その人は、空から降ってきた。その人は、ハトの群れの中現れた。その人は、眩しい笑顔で笑った。その人は、友達の友達だった。

群舞

 無事に帰ってこられて良かった。
 は五年ぶりに踏みしめたウォーターセブンの地を足裏で感じながら、何度も飽きずに同じことを思った。一度でいいからウォーターセブンを出て、別の島で暮らしてみたい。そんな夢をかなえたくて、えいやと島を出てみたものの、さすがはグランドライン。出るのも戻ってくるのも、どちらも滅法大変で、出来ることならしばらく放心していたかったのだが、そうもいかなかった。
 祖母と暮らしていた実家と呼べる家は借家だったので、今は別の家族が住んでいる。だから、島に帰ってきた一日目は観光客に混じって宿をとった。そのせいだろうか、確かに地元であるはずの島は、少しよそよそしく思えた。でもとにかく疲労困憊で、テイクアウトで手に入れた紅茶片手に、少しクッキーをつまんだら、そのままベッドの上で意識を失ってしまった。二日目は気を取り直して、我が城、部屋探しだ。とはいえ、予算と家具付きの部屋、という条件で絞ったら大して選択肢もなく、特に譲れないこだわりなどは無いに等しかったので、二つ目に案内された部屋に決めた。気に入らなかったらまた引っ越せばいい。マットレスは新調して、スプリングの沈み具合を確かめつつ、その日はそのまま眠った。三日目はちょっと休憩。新居の間取りに身体を馴染ませつつ、少ない荷を解いた。大事に持ち帰ってきたパウリーからのカードをそっと壁に貼る。それだけで部屋がぱっと明るく、あたたかくなるような気持ちだ。四日目は食器やタオル、下着などの細々したものを買い足しがてら、少し街をぶらついて好みに合いそうなご飯屋さん、カフェなどのあたりをつける。

 そして五日目。は噴水広場にいた。
 海と空との境界が曖昧になる水平線を一望できるこの噴水広場は、子供の頃からずっとお気に入りの場所だった。島で唯一の、と言っても差し支えない。造船島は裏町より高い場所にあるから、より一層、綺麗な青が見える。今日は天気も良く、風も穏やかで、大橋に続く階段の近くには、公園から飛んできた、たくさんの真っ白なハトが、誰かが撒いたパンくずをついばんでいる。平和な光景に自然と顔に笑みがひろがっていく。
 もう一度、雲一つない空と、波一つ立たない海に目を向ける。白が邪魔することのない無限の青。視界の限りがすべて青だった。

? じゃねえか?」

 背後からの懐かしい声に反射で振り向く。

「パウリー! 連絡しなくてごめん。帰ってきたばっかりでバタバタしてたから」

 そこにいたのは予想通り、パウリーだった。家族もとうになく、この島を五年も離れていた私に、こんなふうに声をかけてくるのは、もうパウリーしかいない。
 顔の前で両手を合わせながら肩をすくめると、パウリーは「無事に帰ってこられたんならよかった。元気か? どっか悪くしてねえか?」と目まぐるしく、安堵と心配を行ったり来たりした。
 予想外だったのは、パウリー一人じゃなかったことだ。
 「船旅は大変だったけど大丈夫」と親指を立てながら、パウリーの隣にいる黒髪の男の人をちらりと盗み見る。シルクハットを被った彼はさっきまでの私のように、パンくずをせっせとついばむハトたちをぼうっと眺めているので目は合わない。肩にはハトが一羽、当然の顔で乗っていた。小さなネクタイを巻いてもらっているようなので、公園のハトではないのだろう。

「パウリーは変わりない?」

 本当はハトの彼が気になるところだが、ひとまずは五年ぶりに再会した目の前の幼馴染の近況を聞いてからにしよう。はそう思って話を振ったのだが、パウリーは「そうだ、そうだった」と膝を打ち、「紹介するわ。こいつだよ、紹介したかった面白いやつってのは」と黒髪の彼の腕を引っ張ってくれた。そこで初めて目が合う。肩にハトを乗せた彼は、にこりともしなかった。

『おれはハットリ。こいつはロブ・ルッチ。ルッチでいい』

 ハトが喋った。羽を器用に動かしながら、自分が乗っている男の人のことも紹介してくれる。

「え? パウリーは、ハットリ……さんと、ルッチさん、どっちと友達なの……?」
「どっちかって言えばルッチだな」
『おれにさん付けはやめてくれ。ルッチをよろしくな。ポッポー』

 差し出されたハットリの羽と、ルッチさんの手とでそれぞれ握手をする。ルッチさんの手を握りながら「です。よろしく、ルッチさん」と挨拶をしてみるが、ルッチさんは表情筋をぴくりとも動かさなかった。ちょっと怖いくらいだったけれど、握ったその手は温かかったし、表情に反して私を拒むような素振りは一切なく、むしろ、ぎゅっと優しく、でも、しっかり握り返してくれたので安心した。

「もう一人、紹介したいやつがいるんだけどよ。珍しいな、遅れてくるなんて」

 パウリーが広場の時計を見るのとほぼ同時に、

『あ』

 ルッチさんが空を指差すので、私もつられてその指の先に視線を向ける。

「えっ!?」
「お、きたな」

 人が、空にいた。最初は鳥かと思った。でも、段々とシルエットがはっきりしてきて、空にあるそれが人だとわかる。
 空からやってきたその人は落ちてきた、とも言えるかもしれない。けれど、落ちるそのスピードも自分の意のままにしているような、不思議な光景だった。ハトたちが群れるその真ん中にふわりと音もなく着地する。すらりと降り立ったその体躯から「彼女」ではなく「彼」だとわかった。それまでせっせとパンくずをついばんでいたハトたちは、彼が一歩足を踏み出すと、今さら彼の存在に気づいたみたいで、彼の着地からワンテンポ遅れて慌てて飛び去っていく。
 彼は、飛び立つハトの中をゆっくり、でも軽やかな足取りで向かってきた。目深に被った白い帽子で目元は見えなかったが、口元からは笑みが覗いた。ハトはまだ飛び去り続けている。
 そして、最後の一羽が空に舞ったのと同時に。

「待たせたの」

ハトの中から現れた青年が、太陽を浴びながら口を開いた。
 心臓がどくん、と跳ねる。

   ◆

「いやあ、すまん。遅くなった」
「カクが遅れるなんて珍しいじゃねえか。何かあったのか?」
「子猫が木から降りれんようになっとってのう。下ろしてやって、木のそばでおろおろしてたお姉さんが、その猫を飼うっちゅうから、ちょっと立ち話を」
「うわ」
『後半は余計だ』
「なんじゃ、僻みおって。悔しかったら猫を助けてみい」

 腰に手を当てて胸を張りながら、からからと笑うその青年は、私に気づくとすぐ、パウリーに紹介を求めた。

「ところで、こちらのお姉さんは?」
「あっ、です。初めまして。パウリーの幼馴染で、ついこの前、五年ぶりに島に帰ってきたの。パウリーとも今ちょうどばったり会ったところで」
「へえ、どおりで見ない顔じゃと思った。わしはカク。よろしく」
「よろしく」

 ルッチさんと違って、カクさんは表情豊かに身振り手振りもまじえて、よくしゃべった。丸い目と長い鼻と、おじいちゃんみたいな話し方には一瞬面食らったけど、ハトが喋りだすほどではなかった。でも、「パウリー、さては隠しておったな? こんなにかわいい幼馴染がいるなんて初耳じゃ」なんて言うから、やっぱりびっくりした。
 空から颯爽とやってきて、飛び去るハトの群れの中から現れて、屈託のない笑顔を向けられて。なんだろう、さっきから。心臓が全然落ち着いてくれない。落ち着け、落ち着け、と思うほどに、動悸が耳にまで届いてくるようだ。

「じゃあ、せっかくのご縁に感謝して。これからわしと食事でもどうじゃ?」
「え!?」
『いや、おれと行こう』

 とどめのようなお誘いの二連撃に、心臓が悲鳴を上げる。

「はぁ!? お前ら急にいくらなんでも」

 パウリーの抗議めいた制止に二人はにやりと口角をあげた。

「『パウリーの恥ずかしい話を聞かせてもらおうかと』」
「余計見過ごせねえ!」

 二人は私の返事なんかお構いなしに、連れ立ってさっさと歩いて行ってしまう。店を変えよう、あっちに新しくできたカフェのランチメニューが良さそうだった、と相談を重ねる二人を、パウリーが「おい! 勝手に決めてんなよ!」と追いかけた。その場に置いていかれる形になった私も慌てて駆け出し、二人の後ろについたパウリーの肩を後ろに引き寄せて、二人から少しだけ距離を取る。

「ねえ、パウリー」
「あァ?」

 さっきから、心臓が。

「私の髪、変じゃないよね? 服も」
「……いつもと変わんねえよ」

 島に帰ってきて五日目。友達の友達と、友達になった。あと、恋もしたみたい。

「で、どっちだ?」
「……まだ秘密!」

初恋だ。




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