冤罪

 さんの挨拶が終わったあと、ルッチとカク、ジャブラ、フクロウはその場に残され、この前の任務の報告をさせられたようだ。退室を許された私たちに特段予定はなく、なんとなく私の部屋でお茶をすることにするが、クマドリは鍛練があると言うので廊下で別れた。 結局、ブルーノにだけ紅茶を淹れる。

「カリファは知り合いなのか?」
「ええ、父の関係で。子供の頃良くしてもらったわ」
「どんな人なんだ?」
「どんな……」

 どんな、と問われて、なんと言えばいいか迷った。私の知っているさんは、子供の頃、会えば必ず屈んで目線を合わせてくれ、そして「お元気ですか?怪我などされていませんか?」と心配してくれる、そういう人だ。初めは、他の大人たちと同じく、父へのアピールかと疑ったこともあったが、どうやらそんなこともなく、結果としてなついてしまった自分がいる。そして、なついた結果の秘密も。 だから、

「仕事は出来る人だと思うわ」

 こうなった以上私はさんの味方だ。みんなには悪いけど。
 ブルーノは「そうか」と応じて、それ以上何も聞いてこなかった。

 ルッチとカクは戻ってこなかったが、ジャブラとフクロウは廊下でジャブラがやいのやいのと騒がしいのがわかったので部屋に寄らないか、と声をかける。
 お茶を出しながら、フクロウに「どうだった?」それとなく話を振ってみたのだが、彼には本当に珍しく口が固い。さんに怯えているようにも見えるが、言いふらした後のルッチからの制裁が怖いのだろうか。「いや、まあ、ルッチが……うまく説明してくれた……」となんとも歯切れが悪く、この場にいては喋りたくないことも喋ってしまいそうで不安だとでもいうように、淹れたお茶もそのままに、そそくさと退室してしまった。その代わり、ジャブラが普段以上に饒舌に教えてくれる。

「いやァ、いいもん見たぜ! あいつらにも言ったがよ。おれは完全に派だ。ルッチの野郎が怒りでわなわな震えるところなんて、なかなか見られねえぞ!」

 しかも女相手に! と相当愉快なようで、ジャブラは笑いが止まらない。先程の出来事を反芻して、また一人、くくと笑っている。

「ルッチの枷なのか?」

 とブルーノは腕を組んだ。ルッチの枷、そんなものにさんがなれるだろうか。

「にしても、ルッチのやつに忠誠誓って跪けたァ……最高だ」
さん、ルッチにそんなこと言ったの?」
「ルッチはどうしたんだ?」
「差し出されたの指をちゅうちゅう吸ってやがったぜ。傑作だ。は微動だにしてなかったけどな」

 ブルーノはよくわからん人だな、と紅茶を啜った。カリファは他の二人に気づかれないようにため息をつく。私から言わせれば「相変わらずだな」だ。

「悪いけど、お開きにしてもらえる? さんに改めて挨拶してくるわ」

 二人を無理やり追い出してドレッサーの前に座った。ヘアオイルを手のひらで温め、手櫛で髪を整えながら、なかなか減らない香水瓶をいくつか眺める。髪をいじりながら迷って、シンプルで無機質、長方形の板みたいなガラス瓶を手に取った。買ってはみたものの、なかなかつける機会のなかった香り。胸元より少し下、みぞおちの辺りにワンプッシュする。これは、悪女の香りだ。さんに会うなら、これくらいでないと。体温で肌に馴染んでいく香りを確かめながらシャツのボタンをかけ直す。

 ひとまず長官室へと歩いていくと、ちょうど、長官室前の会議室から出てくるさんと鉢合わせた。なぜ使われていない会議室から? という疑問と、心なしか汗ばんでいるように見えるその姿に少しだけひっかかりを覚えるが、あまり気にも留めずに声をかける。

さん」
「カリファ! さっきはろくな挨拶もできなくて申し訳ない。変わりないかな?」

 両手を広げてハグのポーズをとるさんに釣られるようにハグをする。もう私の方が背が高くなってしまったから、さんのつむじが見えた。こうして触れてみるとさんは思っていたより随分小柄だ。見上げてくるさんがにやりと笑った。

「大きくなったね。こんな香りまで似合うようになって。感慨深いよ」
「……恐縮です」

 さんに気に入られたくて悩んだ香りなのに、いざ褒められると照れてしまう。体温が上がると、また香りが立ち上るような気がして、気恥ずかしい。さんの前では、いつまでも何もできない少女のようだ。さんの瞳はそんな私を簡単に見透かしているような気がして、目が合わせられない。

「もう私の方が屈んでもらわないといけないな」
「背ばかり高くなってしまって」
「そんなことないだろう。任務の成果は聞いているよ」

 あの可愛いカリファがねえ、とさっき整えた毛先をさんが手ですくので、髪もちゃんとしておいて良かったとこっそり胸を撫で下ろした。 ふと、さんのネクタイが無いことに気がつく。挨拶の時はしていたはずだが、では、なぜ?さっき気にとめなかった違和感が少しずつ膨らんでいく。

「……さん、ネクタイは?」
「ああ、さっき外してどこにやったか……」

 さんがちらりと目線をやった会議室を私は見逃さない。いやいや、そこにはないよと私を制止するさんを無視してドアを開けると、さんのネクタイが所在なさげにはらりとした佇まいで床に落ちていた。後ろでさんが額に手をあてている気配がする。振り向いて詰め寄るとさんがわたわたと言い訳をし始めた。

「いや、カリファ、これは君が思っているような」
「誰? ルッチ? ジャブラ?」
「いやあ……」
「……まさか、カクなの!?」

 カクはまだ子供よ! とあからさまに眉間に皺を寄せた私に、さんは心外だと頬を膨らませた。見くびるな、とも。

「私は何もしていない」さんは両手をあげて、降伏のポーズをとる。
「……嘘よ」
「酷いなあ、本当だよ。私は彼に触れていない。餌を撒いたら、かかってしまったんだ」

 言っておくが私は被害者だぞ?と全く害を被っていないような顔でさんが捲し立てる。床に落ちていたネクタイを拾い上げ、手で埃を拭うようにしてからさんに手渡した。

「どうせ楽しんだくせに」
「おいおい、カリファ。いつの間にそんなに口が悪くなったんだ?」

 攻撃的な笑みを浮かべながら下から睨むようにこちらを視線で射抜いてくるさんにぞくりとしながら、私はカクのこれからを思ってまたため息をついた。



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