きっとわしは、彼女に酷いことをする。
 だから全部、

忘れてもらって大丈夫

 パウリーの誕生日会は大変に盛り上がった。会の序盤は「パウリーお誕生日おめでとう」の空気が濃かったが、ガレオン船の納期が迫っていることと、暑気払いを兼ねていたこともあって、後半はただの宴会と化した。当の本人に不満の色はちっともなさそうだ。「本日の主役」と書かれたタスキはすでに外されていて、テーブルの隅で雑に丸まっている。

 会にはも参加していた。ルッチが事前に声をかけていたらしい。あの、ルッチが。
 ルッチのことは昔からよくわからない。けれど、最近のルッチは輪をかけてわからない。昔は「人の血が流れているのか」と本気で疑ったものだ。どんな時でもぶれないその背中は、恐ろしくもあり、頼もしくもあった。もちろん、今でも信頼は揺らがない。が、どうしたのだ、と肩を揺すりたくなることはある。パウリーのせいだ。勝手にそう思っている。

 パウリーは不思議な男だった。何か任務の足しにならないかと、周囲を探ってみたものの、意外と交友関係が狭かった。いや、もっと的確な言葉を選ぶなら「薄かった」。もちろん会社以外のコミュニティ、馴染みの店や賭場はあったが、やつはあくまで「場」に顔を出しているにすぎず、「人」にこだわっているようにはみえなかった。結局、調べた範囲では自分たちが一番の友人、と言えそうだ。自分たちの優秀さに、カクは眩暈を覚える。
 任務にかけられるコストは五年、と決まっていた。そしてすでに五年が経った。どんな終わりになるかは、長官とルッチ、ブルーノあたりが決めるのだろう。自分に口をはさむ機会があるかはわからないが、終わりは確実に迫っている。

 そんなタイミングでひょっこり現れたのがだった。
 女が苦手なパウリーの、一番近くに長くいた女。もしかしたら、パウリーの女嫌いの原因か? と訝しんだこともあったが、調べれば調べるほど、彼と彼女は昔から今の今まで、れっきとした幼馴染で友達だった。

ちゃん、来とったのか?」

 店の隅で、パウリーを見つめながらのんびりグラスを傾けていたに声をかけ、彼女の目の前の椅子を引く。来ていたことなんて百も承知で、我ながら白々しいなと思ったが、は気にしなかった。の顔が、ぱあっと明るくなる。

「カクさん。こんばんは。そうなの、ルッチさんが呼んでくれてね。最初はちょっと申し訳ないしと思って、お店を手伝ってたんだけど、ブルーノさんがもういいよって。だから飲んでた。楽しいねえ。パウリーも楽しそう。呼んでくれてありがとう」

 は酔っぱらっているのか、いつも以上に饒舌だった。楽しそう、というの言葉に、どれどれと身体を捻る。
 パウリーは店の中央のテーブルで、べろんべろんになっていた。アイスバーグさんと、カリファ、ルッチ、ルルやタイルストンが相手をしている。ちょうどパウリーが「パウリー! 飲みます! おめでとう、おれ!」と宣言して立ち上がり、グラスを高々と突き上げているところだった。ルッチが『それでこそおれたちのパウリーだ』と適当なことを言い、タイルストンが「そうだパウリー! その意気だ!」と囃し立てる。ルルとカリファは、パウリーの飲みすぎを咎めるでもなく、心配をするでもなく、ただ肩を揺らしている。アイスバーグさんはやれやれ、とヤンチャな兄弟を見守る兄のような目つきで微笑んでいた。
 いつもなら自分もそちらにいるのだが。なんとなく今は、ルッチのそばにいたくない。

「誕生日を祝ってくれるお友達が、パウリーにたくさん出来てよかった」

 の言葉に向き直る。は急にどこか遠くを見るような眼差しで、しみじみと言った。視線の先がパウリーなのは間違いない。

「まるで母親みたいな言い方じゃのう」

 カクの揶揄するような返答に、は意外そうに少しだけ目を丸くして、でも気を悪くするでもなく「ううん……」とグラスをもてあそび、中の氷と酒をくるくると回した。そして「ふふ、確かにちょっとお母さんみたいだったねえ」と同意する。

「子供の頃ってあんまり……大っぴらに楽しいことが出来なかったから、誕生日も家族とこっそり祝ってたんだ。だから、こんなに盛大にお祝い出来るなんて、素晴らしいなあって思ったら感動しちゃって。それに、大人になったら友達が増えるなんて、想像できた? 私は出来なかったなあ。」

 わしらは「友達」じゃあ、ないんじゃが。
 思って、存外、カクは胸が痛い。
 言葉を継げずにいると「カクさんはどうだった?」と興味深そうにこちらを見つめてくると目が合った。思わず目をそらしてしまう。は質問が曖昧過ぎると思ったのか、「カクさんはお誕生日、何かお祝いした?」と焦点を絞った問いに変えた。

「わしも……似たようなもんじゃったなあ」

 不要な嘘はつかないことにしている。カクは、誕生日にまつわる子供の頃のエピソードで、話せそうなことがあるか頭を巡らせたが、もちろんそんなものはなかったので、これ以上は語らないことにした。は、語らないことを根掘り葉掘り詮索するような人ではない。カクはそれを知っていた。

「ちなみに、カクさんのお誕生日はいつ? 教えてもらったっけ?」

 面倒だと思ったのが本音だが、これくらいはいいか、と判断して「来月じゃな」と答える。「は?」と一応聞いてみたが「秘密」と口元で人差し指を立てられた。くそ、それがありならわしだって馬鹿正直に答えんかったわ。ペースを乱される気がして悔しいが、後の祭りだ。

「なら、お祝いさせて! ルッチさんも」
「いらん、いらん」

 言ってから、あまりに強く拒絶するような物言いだったと反省する。案の定、は眉を下げ、少し悲しそうに笑っていた。母親が子供の癇癪に付き合うような顔にも見え、ますます調子が狂う。いつもは子供みたいな顔で笑うくせに。頬杖をつきながら、気まずさを持て余していると、がカクの気持ちを知ってか知らずか、勝手に話し始めた。

「島を出てる間、パウリーが一回だけカードを送ってくれたんだけど」
「一回! 五年で一回か? 薄情なやつじゃのう」

 ここぞとばかりにパウリーを責めると、は、あはは、と口を大きく開けて笑った。「ううん。これくらいなの、私たちは。私も一回しか送らなかったし」とパウリーを庇うのも忘れない。いつもの子供みたいな笑顔に、こっそりほっとする。
は目を細めながら続けた。

「そのカードにはさ、ちゃんと帰って来いってそれだけ書いてあって、それだけで十分嬉しかったんだけど『追伸』が」

P.S 誕生日おめでとう

「そのカードは大事に持って帰ってきて、入居してすぐ、部屋の壁に貼ったよ」

 嬉しかったことは、忘れないように毎日思い出したいから。
 朝起きて、いい気分でも、そうでなくても、毎日の習慣みたいに壁のカードに目を留めて、嬉しくなったり、ほっとしたり、仕方ないかと自分を慰めたり、そんなが目に浮かぶ。
 自分も、誰かに祝ってほしいと思ってしまった。今日みたいに、盛大でなくていい。カードに一行、おめでとうと添えてある。走り書きでいい。ふと思い出して、慌てて店でカードを準備して、何食わぬ顔で渡してくれる。そんな程度の祝いで十分だった。

「……八月、七日」

 こぼしてしまってから、しまった、と口を噤んでももう遅い。

「七日ね。わかった」

 はきっと、あたたかく祝ってくれる。パウリーにもらったものを、今度はわしに。
 でも、わしらは遠くない未来、必ず姿を消す。どんなふうに終わるのかは定かではないが、適当な理由をつけての円満退職なんて、できるとは思っていない。
 きっと、酷いことをする。だから、

「全部……、忘れてもらって大丈夫じゃから」
「忘れたりしないよ? ちゃんと壁に貼っておく」

 顔の横でピースサインをつくる
 やめてくれ! 叫びたいほどの衝動を、なんとかこらえて、唇を緩やかな笑みの形にした。痙攣して引き攣りそうになる口角を必死でおさえる。

 きっとわしは、彼女に酷いことをする。
 楽しかったことだけ覚えていてくれなんて傲慢なことは言わない。全部忘れてくれて構わない。笑いあった日々も、わしらがする、非道も全部。

 忘れてもらって大丈夫。



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