「はじめまして、フランキー」

 変わり果てた姿なのに、目と声だけは昔のままだった。
 私の言葉に、フランキーは自分のする選択が意味することをようやく実感したようだった。私を見据えながらも、下唇を噛んで拳を強く握っている。アイスバーグさんは何も言わない。

「フランキーが望むなら」

六年前・春

 死んだと思った人が生きていて、また会えたことなんて今までなかったから、アイスバーグさんから「フランキーが帰ってきた」と聞かされた時は何が何だかわからなかった。そもそも、近しい人が亡くなったこと自体、彼とトムさんが初めてだったのだ。どちらも死に目に立ち会ったわけではない。亡骸も確認していないしお墓もない。ただ二人とも私の目の前からいなくなって、それっきり姿を見せていない。人に言わせればぬるいかもしれないが、私の「死」はこれだった。
 そういう意味では、私はまだ本当の「死」を知らないのだろう。それは重々承知している。体温が失われていく手をずっと握っていたりだとか、目から光が失われていく様子を術もなく見つめているだとか、もう応えてくれない身体を揺さぶって必死に問いかけたりだとか、亡骸に縋って泣いたりだとか、そういうことは経験していないから。
 想像しただけで辛いそれらを、私は幸いにして知らなかったけれど、それでも確かに私の中でフランキーは死んでいて、もう二度と今生で会うことはかなわない人だった。
 それなのに。
 アイスバーグさんに連れられてやってきたトムズワーカーズ本社、橋の下倉庫に彼はいた。
 変わっていないところ探す方が早いくらいの変わりようで、変わっていなかったのは、髪の色、目、声、あとアロハシャツに海パン。それだけだ。
 真っ先に自分を支配したのは、残念ながら怒りだった。生きていた、また会えた、という喜びよりも。こんな珍妙な風体になって、あっけらかんと「おう、帰ってきたぞ」なんて許せなかった。
 彼が海列車に轢かれて死んでしまったと聞かされた時、人はこうやって死んでしまうのかと思った。あんなに毎日のように顔を合わせていた彼が、ほんの少し目を離した隙に、あっけなく目の前からいなくなってしまった。もうくだらない話で笑いあったり、ココロさんのカレーを一緒に食べて口元を汚したり、足元のおぼつかない廃船島を私の手を取って歩いてくれたり、そういうことは全部、もう一生ないんだと。
 これが「死」なんだと思った。
 残されたアイスバーグさんと、ココロさんと私は、彼らの話をほとんどしなかった。不自然なほどだったかもしれないが、みんな、口に出したら一生懸命我慢しているいろんなものが溢れて、それでいっぱいになって、もう二度と立て直せないような恐怖があったのだ。
 毎日ふとしたときにいなくなった二人を思い出す。海を見て、空を見て、船を見て、街を見て思い出し、もう会えないのだと言い聞かせた。
 それなのに。

「で、やっぱり島からは出ないのね」
「おうよ!」
「いい返事してんじゃねえよ、バカンキー」

 アイスバーグさんは呆れ混じりのため息をついた。
 今日、ここに連れてきてもらう前に教えてもらった。
 フランキー、つまり、カティ・フラムはあの日海列車に轢かれて死んだことになっているおかげで、このまま島を出ればもう二度と世界政府から追われることはない。だというのに、フランキーは島に残ると言って聞かないのだと。理由はわからないそうだ。
 アイスバーグさんは「私にも説得してほしい」と言った。当然だ。彼の命が大事なら、そうするのが一番いい。でも。

「ここは今も使ってんのか?」フランキーが品定めするような目でかつての家を見回した。
「おれはまあ、あんまりだが、はよく来てるぞ」
「あァ? が? 何しに……」
「お墓参りだよ」

 私は製図室のドアまで歩を進めるとそのままドアノブを回して、訝しむフランキーを部屋に招き入れた。フランキーに続いて、アイスバーグさんも製図室に入る。
 二人が部屋にそろうと、一気に懐かしい気持ちになった。大人になってからもこの部屋で製図を引いて過ごしたはずなのに、なぜか直近の、数年前の記憶ではなく、もっと昔、私もフランキーもまだ十代だったころの記憶ばかり甦った。出会って間もない頃の記憶だ。そのせいだろうか、揃いの机もうんと小さく見える。
 私は「カティ・フラム」の名札の前にある机にお花と写真を飾ってそれをお墓にしていた。『犯罪者』カティ・フラムのお墓は共同墓地には作れなかったのだ。それに、そんなしっかりしたものを作ってしまっては、なんだか本当に「死」が確実になるような気持ちになって気が引けた。
 幸いというか、トムさんのお墓もフランキーのお墓も、どうこうするのは血縁ではない残された私たちだったから何とでもなった。ココロさんは「辛すぎて考えられない」と言い、アイスバーグさんは「に任せる」と言ってくれたので、私の好きにしたのだ。

「……、こんなの作ってやがったのか」

 フランキーは、自分のお墓を見ながらぽつりと言った。これまで、あんまり聞いたことのない声だったからびっくりする。でもそうか。普通、人は自分のお墓を見ることなんてなかなかない。墓前に選んだ写真にはトムさんも写っていて、フランキーがその写真が入ったフォトフレームを手に取って黙って見つめているのを、私もアイスバーグさんも黙って見ていた。

「悪ぃ」

 フランキーはそれだけ言って、フォトフレームをそっと戻した。そして異様に太くなった腕で目尻を乱暴に拭う。涙もろいところも変わっていない。こうしていると、やっぱり彼は私とアイスバーグさんが一緒に過ごしたフランキーだということがよくわかる。
 でもそれは、きっといけないことなんだろう。

「ねえ、本当に……」
「しつけぇぞ!」

 「そんなにおれを追い出してぇのかよ」フランキーは死ぬほどうんざり、といった顔をしながら口を尖らせて拗ねた。その文句の言い方は、私の知っているフランキーそのものだったから可笑しくて、そして、とても寂しい。
 私は覚悟を決める。

「はじめまして、フランキー」
「あァ?」

 フランキーは元々丸くて可愛らしい目をさらに丸くして言った。眉を吊り上げ私を睨む。

「当然でしょ。私が知ってるのはカティ・フラムで、彼は死んだの」

 「そうだよね、アイスバーグさん」と問うと、アイスバーグさんは無言で、一度だけ深く頷いた。フランキーはそれを見て開けた口をつぐむ。

「私たちは、ここで一緒に過ごさなかった。あなたとくだらない話で笑いあったり、ココロさんのカレーを一緒に食べて口元を汚したりしたこともないし、足元の危ない廃船島をあなたが一緒に歩いてくれたりしたことは、一度もない」

 私は一息で言い切った。フランキーが顔を歪めて、わかりやすく傷ついている。ごめん、フランキー。でも、こうでもしないとあなたを守れる気がしない。

「フランキーが望むなら、私はまたカティ・フラムのお墓をつくる」

 カティ・フラムは死んだんだって毎日自分に言い聞かせて、お花を飾るよ。フランキー。
 フランキーは下を向いて何も言わなくなってしまった。でも数十秒して顔を上げたら、私を見るその目で私は全部わかってしまった。昔から変わらない、彼は一度言い出したら最後までやり遂げる。
 アイスバーグさんは腰に手を当てて大きく諦めの息を吐いた。
 私はにっこり笑って空色の髪をした可愛い丸い目の男性に挨拶する。



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