まさかほんとに

「何しに来たの?」
「招待状を寄こしたのはそっちじゃろう?」

 どの面下げて。

七年目の別れ話

 二年前、私の目の前から影も形もなく、すっかり消え失せてしまった元・恋人が、ブライズルームに現れた。白いもこもこしたシルクハットと、白いコート、白いネクタイ。相変わらずハイネックがお好みのようで。それすら白かった。ドアを後ろ手で閉めて、その前に立つ。

「なにその服。失礼過ぎない?」
「これが今の職場の正装なもんで」
「ばっかじゃないの。礼儀知らず」
「忙しい仕事の合間を縫うてやってきたっちゅうのに。冷たいのう」
「頼んでない」

 怒りで眉間に皺が寄る。なんて、なんてこと。でも人を呼ぶ気にはなれなかった。そう、わたしはこの男と話したい。というより、罵りたい。出来れば声が枯れるまで。そのまま見つめあうことなんて出来なくて、私はすぐ鏡台の鏡に向き直った。鏡の中の私は、怒っているのか、悲しんでいるのか、ひとまず笑顔でないことだけは確かな、なんとも微妙な顔をしている。鏡越しに覗き見たカクは、私の複雑な胸中なんてお構いなしと言わんばかりの、普通の顔に見えた。忌々しくて、ますます顔が強張った。

 二年前、カクが失踪するまで、私にはカクの恋人だという自負があった。「付き合うてくれんかの?」とカクから告白されて「はい」と返事をし、そうして始まったのだ。小さな喧嘩もちょこちょこしたけど、次の日にはすぐに仲直りをして、カクの腕の中で眠った。いなくなる前の晩だって、市長でもあったガレーラカンパニー社長の暗殺騒ぎで大変だったはずなのに、カクは私を案じて部屋まで会いに来てくれた。なんだか胸がざわざわする、と言った私を、こうしたらおさまるじゃろ? と抱きしめてくれたのだ。出会って五年、付き合って四年も経つのに、ちゃんと毎日優しいなあ、とますます好きになった。悔しい。昨日のことのように思い出せる。
 カクの部屋にも私の部屋にも電伝虫はなかったから、会いたいと思ったら、会った時に次の約束をするか、カクの部屋を訪ねることしかできなかった。でもその頃の私たちはすでに互いの部屋の鍵を持っていて、どちらがいつ尋ねてもなんの差しさわりもなかった。約束がある日は壁のカレンダーに丸をつけて共有していたし、急な予定が入った日は必ず自分の家に帰った。相手が自分の部屋で待っているかもしれないから。だからおのずと深酒は控えるようになって、いつだったかべろべろに酔っぱらったパウリーに「お前のせいでカクは付き合いが悪くなったんだ」と涙混じりで言われたことがある。
 でも、あの日。アクア・ラグナが去っても、彼は私の部屋を訪ねてこなかった。あの年のアクア・ラグナは例年よりずっと被害が甚大で、真相はいまだ不明だけどガレーラカンパニーの本社も放火されて焼け落ちて、それなのにガレーラカンパニーの職人さんたちは復興のお手伝いに駆り出されて、だから、すぐに会えるとは思っていなかった。私自身、部屋は無事だったが、家族や職場は被災していて、そちらで手いっぱいだったのもある。アクア・ラグナによる死傷者は今年もいなかったと島内放送が流れたから、ひとまず安心していたし。町にカクの姿が見えないなんて気づかなかった。
 アクア・ラグナが去って一週間後。鍵を開けてカクの部屋に入ったら、大きな家具はそのままだったけど、クローゼットや戸棚から服や小物がなくなっていた。それなのに、ダイニングテーブルには、いつも被っていた白いキャップがぽつんと置いてあって、随分経ってから私はそれをカクの「さよなら」だと思うことにした。
 そして二年が経った。

「見ての通りだけど、私、結婚するの」
「わし以外の男となァ」
「そうね。四年付き合った恋人が突然失踪して、理由もわからず、何か事件に巻き込まれたんじゃないかって心配で夜も眠れなくて、でも違うそうじゃない、どうやら、ただ捨てられただけみたいだって、段々わかって。それなら、もう恋なんて愛なんて男なんて信用できないって荒れに荒れて、すさんで、ボロボロになった私にずっと寄り添って、支えてくれた素敵な人と、結婚します」

 少しでも傷つけばいい。私がどんなふうになったか。腹立たしいことに、カクは私が何を言っても表情を変えなかった。

「なァ」
「なに」
「わしら、別れたのか?」
「はぁ?」
「わしは、別れたつもりはないんじゃが」

 と、カクがのたまった瞬間、目の前が赤で染まる。

「ふ、ざけないでッ!?」
「え」

 目を白黒させているカクに、悲鳴にも似た叫びを穿つ。

「あなたを、待たなかったと! あなたが、私を、責めるの!?」
「ちっ、違う違う違う違う!」

 すまん、すまんかった。違うんじゃ、違う。
 私の激昂にカクはおろおろと慌てふためいて距離を詰めてくる。きっと睨んで「近寄らないで!」と一喝すると、ぴたと足を止めた。

「失言だった。このまま、一層憎んでくれて構わんから」

 怒りで人が殺せたなら、今、間違いなくカクは死んでいた。
 はあはあと肩で息をしながら、こんなはずじゃなかった、と大声で泣きたくなった。
 カクが住んでいた部屋は二年経ってもまだ空いたままで、その郵便受けに結婚式の招待状を投函してみたのは戯れだった。カクに届くはずがない。でも、報せてやりたかった。今はどんなに幸せか。あなたなしでも私は幸せになれる。私はとても、とってもあなたが好きだった。
 だけど、今はもう。あなたなんか。

「言われなくても」
「今日は伝えたいことがあって来たんじゃ」

 まずい。私の叫びを聞きつけた彼や家族が、ぱたぱたと軽い足音をたてながら駆けつけてきた。カクが鍵をかけたドアの向こうから「どうしたの?」「何かあった?」と問うのは優しい彼。カクの肩越しにドアを見つめながら、何でもないよ、と声を発そうとした。

「ちゃんと好きじゃったよ」

 嘘だ。光の速さでカクに視線を戻す。射抜かんばかりの私の視線にも彼は動じない。

「嘘じゃない」

 カクは私の心を読んだみたいに、得意げで。

「結婚、おめでとう。幸せにの」

 私はこの言葉を聞くために。七年間、今日まであなたが好きだった。



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