眼前の攻防

「さて、何度言えばわかるのかな?」

 表向きは大変に多忙なスパンダム長官を補佐するという名目、本当のところは不甲斐ない長官の補佐をさせようという理由で新たに派遣されてきた副長官殿はと名乗り、挨拶もままならないうちに申し訳ないがと言いながら、ルッチ、カク、ジャブラ、フクロウを横一列に並ばせて笑顔で問いかけた。ルッチの片眉がぴくりを動いたであろうことを長年の付き合いで察したカクは内心「勘弁してくれ」と頭を抱えたくなっている。ジャブラは両手をポケットの突っ込みながら欠伸をし、フクロウは背筋は伸ばしつつも、気まずそうに視線を明後日の方へと向けていた。

「君たちはCP9。他のCPの模範になってもらわねば。そうだろう? ロブ・ルッチくん?」
「……何がご不満で?」

 ルッチが苛立ちを隠そうともせず不遜な態度で応戦するので、隣のカクは肩をすくめた。

「失態を隠そうと予定より多く殺すのはやめてくれないか? なあ、フクロウくん」

 突然名を呼ばれたフクロウがびくりと身体を震わせたのをみたルッチは、フクロウが謝罪の言葉を口にする前に「失態ではありませんし、そもそもやつらは世界政府にたてつく不穏分子です」と擁護する。は少しだけ目を丸くして、フクロウくんはいいリーダーに恵まれたね、と微笑んだ。

「命令以上に人を殺すのは失態ではない、と。そうだ、そうだ。君はそうだった」

 でもね、と一段低い声では続ける。

「頭の言う通りに動かない手足になんの価値が?」

 の言葉にジャブラがぴゅうと口笛を吹いた。ルッチがやり込められているのが楽しくてしょうがないのだろうが、ルッチとジャブラの間に挟まれているカクは気が気でない。フクロウはの迫力に白目をむいており、立っているのがやっとのようだ。とルッチのにらみ合いは恐らく十秒にも満たないものだったが、ビリビリと張りつめた空気は吸うだけで息苦しく、カクとフクロウは息を潜めた。
 そんななか、根負けしたルッチは大きく大袈裟に息を吐くと「…………善処します」と思ってもいないことをとりあえず答える。

「よろしい。さあさあ、話はこれだけだ」

 は両手をパンと叩いて部屋を後にしようとしたが、ドアの前で、おっと忘れるところだったと踵を返して恐ろしい言葉を口にする。

「忠誠を誓うキスがまだだったね」


   ◆

 カツカツと革靴の底を鳴らしながらが近づいてくる。殺意を噛み潰したようなルッチの歯軋りが聞こえ、カクがルッチが殴りかかりそうになったら全力で止めんと、そう覚悟を決めたそのとき、

「おれァ誓うぜ~!」

 とジャブラがの手をすっと取った。片手はポケットに突っ込んだまま、の手の甲に口づける。は少し驚いたようだが目を輝かせた。

「ジャブラさん! 嬉しいです。仕事ぶりでも認めていただけるよう尽力しますので」
「ルッチにあれだけ言えれば、あのヘボ長官より役に立つぜ! まずぁ合格だ! おいお前ら! おれは完っ全に派だかんな」

 よろしく頼むぜ、との肩を組むジャブラを見てカクは目眩を覚えた。ルッチは額に青筋をたてながらその光景を睨みつけている。

「忠誠を誓う?そんな行為に意味がありますか?」
「愚問だ」

 ルッチの問いをがぴしゃりとはねつける。博識な君ならもちろん知っているだろうが、と前置きをしては言葉を続けた。

「人間は自分が思っている以上に身体の動きに脳が騙される。”すること”が重要なんだよ」

 乙女に恥をかかせないでほしいね、とルッチの口元へ手をさしのべながら、は暗く冷たい声音で最後通告を突きつける。

「死にたくなかったら、死ぬまでおれの上官でいることですね」
「心配には及ばないよ」

 ここは力がすべてじゃない。知っているだろう? との高笑いが響く。


   ◆

「さあ」

 自分より背の低い女のはずなのになぜか始終上から見下ろされているような気分で、ルッチはかなり苛ついていた。ジャブラがと一緒になってこちらをにやにやと眺めてくるのも癪に障る。
 ルッチはが差し出した手を取ると、口づけの代わりに、人差し指に甘く噛みついた。だが、は声をあげるどころか、微動だにもしない。

「……声を出さないのは立派ですね」
「獣に手を出すのだからね。噛まれるくらいは覚悟の上だよ」
「痛みにはなれているようで。大したものだ。では、これは?」

 ルッチはを睨み付けながらさっきつけた人差し指の歯形を舌でゆっくり何度もなぞった。指の腹を舌先でくすぐり、舌の柔らかさと温かさを無理矢理押し付ける。そうして舌で指を嬲ったあとは、指を口に含むようにしてちゅう、と吸う。
 そんなことをしてみても、呆れるほどに表情を変えず、うすら笑いを顔に貼りつけたままのをみて、ルッチは諦めたように唇を離した。

「体温あがってんぜ? 

 ジャブラの声にルッチは耳を疑った。声出してもよかったのによ、と耳元で囁かれているには、少なくとも全くそんな気配はない。ジャブラさんがくっついてるからですよ、と媚びたような物言いは聞くに堪えなかったが、果たして真実は。

「それにしても驚いたよ。噛みついたあと傷をなめるなんてね。誰にしつけてもらったんだ?」

 かわいい猫ちゃん?

 が言い終わるや否や、ルッチが獣の唸り声をあげながら豹の姿になっていくのをカクとフクロウが慌てて止め、ジャブラは腹を抱えて笑っている。副長官は、後は任せた、と颯爽と部屋をあとにした。



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