白目をむいており、立っているのがやっとのようだ。ウカとルッチのにらみ合いは恐らく十秒にも満たないものだったが、ビリビリと張りつめた空気は吸うだけで息苦しく、カクとフクロウは息を潜めた。
そんななか、根負けしたルッチは大きく大袈裟に息を吐くと「…………善処します」と思ってもいないことをとりあえず答える。
「よろしい。さあさあ、話はこれだけだ」
ウカは両手をパンと叩いて部屋を後にしようとしたが、ドアの前で、おっと忘れるところだったと踵を返して恐ろしい言葉を口にする。
「忠誠を誓うキスがまだだったね」
◆
カツカツと革靴の底を鳴らしながらウカが近づいてくる。殺意を噛み潰したようなルッチの歯軋りが聞こえ、カクがルッチが殴りかかりそうになったら全力で止めんと、そう覚悟を決めたそのとき、
「おれァ誓うぜ~!」
とジャブラがウカの手をすっと取った。片手はポケットに突っ込んだまま、ウカの手の甲に口づける。ウカは少し驚いたようだが目を輝かせた。
「ジャブラさん! 嬉しいです。仕事ぶりでも認めていただけるよう尽力しますので」
「ルッチにあれだけ言えれば、あのヘボ長官より役に立つぜ! まずぁ合格だ! おいお前ら! おれは完っ全にウカ派だかんな」
よろしく頼むぜ、とウカの肩を組むジャブラを見てカクは目眩を覚えた。ルッチは額に青筋をたてながらその光景を睨みつけている。
「忠誠を誓う?そんな行為に意味がありますか?」
「愚問だ」
ルッチの問いをウカがぴしゃりとはねつける。博識な君ならもちろん知っているだろうが、と前置きをしてウカは言葉を続けた。
「人間は自分が思っている以上に身体の動きに脳が騙される。”すること”が重要なんだよ」
乙女に恥をかかせないでほしいね、とルッチの口元へ手をさしのべながら、ウカは暗く冷たい声音で最後通告を突きつける。
「死にたくなかったら、死ぬまでおれの上官でいることですね」
「心配には及ばないよ」
ここは力がすべてじゃない。知っているだろう? とウカの高笑いが響く。
◆
「さあ」
自分より背の低い女のはずなのになぜか始終上から見下ろされているような気分で、ルッチはかなり苛ついていた。ジャブラがウカと一緒になってこちらをにやにやと眺めてくるのも癪に障る。
ルッチはウカが差し出した手を取ると、口づけの代わりに、人差し指に甘く噛みついた。だが、ウカは声をあげるどころか、微動だにもしない。
「……声を出さないのは立派ですね」
「獣に手を出すのだからね。噛まれるくらいは覚悟の上だよ」
「痛みにはなれているようで。大したものだ。では、これは?」
ルッチはウカを睨み付けながらさっきつけた人差し指の歯形を舌でゆっくり何度もなぞった。指の腹を舌先でくすぐり、舌の柔らかさと温かさを無理矢理押し付ける。そうして舌で指を嬲ったあとは、指を口に含むようにしてちゅう、と吸う。
そんなことをしてみても、呆れるほどに表情を変えず、うすら笑いを顔に貼りつけたままのウカをみて、ルッチは諦めたように唇を離した。
「体温あがってんぜ? ウカ」
ジャブラの声にルッチは耳を疑った。声出してもよかったのによ、と耳元で囁かれているウカには、少なくとも全くそんな気配はない。ジャブラさんがくっついてるからですよ、と媚びたような物言いは聞くに堪えなかったが、果たして真実は。
「それにしても驚いたよ。噛みついたあと傷をなめるなんてね。誰にしつけてもらったんだ?」
かわいい猫ちゃん?
ウカが言い終わるや否や、ルッチが獣の唸り声をあげながら豹の姿になっていくのをカクとフクロウが慌てて止め、ジャブラは腹を抱えて笑っている。副長官は、後は任せた、と颯爽と部屋をあとにした。
おしまい
→
「さて、何度言えばわかるのかな?」
表向きは大変に多忙なスパンダム長官を補佐するという名目、本当のところは不甲斐ない長官の補佐をさせようという理由で新たに派遣されてきた副長官殿はウカと名乗り、挨拶もままならないうちに申し訳ないがと言いながら、ルッチ、カク、ジャブラ、フクロウを横一列に並ばせて笑顔で問いかけた。ルッチの片眉がぴくりを動いたであろうことを長年の付き合いで察したカクは内心「勘弁してくれ」と頭を抱えたくなっている。ジャブラは両手をポケットの突っ込みながら欠伸をし、フクロウは背筋は伸ばしつつも、気まずそうに視線を明後日の方へと向けていた。
「君たちはCP9。他のCPの模範になってもらわねば。そうだろう? ロブ・ルッチくん?」
「……何がご不満で?」
ルッチが苛立ちを隠そうともせず不遜な態度で応戦するので、隣のカクは肩をすくめた。
「失態を隠そうと予定より多く殺すのはやめてくれないか? なあ、フクロウくん」
突然名を呼ばれたフクロウがびくりと身体を震わせたのをみたルッチは、フクロウが謝罪の言葉を口にする前に「失態ではありませんし、そもそもやつらは世界政府にたてつく不穏分子です」と擁護する。ウカは少しだけ目を丸くして、フクロウくんはいいリーダーに恵まれたね、と微笑んだ。
「命令以上に人を殺すのは失態ではない、と。そうだ、そうだ。君はそうだった」
でもね、と一段低い声でウカは続ける。
「頭の言う通りに動かない手足になんの価値が?」
ウカの言葉にジャブラがぴゅうと口笛を吹いた。ルッチがやり込められているのが楽しくてしょうがないのだろうが、ルッチとジャブラの間に挟まれているカクは気が気でない。フクロウはウカの迫力に白目をむいており、立っているのがやっとのようだ。ウカとルッチのにらみ合いは恐らく十秒にも満たないものだったが、ビリビリと張りつめた空気は吸うだけで息苦しく、カクとフクロウは息を潜めた。
そんななか、根負けしたルッチは大きく大袈裟に息を吐くと「…………善処します」と思ってもいないことをとりあえず答える。
「よろしい。さあさあ、話はこれだけだ」
ウカは両手をパンと叩いて部屋を後にしようとしたが、ドアの前で、おっと忘れるところだったと踵を返して恐ろしい言葉を口にする。
「忠誠を誓うキスがまだだったね」
◆
カツカツと革靴の底を鳴らしながらウカが近づいてくる。殺意を噛み潰したようなルッチの歯軋りが聞こえ、カクがルッチが殴りかかりそうになったら全力で止めんと、そう覚悟を決めたそのとき、
「おれァ誓うぜ~!」
とジャブラがウカの手をすっと取った。片手はポケットに突っ込んだまま、ウカの手の甲に口づける。ウカは少し驚いたようだが目を輝かせた。
「ジャブラさん! 嬉しいです。仕事ぶりでも認めていただけるよう尽力しますので」
「ルッチにあれだけ言えれば、あのヘボ長官より役に立つぜ! まずぁ合格だ! おいお前ら! おれは完っ全にウカ派だかんな」
よろしく頼むぜ、とウカの肩を組むジャブラを見てカクは目眩を覚えた。ルッチは額に青筋をたてながらその光景を睨みつけている。
「忠誠を誓う?そんな行為に意味がありますか?」
「愚問だ」
ルッチの問いをウカがぴしゃりとはねつける。博識な君ならもちろん知っているだろうが、と前置きをしてウカは言葉を続けた。
「人間は自分が思っている以上に身体の動きに脳が騙される。”すること”が重要なんだよ」
乙女に恥をかかせないでほしいね、とルッチの口元へ手をさしのべながら、ウカは暗く冷たい声音で最後通告を突きつける。
「死にたくなかったら、死ぬまでおれの上官でいることですね」
「心配には及ばないよ」
ここは力がすべてじゃない。知っているだろう? とウカの高笑いが響く。
◆
「さあ」
自分より背の低い女のはずなのになぜか始終上から見下ろされているような気分で、ルッチはかなり苛ついていた。ジャブラがウカと一緒になってこちらをにやにやと眺めてくるのも癪に障る。
ルッチはウカが差し出した手を取ると、口づけの代わりに、人差し指に甘く噛みついた。だが、ウカは声をあげるどころか、微動だにもしない。
「……声を出さないのは立派ですね」
「獣に手を出すのだからね。噛まれるくらいは覚悟の上だよ」
「痛みにはなれているようで。大したものだ。では、これは?」
ルッチはウカを睨み付けながらさっきつけた人差し指の歯形を舌でゆっくり何度もなぞった。指の腹を舌先でくすぐり、舌の柔らかさと温かさを無理矢理押し付ける。そうして舌で指を嬲ったあとは、指を口に含むようにしてちゅう、と吸う。
そんなことをしてみても、呆れるほどに表情を変えず、うすら笑いを顔に貼りつけたままのウカをみて、ルッチは諦めたように唇を離した。
「体温あがってんぜ? ウカ」
ジャブラの声にルッチは耳を疑った。声出してもよかったのによ、と耳元で囁かれているウカには、少なくとも全くそんな気配はない。ジャブラさんがくっついてるからですよ、と媚びたような物言いは聞くに堪えなかったが、果たして真実は。
「それにしても驚いたよ。噛みついたあと傷をなめるなんてね。誰にしつけてもらったんだ?」
かわいい猫ちゃん?
ウカが言い終わるや否や、ルッチが獣の唸り声をあげながら豹の姿になっていくのをカクとフクロウが慌てて止め、ジャブラは腹を抱えて笑っている。副長官は、後は任せた、と颯爽と部屋をあとにした。
おしまい
→
まさかほんとに
「何しに来たの?」
「招待状を寄こしたのはそっちじゃろう?」
どの面下げて。
七年目の別れ話
二年前、私の目の前から影も形もなく、すっかり消え失せてしまった元・恋人が、ブライズルームに現れた。白いもこもこしたシルクハットと、白いコート、白いネクタイ。相変わらずハイネックがお好みのようで、それすら白かった。ドアを後ろ手で閉めて、その前に立つ。
「なにその服。ここがどういう場かわかってる? 失礼過ぎない?」
「これが今の職場の正装なもんで」
「ばっかじゃないの。礼儀知らず」
「忙しい仕事の合間を縫うてやってきたっちゅうのに。冷たいのう」
「頼んでない」
怒りで眉間に皺が寄る。なんて、なんてこと。でも──人を呼ぶ気にはなれなかった。そう、わたしはこの男と話したい。というより、罵りたい。出来れば声が枯れるまで。そのまま見つめあうことなんて出来なくて、私はすぐ鏡台の鏡に向き直った。鏡の中の私は、怒っているのか悲しんでいるのか、ひとまず笑顔でないことだけは確かな、なんとも微妙な顔をしている。鏡越しに覗き見たカクは、私の複雑な胸中なんてお構いなしと言わんばかりの、普通の顔に見えた。忌々しくて、ますます顔が強張る。
二年前、カクが失踪するまで、私は彼の恋人だったはずだ。告白された夏の夜のぬるい風も、喧嘩したときの頭に血が上る速さも、仲直りをしたときのこそばゆい妙な空気も、今でもはっきり思い出せる。もちろん最後の夜だって。
街は市長の暗殺騒ぎで騒然としていた。カクは一番ドックの職長だったからいつもよりずっと忙しかったはずなのに、私を案じて部屋まで来て、抱きしめてくれたのだ。少しでも怖くなくなるといいんじゃが、と。それがカクとの最後だった。
私たちは電伝虫を飼っていなかったけど、互いの部屋の鍵は持っていて、会いたい時には気兼ねなく互いを訪ねてよいことになっていた。いつしか互いの予定を互いのカレンダーで共有し、予定がない夜はまっすぐ自宅に帰るようになった。相手が自分の部屋で待っているかもしれない、と。いつだったか、べろべろに酔っぱらったパウリーに、お前のせいでカクは付き合いが悪くなったんだぞ! と涙目で言われたことがある。そんな小さな習慣を積み重ねた日々だった。
でも、あの日。アクア・ラグナが去っても、カクは来なかった。あの年のアクア・ラグナはかつてない規模の被害を街にもたらしていて、なぜかガレーラカンパニーも焼け落ちるほどだった。私も自分のことで手いっぱいだったし、カクも大変だろうと簡単に想像できたから、カクの不在に気づけなかったのだ。
アクア・ラグナが去って一週間。
鍵を使って彼の部屋に入ると、クローゼットや戸棚から服や小物などの中身がすっかり消えて空っぽになっていた。それなのに、ダイニングテーブルにはカクがいつも被っていた白いキャップがぽつんと残されていて、随分経ってから、それをカクの「さよなら」だと思うことにした。
そして二年が経った。
「見ての通りだけど、私、結婚するの」
「わし以外の男となァ」
「そうね。四年付き合った恋人が突然いなくなって。理由もわからず、連絡もなくて。事件に巻き込まれたんじゃないかって、随分眠れない夜を過ごしたけど。違った」
ただ捨てられただけだった。そうして荒れて、すさんで、ぼろぼろになった私を、ずっと支えてくれた素敵な人と結婚します。
少しでも傷つけばいい。あなたが私に何をしたか、思い知ればいい。
なのにカクは、私が何を言っても表情ひとつ変えなかった。その余裕じみた態度が、私の胸をまた深く突き刺してくる。
「なァ」
「なに」
「わしら、別れたのか?」
「……は?」
「わしは、別れたつもりはないんじゃが」
目の前が赤く染まるのがわかった。
「ふ、ざけないでッ!?」
「え」
「あなたを、待たなかったと!? あなたが、私を──責めるの!?」
全身が叫びに共鳴して震えた。怒りと悲しみが許容量を超え、血管が破裂して、喉が裂けて、爆ぜる。
「ちっ、違う違う違う違う!」
すまん、すまんかった。違うんじゃ、違う。
おろおろと慌てふためいて距離を詰めてくるカクをきっと睨み、近寄らないで! と一喝する。カクはぴたと足を止めた。
「すまん。失言だった。このまま、一層憎んでくれて構わんから」
怒りで人が殺せたなら、今、カクは間違いなく死んでいた。
はあはあと肩で息をしながら、こんなはずじゃなかった、こんな結末じゃ、と大声で泣きたくなる。
私はただ報せてやりたかった。
今がどんなに幸せか。あなたなしでもうんと幸せになれる。あなたがいなくても大丈夫。そして、私はとても、とってもあなたが好きだった。けど。
今はもう。あなたなんか。
カクが住んでいた部屋は二年経ってもまだ空いたままで、その郵便受けに結婚式の招待状を投函してみたのは戯れだった。カクに届くはずがない。それでも、報せてやりたかった。
「言われなくても」掠れたけどなんとか声にした。
「今日は伝えたいことがあって来たんじゃ」
まずい。私の叫びを聞きつけた彼や家族が、ぱたぱたと軽い足音をたてながら駆けつけてきた。カクが鍵をかけたドアの向こうから「何かあった?」と優しい声が響く。私はカクの肩越しにドアを見つめながら、何でもないよ、と言おうと──
「ちゃんと好きじゃったよ」
嘘だ。
その一言にすべてを攫われる。
光の速さでカクに視線を戻すと、目が合ったカクはどこまでもまっすぐな瞳で、柔らかく、でも寂し気に微笑んだ。そして
「嘘じゃない」
カクは私の心を読んだみたいに、得意げに言った。
「結婚、おめでとう。幸せにの」
私はこの言葉を聞くために。七年間、今日まであなたが好きだった。
おしまい