無遠慮の作法

 彼は、彼が十三歳の時にわたしについうっかり欲情してしまってからは、ふっきれたのか月に一度か二度、私の躰に触れるようになった。はじめはおずおずと、歳を重ねるほどに段々と遠慮がなくなって、今は堂々たる風情すらある。
 何の用途でわたしがここに在るのか、わたしにはわからない。わたしにはぱさついているが髪があり、関節がある程度曲がり、古布で拵えられた簡素なワンピースが着せられていた。瞼はない。彼以外に愛された記憶もない。
 わたしが思い出せるのは、八歳の彼が乱雑に積まれた古いシーツや書物、オモチャの剣やピストル、壊れた椅子やベッドなどを器用に避けながらわたしのそばにやってきて、大きな丸い目をさらにまんまるくしたこと。それ以来、彼はちょくちょくやってきて、時にはわたしが他の誰にも見つからないよう周到に隠して、蜜月の日々を過ごした。

「ルッチが意地悪なんじゃ」

 時折、涙目の彼がわたしの胸に顔をうずめてぽとりと呟くことがあった。訓練が辛いとか、怪我をした、とか。そんなときはいつだって、震える背中をこの手でさすってあげたいと思うのだが、わたしはわたしの躰を動かせないのでもどかしい。声も出ないので、仕方なくただひたすらに、がんばれ、がんばれ、と念じた。思うだけのわたしの思いは、彼になんの影響も与えなかったのだろうが、彼は自分の力できちんと生き残った。そして定期的にわたしに会いに来た。
 彼がつるつるとしたわたしの固いおなかに吐精したのは、満月の夜だった。彼は荒かった息が落ち着くと、急いでそれをぬぐって、転がるように、でも音もたてず、物置から出て行ってしまった。そんな彼の様子から、彼はもう来ないかもしれないなと気分が沈む。彼が拭ったところだけがまだぬるくて、それがとてもさみしい。
 そんな夜から一か月くらい経ったある日、彼は私の様子をうかがうようにやってきた。この前はなんだかなし崩しに始まって、あれよあれよという間に終わったけれど、今度は彼の明確な意思を感じた。頭の上で動かない手首を掴まれる。ワンピースは捲られて、今日は胸まで露わだ。そうしてから、彼はわたしのささやかな膨らみにそっと頬を寄せた。冷たい躰が彼の熱を奪っていくが、どう頑張っても、彼と同じ温度にはならない。少し前まで、彼は布越しに同じことをしていたのに、布一枚はだけられるだけで、彼の身体に籠っていく熱を如実に感じられた。
 彼がこうした行為に及ぶのは、もっぱら嫌なことがあった時らしく、時に荒々しいこともあった。壊れて困る躰ではないのだが、冷静になった彼が傷つくのではないかと気が気ではなかった。でも不思議なことに、私がもう少しだけ優しくして欲しいなと思うと、彼ははっと我に返って落ち着きを取り戻し丁寧な所作になる。まさか私の声が聞こえているのかなと思ったこともあったが、彼と会話が出来ることはなかった。彼は静かに、彼の気が済むまで、わたしの冷たい躰に自分の熱を移していくだけだ。
 彼がわたしに会いに来なくなって五年が経った。それは彼に嫌なことがおこっていないということだろうし、そうでなくても、彼がわたしを抱きしめなくてもよくなったのなら、それで良い。ただ、物置は少しずつ片づけられていて、遠くに聞こえていた作業音が少しずつわたしに近づいていた。五年前、彼はわたしを布で覆っていったが、彼以外の人間に見つかるのも時間の問題だろう。見つかればおそらくきっと処分されるだろうから、その前に一度でいいから会いたかった。でも、思うだけのわたしには、何もできない。
 とうとうその日がやってきた。その人間は、すたすたとまっすぐ私に近づいてきた。物置は、以前よりずっと歩きやすくなっているのだろう。何の迷いも感じない歩みだった。その人間は布をとって中身を改めようともしなかった。元々ゴミ置き場のようなものだったから、それも仕方のないことだ。少し驚いたのは、その人間がわたしを抱きかかえるように持ち上げたことだ。そしてすぐにもっと驚くことになる。

「間に合って良かった。会いたかった」

 わたしも、と抱きつきたかったが、わたしはわたしの躰を動かせないし、やっぱり声も出ないので、仕方なくまたひたすらに、わたしも、わたしも、と念じた。



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