そんなに泣くなよ。
夏という月日
ぎりぎりのところで乗り込んだ海列車の車内では、出発して間もなく、セント・ポプラに海賊が現れたため、安全が確保できるまで一時停泊する旨のアナウンスが流れた。
はそれであんな電伝虫を……?
のただならぬ様子に、事情も聞かず飛び乗った海列車だったが遅々として進まず、パウリーに苛立ちが募る。セント・ポプラに海軍が到着するのに、どれほど時間がかかるだろう。ウォーターセブンなら。いや、こちらも今はアクア・ラグナからの復興で手薄だ。それに、ルッチやカクも、もういない。
「くそ」
誰に言うでもなく、しいて言えば、彼らの顔を思い浮かべてしまった自分に毒づいた。
永遠にも思えたじれったい時間だったが、実際には三十分にも満たなかったようだ。もう鎮圧したのか? 早すぎる、と思ったが、タイミングよく近くを通りがかっていた海軍でもいたのかもしれない。真相はわからないまま、海列車は普段より四十分ほどの遅れでセント・ポプラに着いた。
セント・ポプラの駅に転がるように降り立ったら、がおれを見た途端泣き出して何事かと思う。泣きじゃくってるせいでなんの説明も出来ないは、あろうことかそのままおれの手を引いて歩き出した。
「おいっ! どうした? 海賊が暴れてるってアナウンスがあったぞ⁉」
「う゛ぅッ……ごべん゛……、……っと待っ、で……」
おそらく「泣き止むから」と言いたいのだろうが、まったくその気配はない。仕方なく手を引かれるまま歩いていく。は港の方へ向かっているようだった。泣きじゃくる女に手を引かれながら無言でついていくむさ苦しい男、という図だったが、町全体がざわついており、おれ達の異様さも目立たなかった。
町には、数日前に自分も嗅いだ「戦闘の匂い」が漂っていた。具体的には、血と硝煙の匂いだ。港に近づくにつれそれは濃くなっていく。そして、水をかけながらデッキブラシで道路を擦る人々が増えた。血を洗い流しているのだと分かった。
鎮圧に時間はかからなかったはずなのに。血が大量に流れていることへの違和感が膨れ上がる。慌ててをみやって、どこかから血が流れていやしないかと確認した。
「とにかく、お前。身体はなんともないんだよな? 怪我して痛ぇとかじゃねえんだよな?」
つむじの見える小さな後頭部に投げかけると、はこくんと首を縦に振った。ほっとして息を吐く。
「それならいいんだ。気がすむまで泣いてりゃいい。気にすんな」
泣いていていい、と言われたは、嘘のようにしゅるしゅると泣き止んでいった。嗚咽がどんどん小さくなり、ずびずびと鼻を鳴らすようになって、すんすん言いながら、最後は鼻をかんだ。どうやら泣き止まねば、と焦っていたようだ。そして「また泣いて話せなくなったら、ごめん」と先回りする。
「いいよ。そのうち泣くのにも飽きるだろ」
は今日初めて笑顔を見せた。力ない笑顔だった。
◆
港に着く頃には日が傾いていて、空は茜色になりかけていた。波は穏やかだったが、あちこちに戦いの名残を感じる。でも、ただそれだけだ。がおれをここに連れてきて何をしたいのかは皆目見当つかない。適当な草むらに並んで腰を下ろす。は膝を抱えて、水平線のさらに向こうに目を凝らしているようにみえた。
は深呼吸を二、三度すると、きり、と何かを決意したような顔をおれの方に向けて信じられないことを言う。
「さっきまで、ルッチさんとカクさんが、ここにいたの」
「はあッ⁉」
つい出てしまった大きな声に、はあっけなく眉を八の字にして膝に顔をうずめた。声はくぐもっていたが、ちゃんと聞き取れた。
「でも、もういない。あっという間に海賊を倒したと思ったら、その海賊船で出航しちゃったんだって。行先はわからない。私は駅にいて気がつかなくて、さっき知ったの。海賊に容赦がなかったから町の人がかえって怖がっちゃったみたいで。電伝虫は、二人に会える最後の機会だと思ってかけた。それなのにごめん。それに、今まで教えてあげられなくてごめん。間に合わなくて、引き留められなくて。本当にごめん」
は息継ぎするように謝罪の言葉をはさんだ。
セント・ポプラでカクさんに会ったの。黙っていてごめん。すぐに教えなくてごめん。パウリーには知らせないで欲しいっていうカクさんの言うことをきいてしまってごめん。ルッチさんが入院していることを知らせなくてごめん。二人に会わせてあげられなくてごめん。ごめん。ごめん。ごめんなさい。
おれの顔は見なかったが、言い訳はひとつも言わなかった。
「あ、あー。ちょ、っと待て」
あいつらが、ここに、セント・ポプラにいた? いや、そもそも生きて、無事で、いたのか。
うっかり滲んだ涙をに気づかれないように拭った。追いつかない思考を少しでも整理したくて頭をわしわしとかき、そして、はた、と思い出す。
「片づけのとき、『会いたいか?』ってしつこく聞いたのは、これか?」
の部屋の片づけを手伝った時、そういえばやけに聞かれたな、と記憶がよみがえる。その時は、なんとも思わなかった。ただ、もう二度と会えるわけないと思っていたから、真面目になんて考えなかったはずだ。おれはなんて言った?
改めてを見ると、ばつの悪そうな顔でこちらを見ていた。は言いにくそうに、目を泳がせながら言葉を選ぶ。
「パウリーが会いたいなら、教えようと思った。でも、三人に何があったかわからなかったし、パウリーが会いたくないなら会わせたくなかった。でも」
視線を彷徨わせていたが、ぴたりとこちらに焦点を定めた。
「カクさんも、パウリーも、『あいつはおれに会いたくないはずだ』っておんなじ言い方するから、もうわかんなくなっちゃって」
「カクが、なんて?」
「『パウリーはわしらの顔なんか、見たくないはずじゃから』って」
「……そうか」
言うか言うまいか。二人を好いていただろうに、わざわざ知らせたくなかった。
だが、少し間を取って、結局こらえきれなかった。
「あいつら、おれを……騙してたらしくてよ。そんで、それがバレちまった時に『おれはお前らを仲間だと思ってた』って言ったんだ。けどよ、ルッチとカクには『お前だけだ』って言われちまって」
「はあ⁉ なにそれ!」
はみるみる眉を吊り上げて顔を赤くし、瞬く間に怒りを爆発させた。さっきまで殊勝な顔をしていたくせに。ころころ変わる表情に、少しばかり安心する。
は自分の膝を拳でドンドンと叩きながら、ほんっとに嘘ばっかり、と歯ぎしりするので、どういうことかと聞き返す。
「カクさん、ずっと言ってたの。自分たちは嘘つきだって」
「ああ、まあ。おれらを騙してたからだろ」
「違う。いや、そうだけど。そうじゃなくて。ずっと、自分たちは嘘つきだって言いながら『会いたくない』『パウリーとは友達じゃない』って言うんだよ」
「だからなんだよ」
「ばかみたい。わざわざ『今から嘘をつくぞ』って言ってから『会いたくない』なんて。そんなの『会いたい』ってことじゃない」
あ。
思ってすぐに、そんなことあるはずない、と打ち消した。の熱弁は続く。
「本当に嘘をつきたいんだったら、そんな宣言しないで『仕方なかったんだ』『友達だ』『今でも仲間だと思ってる』『会いたくてたまらない』って言えばいいのに」
「いや、でもお前それは……、え? 嘘つきが『会いたくない』って言ってんだから、本当は『会いたい』だろうって?」
「そう」
「いやいやいやいや」
そんな、子供みたいな。
「セント・ポプラでのカクさんはずっと、そうだった。会いたいくせに。会いたいって言いたいのを必死に堪えてるようにしか、見えなかった」
はそこまで捲し立ててすっきりしたのか、だからって、許さなくていいけどね⁉ と慌てて念押ししてくる。
パウリーは優しいから心配だったのだと、は言う。ルッチもカクも大怪我をしていて、ルッチはここ数日、意識不明だったのだと。そんな弱っている二人に会ってしまったら、パウリーは許したくなってしまうのではと不安で、ルッチの入院中は会わせたくなかった、とも。
呆然と、海をみた。船影はない。風もないので波もない。
「ごめん、パウリー」
が、もう何度目になるかわからない謝罪をまた一つ重ねた。
謝るようなことはないのに。
「まだあんのか? つーか、そもそも謝るようなことじゃ」
「わたし、カクさんのこと好きだった」
はまるで罪を告白するみたいな青い顔だった。
恋の話にはそぐわない、あまりの神妙さに、ぶは、と噴き出してしまう。何を言うかと思えば。
「なんだよ、それ! 別にわるかねえだろ?」
でも、と続くの言葉を無理矢理遮る。
「カクはいいやつだよ」
それを聞いたの目にはみるみる涙がたまり、顔をくしゃくしゃにしてまた泣いた。
パウリーは優しすぎると、手で顔を覆う。ばか、ばか、とおれを罵りながらあまりに泣くから、おずおずとの背に手を伸ばす。触れた背中は震えていて、とても熱かった。
本心だ。カクは。ルッチも。いいやつだ。
が聞いてくれたあいつらの答え。嘘かも、いや言葉のとおりかもしれない。でも、直接おれが聞いたわけじゃないからこそ、嘘で、本当かもしれないと思えた。
騙されていた日々も確かに仲間で、友達だったと。心から笑いあった日々が確かにあったのだと。
だから、そんなに泣くなよ。
おれもおまえも。
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