それはまるで愛の告白のよう。
 パウリーはなんにも恥ずかしがらずに「おう」と言ってくれた。

病めるときも健やかなるときも

 パウリーは少し前から恋をしている。多分、初恋だと思う。パウリーが「恋をした」と律義に教えてくれたわけではない。ただ、店先のショーウィンドウに自分が映るたび髪の毛が整っているか気にしていたり、汗臭くないかと聞いてきたり、この服は変じゃないかと不安そうにしていたりするので、恋をしたのかなと勝手に想像しているだけだ。そして、そんなパウリーを見るのは十年以上一緒に過ごしてきて初めてなので、初恋かなと思っている。ちなみに相手は私ではない。でもそれは全然悲しくない。もちろん、負け惜しみでもない。本当に。
 私とパウリーは家が隣で、でも、同じ年頃の子供は私たちしかいなくて、幸いどちらも外遊びが好きだったので「一緒に遊ばない」という選択肢がなかった。だから一緒にいたのだが、思っていたよりも気が合い、というのもあるし、正直に言えば断絶を決定づけるようなドラマチックな喧嘩なども起きず、結果としてゆるゆるとした付き合いが今も続いている。
 パウリーが恋をしたのは、角の煙草屋のお姉さんだ。先代のおばあちゃんがお店を閉めようかというその時に、サン・ファルドからやってきたお孫さんで、大層美人で気さくだった。あっという間にファンクラブのようなものが出来、意外や意外。パウリーもその一人(隠れ会員)となっていた。
 私はこの時まで、パウリーが恋の出来る人間だなんて思ってもいなくて、結構かなり動揺した。私たちは十八歳。恋の一つや二つしたっておかしくはない。私が動揺したのは、パウリーの恋の仕方だった。彼がこんなに密やかに、人を想えるとは知らなかったのだ。
 でもそれもあっけなく終わった。

「パウリー、こんなところにいたの。急に走りだすんだもん。びっくりしたよ」

 だいぶ探し回ったんだよ、と息を整えながら、私はパウリーの横に腰を下ろした。白い石で出来た大橋の階段は春の陽射しで少し温まっていた。パウリーは無反応だ。黙って海を見ている。並んで座った私は、そっとパウリーの横顔を盗み見るが、長めの金髪が目元を覆い隠すその合間から整った鼻筋が見えるくらいで、表情は窺えなかった。パウリーは存外、彫りが深いのだ。視線がまっすぐ海をとらえていることだけはわかる。今日の海は春の日にふさわしく穏やかで、太陽を反射させてキラキラと輝いていた。
 突然、潮風が階段を這うように下からぶわっと吹き上がる。「うわ」と二人で目をつむり、顔を腕で覆うようにして風を受けた。髪の毛が舞い上がる。風がおさまって「すごい風だったね」と横のパウリーに話しかけて、私はそのまま言葉を失った。
 パウリーは涙ぐんでいた。目も鼻も赤い。でも決して、しゃくりあげたりはしない。じわっと涙が滲んでいて、一回だけスン、と鼻をすすった。私が差し出したハンカチを無言で受け取って、それで目と鼻を押さえる。
 パウリーはもっとわかりやすく傷つく人間だと思っていた。「うるせえ」とか「ちくしょう」とかそういう暴言を吐きながら、わんわん泣いて「くそ」とか「笑ってんじゃねえ」とか喚いて、でも最後には「ああすっきりした!」と。そういう男かと。
 でも目の前の彼はそんなことなかった。真逆だった。静かに呆けて「お似合いだったな」と殊勝な声を出す。

 今日発覚した煙草屋のお姉さんの「好い人」は、このあたりの人間なら知らない人はいない有名人だった。彼は小さな私たちにとっても、頼りになるお兄さんだった。背が高くて、目鼻立ちがはっきりしていて、顔が小さくて、引き締まった身体で、笑うとえくぼが出来て歯が白く輝く。かっこいい人だ。でも、パウリーが言っている「お似合い」はそういうことじゃない、というのも私は知っている。
 彼はとても親切で感じのいい人だ。人の悪口は言わないけれど、傷ついた人には心から寄り添える人で、目の前の人が泣いていたらおろおろとして、なんとか元気を出してもらえないかと苦心する。
 そんな二人がいつから惹かれあっていたのかは、私たちのあずかり知らぬことではあるが、歳の釣りあいのとれた近所の男女がこうなるのは必然だったかもしれない。

「パウリーだってお似合いだよ」

 年がなあ、とだけ心の中で呟いた。私たちが十八歳でなければ、お姉さんだって、パウリーを恋愛対象にしてくれたかもしれない。
 パウリーだって、背は高いし、ちょっと目つきは悪いけど笑うと可愛いし、歯だってお兄さんに負けじと白い。力だってもう負けてないはずだ。船大工になるんだって、最近は特に一生懸命勉強してるし、努力家だ。明るくてさっぱりしてて、情に厚くて、すぐ絆される。まっすぐで友達思いで、好きな人が傷つけられたら自分のことのように怒ってくれる。
 十分、お似合いだ。でも当の本人からは「そんなことねえよ」と小さな声が聞こえてくる。

「私はパウリーのいいところたくさん知ってるよ。お姉さんがそれを知らないままなのは本当に残念だ。もちろん、お兄さんもいい人だけども」

 そう。お兄さんもパウリーと同じくらい、いい人だ。それも知っている。
 結局こういうのはタイミングなのかもね、とまだ恋を知らないくせに、恋を知ってる大人みたいな台詞を頭の中で吐いてみる。

「恋はパウリーに先を越されちゃったな。私はいつになることやら」

 ひとまず様子見のジャブを打つ。パウリーは間髪入れず打ち返してきた。

「おれはもういい。なんつうか、自分のことなのに、自分じゃどうしようもできねえのが、しんどくて辛かった。気持ちを伝えようとも思えない自分も情けねえし。なんかもう嫌だ。なのに嫌いになれない。わかんねえ」

 パウリーの独白はとても悲痛な響きを伴ったものだったが、クゥークゥーと鳴くカモメと波の音に少しかき消されたので、私は目にぐっと力を入れて息を吐くことで、涙をこらえることが出来た。今日が晴れていて、雲一つない青空だったのも良かった。静かな夜の海だったらきっと涙を落としてしまっていたと思う。パウリーの戸惑いや、もどかしさ、やるせなさはすごく伝わってきたのに、私にはどうしてあげることも出来ないのが悔しかったから。
 私の眉が八の字になったのを見たパウリーは慌てた様子で「悪ぃ。なんか、急に。ずっと辛かったわけじゃねえから」と弁解するように言った。パウリーの気遣いに応えねばと、私はふっと笑んで「楽しそうに見えるときもあったよ」と茶化してみる。

「あァ? そんなにわかりやすかったかよ」
「窓ガラスに映るたびに髪を直したり、汗臭くないか? って聞いてきたり、この服おかしくないかって気にしたりしてたじゃん」

 初恋真っ最中の自身の様子を私に一息で告げられたパウリーは、二の句を継げず口をぱくぱくさせるので、それがまた可笑しくて笑った。
 もう一度、風が吹く。でも今度の風は、さっきよりずっと穏やかな、そよそよとした春風だった。
 パウリーが「ありがとな」とさっき手渡したハンカチをひらひらさせ、「洗って返す」とポケットにしまい込んだ。パウリーの目元はもう濡れていない。そよ風が乾かすのを手伝ったのかもしれない。

「ずっと友達でいようね」

 何気なく言ったつもりだったけど、なぜか愛の告白みたいに聞こえ、咄嗟に口を覆う。恐る恐るパウリーの方を見やると、パウリーは思っていたよりずっと真面目な顔で、そのまま「おう」と答えるので私はまたびっくりする。

「失恋したら慰めてやるよ」
「ちょっと待って。失恋は確定してるの? 初恋がそのまま成就するかもしれないじゃん」
「一回くらいは経験しとけって。人間的な深みが出る。おれがいい見本だろ」

 どうだと言わんばかりの顔をしたパウリーの軽口に、お腹を抱えて笑った。これまで何度もそうだったように、口を開けて、歯を見せて、大きな声で、目に涙を滲ませて。

 私は明日この島を出る。
 だとしても、月日が私たちの友情を邪魔することはない。パウリーの短い返事には、そう確信できるすべてが詰まっていた。



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