『面白いやつらと友達になったんだ。帰ってきたら紹介するから、ちゃんと連絡しろよ』

 私たちはいつも隣にいたから、電伝虫なんて使ったことがなくて、電伝虫越しにはじめて聞くその声は、遠い、知らない人の声みたいでちょっと緊張した。
 五年振りなのに、昨日も一緒に遊んだみたいな口ぶりだった。

ただいま

 私の夢は一度ウォーターセブンを出て、別の島に住んでみることだった。旅や冒険というほど、あちこちの島に行ってみたいわけではなく。ただ、海の上を走る海列車を初めて見たとき、「私はどこへでも行けるのかもしれない」と思ったから「いつかどこかへ行ってみたい」と思ったのだ。海列車で行ける島にはあまり興味がわかなかった。そのうち、旅人が集まる島があると聞いて、そこに行ってみたいというのが夢になった。
 両親はとうの昔に亡くなっていて、一緒に暮らしていた祖母も亡くなって、私は十九歳になるところで、私はひとりぼっちになった。もう私を心配する人はいない、と思ったら、とてつもない悲しさと、罪悪感とほんの少しの自由を感じてしまった私は、ひどい孫だろうか。祖母はとても私を慈しんでくれたけれど「育ててもらっている」という負い目が、本当に時々、一瞬だけ、私をがんじがらめにすることがあった。祖母をがっかりさせたくない、悲しませたくない、と生きていた。それなのに祖母は「好きなことをしなさい」とお金を貯めていてくれて、私は泣きながらそれを夢の島への片道切符にした。

 私とパウリーはなんで友達になったのかな、と今更ながらに考える。
 お隣だったから。それ以外に考えられない。
 私たちが小さな子供だった頃のウォーターセブンは、朧気だけど、でも覚えている。大人の男たちは大半が酒浸りで、生気を失い、道の至る所に転がっていた。暴れたり、怒鳴ったり、ということはあまりなかったが、大人の女たちは、そんな男たちを刺激しないように息をひそめていたと思う。みんな、誰も悪くないのを知っていた。でも、だからこそ誰も何も責められなくて、辛かっただろう。
 もちろん、いい大人たちもいた。でもいいニュースはなかった。会社がつぶれた、海賊が来た、海に出た大人たちが帰ってこない。子供は大人たちの顔色をうかがって過ごしていた。息を殺して、はしゃがぬよう。大人たちがいないところでだけ、息が吸えた。パウリーとは、あの頃をそういうふうに過ごした。母親や祖母に倣って、そうっと。ある時は手をつないで、道に転がる男を起こさないよう、抜き足差し足で通り抜け、ある時は、酒瓶を片手に涙ぐみながら、訳のわからないことを喚き散らす男から、走って逃げた。逃げおおせた路地裏で、声を殺して笑った。

 そんなすべてをぶっ壊してくれたのが海列車だったのだ。
 危なくて汚くてごちゃごちゃしていて、それでいてまるで活気のない廃船島にはそぐわない、明るい汽笛を鳴らして発車した海列車は、島に立ち込めていた暗雲を見事に吹き飛ばしてくれた。大人たちの明るい顔は私たちの息を楽にした。

 パウリーからは、島を出てすぐ、まだ私が船に乗っている頃にカードが一枚届いた。『ちゃんと帰って来いよ』と一行走り書きしてあるだけだったけど、カードを買って、書いて、ニュース・クーと交渉し、まだ海の上にいる私に届くよう手配するのは、間違いなく手間だったはずだ。私も憧れの島に着いたらすぐにカードを送った。『着いたよ』と。それ以来、カードは届いていない。
 パウリーには私よりずっと、気が合う友達がきっと、いるはずだと思っていたから、それならいいなと思っている。

   ◆

 今日は嫌な一日だった。
 真昼間から酔っぱらった海賊に絡まれ、卑猥で下劣な言葉を浴びせられた。たったそれだけ、と思う人もいるかもしれないけれど、「私は」心が凍る気持ちになる。こんな人間に自分の一日の気分を支配されるのは悔しくて、腸が煮えくりかえる。でも、私にはこいつの口を塞ぐ術はない。怒りで引き攣る表情筋をなんとか御して笑顔を貼りつけ、当たり障りのない言葉で受け流していく。
 そうして心も体もへとへとになる辛い労働を終え、気分を変えよう、と帰り道で入ろうとした店はどこも満席か臨時休業だった。極めつけはテイクアウトの品を間違えられるというフルコース。

「ピクルスが食べたかったのに……」

 なんで抜いてあるの。
 思わず口をついて出たクレームは、幸い自分一人しかいない部屋に虚しく響くだけだった。さして大きくもないテーブルが今日はやけに大きく感じる。行儀悪く肘をつき、一口齧ったサンドイッチを見つめていたら、鼻がツンとしてきて視界がぼやけてきた。こんなことで、くだらない。思いながらも、目の縁にじわじわと涙が滲んでくる。はあもう、今日は駄目だ。すべてを放り投げてふて寝してしまおうかと思ったら、そんなタイミングで電伝虫が呼び出し音を鳴らす。ついてない。

ぷるぷるぷるぷる、ぷるぷるぷるぷる。がちゃ。

「……はい」
『おう、
「ぱ、パウリー?」

 電伝虫から五年ぶりに聞こえたパウリーの声は、記憶とすぐに結びつかなくて、最初は本当にパウリーなの? と訝しんだ。だけど、そうか。そもそも電伝虫で話すのが初めてだと気付く。電伝虫を通したパウリーの声は低く、少しくぐもって聞こえ、久しぶりに話す緊張もあって身構えてしまう。受話器を持つ手に力が入った。

「びっ、くりした」
『おう。なんか下がってんな。どうした?』
「びっ……くりした」

 なんでわかるんだろうと首を捻りながら「サンドイッチにピクルスが入ってなくて」と五年ぶりの話題にしては取るに足らないありのままを伝えたら、『そりゃあ、つまんねえな』と心から同意してくれたのが分かった。ふふ、と思いがけず笑みがこぼれて、力が抜けていく。パウリーがそれを耳聡く聞きつけて、「何笑ってんだよ」と唇を尖らせた。
 『元気してたか?』『仕事は?』という近況を尋ねる無難な質問に、「元気、元気」「定食屋さんと、たまに酒場に入って食いつないでるよ」と、こちらもありきたりな答えを返す。

『おうおう、かけもちか。たくましいな』
「もう、ひとりだからねえ」

 他意なくそう告げると、少しの間があった。あ、パウリーが困ってる。
 すぐにわかってしまって、聞こえないように「ごめん」と謝った。

『そうだ。失恋は?』

 パウリーは思い出して、思いつくまま問うてくる。懐かしいなと口許が緩んだ。ちょうど島を出る頃だったはずだ。「失礼にも程があるね」と応じておいて、「期待に添えなくて申し訳ないけど、恋もまだしてないよ」と進捗を報告した。

『なんだ。新しい島なら、いくらでも出会いがあるだろ』
「そりゃあ、全然知らない人ばっかりだからね。そういう意味では出会ってはいるんだろうけど、そうだなあ。恋をしなくても毎日が楽しくてここまできちゃったから」
『あァ、それはわかる。おれもガレーラに入ってから今日の今日まで、毎日全部ずっと楽しいわ。そうそう、面白いやつらと友達になったんだよ』

 紹介するから帰ってきたらちゃんと連絡しろよ、と念を押すパウリーは、嬉しいことにまだ私と友達のつもりみたいだ。

『早く帰って来いよ』
「え?」
『ひとり、だなんて下らねえこと言ってねえでよォ。さっさと帰って来いよ。もう五年経つぞ。おれァ、心配だよ』

 パウリーの言葉は、そのままだった。そのまま、言葉通りの意味しかない。昔からそうだ。私のことを心配してくれる人は、まだいたんだな。私が帰らないと、心配する人がちゃんといた。 そう思ったら、さっき乾いたはずの涙がまた押し寄せてきて、慌てて片手で乱暴に拭う。

「うん、帰るよ」
『おう、おけえり』

 一通のカード。一本の電伝虫。どちらも『帰って来い』の言葉だけ。
 でもそれはこの世界で「愛」と呼んで差し支えないもので、パウリーはそれを私に惜しみなくくれるので、私はまだ「ただいま」と言うことが出来る。



prev top next