第十一番 夕べの調べ

 太陽の支配を逃れた水の都は休む間もなく月影と瞬く星の侵食を受ける。それは微かに、仄かに、優しく人々の頬を照らし酔いのまわった身体を冷やす。あちこちの窓で楽しそうな夕食風景のシルエットを見ることができ、あちこちの店から今日の自分をねぎらう乾杯の音が聞こえる。
 そんないつもと変わらぬ夜のこと、ブルーノの店の前で、誰かと誰かがぶつかった。

「「どこ見てんだわいな!」」
「どこ見てんだてめぇ!」

「「「あ」」」

お互いそれはまったく予想外のことで。


「なんて男だわいな!せっかくのケーキがー…!」
「弁償!弁償だわいな!」
「な、なんだなんだ!?被害者はこっちだろうが!葉巻が全部パーだ!」
「「そんな安物」」
「高かったんだよこれは!」

 まるで子供みたいなやり取りに傍にいたルッチとカクが頭を抱える。通りすぎていく人々は、そんな三人を微笑ましく思いながら「はは、パウリーの奴、またなんかやらかしてるぞ」「相手は女の子だ、めずらしいねえ」だなんて、適当なことばかり言って去っていく。そんな声を聞いたカクが「まったく面倒な」と帽子を目深にかぶり、同じように聞いたルッチも『これだからこいつと飲むのは嫌なんだ』とシルクハットをかぶりなおした。ハットリがおもしろそうに「クルッポー」と鳴いた。
 今日は少し賑やかな夜だった。月影も穏やかに微笑み、瞬く星もからからと笑い声をあげている。「キウイちゃんも、モズちゃんも、相変わらずセクシーだねえ」どこからか聞こえてきたそんな声に二人は「「ありがとうだわいな!」」と素直にお礼を言った。同じ声にパウリーが「なんちゅー格好だ!」と今更咎める。「おまえら…!肌を出しすぎだ…!」と顔を真っ赤にして怒鳴り散らすパウリーをからかうように、綺麗な長い足を、くびれた腰を、なだらかな肩のラインを、形のいい胸を、見せつけるようにして二人はすくっと立ちあがった。何時の間にか集まっていた野次馬から歓声が上がる。パウリーは顔を真っ赤にしたままだ。そんな彼を見て、片方の女の子がはた、と気付き言った。

「ちょっとまつんだわいな、モズ」

 モズ、と呼ばれた彼女が不思議そうに、自分の名前を呼んだ、自分によく似た子の顔を覗きこんだ。視線がかち合ったのを合図に、ずれた眼鏡をなおしながら「どうしてだわいな」と問う。

「この男、あのガレーラの借金男だわいな」
「あぁ、ほんとだわいな。ついでに破廉恥男だわいな」
「借金男なんて呼ぶんじゃねえ!破廉恥はおまえらだ!」

 言いながら立ちあがるパウリー。身長差、体格差、彼女達はまったくひるまない。

「あんな借金男から弁償されるだなんて、フランキー一家の恥だわいな!」
「確かに!危ないところだったわいな」
「人の話を聞け!」

 まるでコントみたいに、若い二人にいいようにあしらわれているパウリーが滑稽で仕方ない。カクとルッチも、そろそろいいだろうとパウリーをなだめにかかる。

「まあまあパウリー、こんな若いお嬢さんにそんな食って掛かるな」
『どっちが年上だかわからなくなる』
「あ、山ザル!」
「あ、ハト男!」
「……」
『……』


「だれがじーさんじゃ!ワシは23じゃ!」
「あはは、おもしろいんだわいなー、説得力はまるで皆無なんだわいな!」
「ねえ、キウイ。これ、ハトがいなくなったら喋れなくなるんだわいな?」
『や、やめろ!』
「図星だわいなー、やっちまうんだわいな!」

 今日は少し賑やかな夜だった。月影も穏やかに微笑み、瞬く星もからからと笑い声をあげている。喧騒が溶けて賑わいが流れる。漂うのは楽しい夜の空気、カーニバル、サーカス、ダンスパーティー、遊園地、動物園、水族館。世界中の楽しいものがここに集ったような、カラフルな、シンプルな、ビビッドな、ライトな。零れるのは笑い声、溢れるのは笑顔。
 軽やかに、優雅に、舞うように、踊るように、浮かんでは消え、消えては浮かび、ゆらゆらと、はらはらと、さらさらと、ああ、酔ってしまう。

「ちきしょー!あいつらなにやってんだ、遅い…!」

 開いたブルーノの店のドア。聞き馴染んだ声に振り向いたのは二人。

「「アニキ!!」」
「なんだ、おまえらここまで来てたのか。何やってんだ?」
「あぁ、あの借金男と「破廉恥男と「ぶつかってしまったんだわいな」
「なんだと!?怪我はねえのか!?」
「あたしらは大丈夫だけど「ケーキが…」
「なあに、おまえらが悪くねえのは百も千も万も承知! ケーキなんざ腹に入ればみな同じよ!気にすんな、それくらい」
「「アニキー!」」

「ったく、それにしてもひどい男だな。えぇおい?」
「ぶつかってきたのはそっちだろうが!」
「おうおう、男のくせにかっこ悪いねえ」
「そのとおりだわいな!」
「アニキの言うとおりだわいな!」

 今日は少し賑やかな夜だった。月影も穏やかに微笑み、瞬く星もからからと笑い声をあげている。漂うのは楽しい夜の空気、カーニバル、サーカス、ダンスパーティー、遊園地、動物園、水族館。世界中の楽しいものがここに集ったような、カラフルな、シンプルな、ビビッドな、ライトな。

「ったく、まあいい。今日の俺は機嫌が最高にいいからな」
「運がいいんだわいな、ラズベリータルト!」
「ほんとだわいな、チョコレートパフェ!」

 甘い甘い名前で呼ばれた彼は「このやろう!」と拳を握る。カクが笑いながら、ルッチが呆れながらそれを止めた。
今日は少し賑やかな夜だった。月影も穏やかに微笑み、瞬く星もからからと笑い声をあげている。漂うのは楽しい夜の空気、カーニバル、サーカス、ダンスパーティー、遊園地、動物園、水族館。世界中の楽しいものがここに集ったような、カラフルな、シンプルな、ビビッドな、ライトな。軽やかに、優雅に、舞うように、踊るように、浮かんでは消え、消えては浮かび、ゆらゆらと、はらはらと、さらさらと、ああ、酔ってしまう。





賑やかな夜のことだった。


第十一番 夕べの調べ


PREV NEXT