パウリーさんと付き合い始めて二か月が経とうかというところで、カク先輩から呼び出された。
指定された待ち合わせ場所は造船島の空き倉庫で、時間も深夜だったので、忍んで来い、ということなのだなと察した。まさか、昼間からカフェでお茶ができるなどと期待していたわけではないが、それでも、三年ぶりの再会がこれかと人並みに寂しい気持ちにはなる。

甘い罠VS恋人

 造船を主産業にしているウォーターセブンで一番有名な造船会社、ガレーラカンパニーの若き職長「パウリー」という男性と恋仲になるよう指示されたのは、今から半年ほど前のことだった。「半年以内に恋人となり、以降、指示があるまで付き合い続けること」以外は何も指示されず、自分がなぜ彼の恋人になる必要があるのか、恋人になってどうすればいいのか、などは特段知らされなかった。上層部がそう判断したのなら、私も従う以外の術はない。とにかく「半年以内に付き合って、指示があるまで別れない」ことだけに注力することにした。
 「パウリー」の資料に目を通す。まだ若く、自分より二つ上なだけだったが、それでももう職長なのかと驚く。ただ、そのすぐ後に、ギャンブルに目がない、借金を重ねている、そのため金にがめつい、などマイナスの情報が並んでいて、先ほどの驚きが失望と相殺されていく。とどめは、特記事項の「女性に慣れていない模様」という文字列。相変わらず、あまり役に立たない資料だなとデスクに放り投げて、未来の恋人「パウリー」に思いを馳せる。

   ◆

 ウォーターセブンに着いてすぐ、街の人が「また海賊だ」「ガレーラで暴れているらしい」と騒ぎながら一方向に駆けていくのを見かけて、私もついていってみることにした。
 ガレーラカンパニーに着くと、事態はもう収束していて、縛られた海賊が転がっているだけだったが、「今回の海賊はことさら張り合いがなかったな」などと野次馬の男性たちが、まるで試合をみるかのように感想を述べあっているのが面白い。
野次馬に混ざって、「パウリー」をそれとなく探していると、懐かしい顔が目に飛び込んできて、口を開けたままその人に釘付けになってしまった。

「カク先輩……」

 カク先輩はこちらに気づいた様子はない。とはいえ、カク先輩が私に「お前に気が付いたぞ」と悟らせるわけがないので、本当のところはよくわからない。周りの野次馬に倣って、そのままじろじろと見ていると、資料で見た「パウリー」とカク先輩が親し気に話し始めた。そのうち「パウリー」がゆでだこみたいに真っ赤になったかと思うと、如何にもオフィスレディといった佇まいの女性に「足を出すな!」と叫び始める。女性に慣れていない、とはこれか、と膝を打つ。
 ひとまず「パウリー」には会えた。ただそれよりも、知らされていなかったカク先輩のことで頭がいっぱいだった。
 「パウリー」とカク先輩は仲が良さそうだった。わたしはカク先輩の前で、あの人の恋人として振舞わなければならない場面があるだろうか。考えただけで気が重いがひとまず新居へ、と踵を返そうとしたところで、急に、さっきまで野次馬なんか気も留めていなかったように見えていたカク先輩が、野次馬の中の私を射抜くように見つめてきた。視線の鋭さに体が硬直する。だが、視線の意味はさっぱりわからない。何か伝えたいことでもあるのかと思い、背筋を伸ばして待っていたが「パウリー」から声をかけられ、そのまま背を向けて行ってしまった。

   ◆

 それが半年前のこと。
 パウリーさんへの接触は、可能な限りパウリーさんが一人の時が良いだろうと判断して事を進めていたので、結果、この半年間、カク先輩と相対することはなかった。パウリーさんからはよく「カクってやつが面白くてよ、知ってるか? 山風? あぁ、そういやそんな風に呼ばれてんな」「あいつは俺より年下のくせに生意気なんだよな。まァ、仕事は文句ねぇけど」「またカクのやつに逃げられた」と聞かされていたので、カク先輩の近況めいたものはパウリーさんを通して把握していた。

 深夜の造船島空き倉庫は、当たり前だが暗く、海の音しか聞こえない。カク先輩は全身黒い服を着ていて闇に溶けそうだ。月明りだけが辛うじて彼を映し出す。帽子まで黒くて徹底してるなあと、他人事のように緊張感のないことを考えていると、カク先輩が先に口を開いた。

「久しぶりじゃな、。元気にしとったか?」
「ご無沙汰してます」
「おいおい、なんじゃ。随分、他人行儀じゃの~」

 私の知っている三年前までのカク先輩と同じ調子で少しだけほっとする。ただ、自分はこの件についてどこまで話していいのかわからない。私にされている指示はいまだに「半年以内にパウリーの恋人となり、以降、指示があるまで付き合い続けること」のみなのだ。
 カク先輩から「ほれ」と言われて封筒を受け取る。月明りでなんとか読み取ると、信じられない追加の指示が書いてあった。

「な、んで……」
「『なぜ?』じゃと? 、お前さんが発していい言葉はただ一つ……」
「失礼しました。心得ました」
「……よし」

 封筒に書いてあった追加の指示は「以後、カクの指示に従うこと」だった。これでもう、カク先輩を避けては通れない。私はこれから「別れろ」という指示があるまでは、この人の前で、パウリーさんの恋人として振舞うのだ。別れろ、という指示もカク先輩から下されるのだろうか。

「とりあえず、の任務は? パウリーと付き合って、指示があるまで別れるな、じゃったか?」
「その通りです」
「で、進展は?」
「二か月前から付き合っています」
「ほう……パウリーからは何も聞いとらんが、確かに浮かれとったの」
「パウリーさんは、その……恥ずかしいから、と言っていました」
「パウリー、さん……」
「あっ、はい。年上なのでそう呼んでいます」
「違う違う」

 手を大きく横に振りながら否定の言葉を口にするカク先輩の「違う」がよくわからない。こういう時、下手に言葉を重ねると余計に事態が悪くなることを私は経験から学んでいたので「あ、えっと……」などと言いながら時間を稼ぐ。
 カク先輩はそんな私の浅はかな知恵に気づいているのかいないのか、「まあいい」と俯いた。そのタイミングでこっそり息を吐く。

「で、パウリーのやつ、どんな様子じゃ?」

 どんな、と言われても正直困る。繰り返すようだが私は「半年以内にパウリーの恋人となり、以降、指示があるまで付き合い続けること」以上の命は受けていないのだ。しかし、たった今「カク先輩の指示に従うこと」という命が追加で下された以上、カク先輩の質問にはなるべく正確に答える必要があるだろう。

「は、はあ……。そう、ですね……。主観で恐縮ですが、少なくとも私と過ごしている時は、楽しそう、ではあります。ああ、あとは、大事にしてくれるつもりのようです。私と付き合うからと、ギャンブルも止めてくれましたし、借金も返済していると聞きました」
「はあああ!? パウリーが!? 嘘じゃろ……」
「う、嘘ではないですが……まあ、パウリーさんが私に本当のことを言っているともまだわかりませんので……」
「……、お前、本当に「パウリー」と付き合っとるのか? 違う男じゃなかろうな」
「そんなはずは! ……彼がギャンブルをやめるだとかは、そんなに信じ難いことですか?」
「ああ! あいつの賭け狂いはもう、依存症じゃと思っとったからの」

 呆れ顔でそう言ってのけるカク先輩を見て、ふと、パウリーさんを思い出す。

『いや別に……。こんくれぇ、大した手間じゃねぇんで』
! 肩を出すな、肩を! 毎日言わせんなッ!』
『おっ、れに言ってんのか? それ……。……おれに?』
『おれァよお……なんでが、おれなんかを……す、好いてんだか、知らねェけど……、ちゃ、ちゃんとすっから』
『なんつーか、暇だったんだよな、単純に。……今は、……他に面白ぇことがあるからよ』
『も、もう少ししたら、あいつらにも紹介すっから!』

、なんちゅー顔しとるんじゃ」
「えっ?」

 カク先輩の冷たい叱責で我に返る。カク先輩は、パウリーさんが賭け狂いだと呆れたよりも、さらに呆れた顔で、「にやにやと……、癪に障る」と呟いた。面目ない。

「情が移ったりしとらんじゃろうな?」
「そ……れは……」

 あるわけないじゃないですかと続けたかったのだが、その瞬間、失敗した、と悟った。この質問には短く即答「まさか!」が正解だった。
 カク先輩は一瞬で距離を詰めてきて、私の首に右手をかけた。私に取り繕う暇も与えない一瞬の動作だった。優しく、壊れ物を扱うかのように、力が入っていないのが却って怖い。

「目を離すとすぐこれじゃ。お前さんは『殺し』が出来ん。だからこうして色仕掛けしてるのを忘れたか?」
「……対象を愛おしく思わないと……、対象からも好かれませんので」
「人選ミスが過ぎるの……。お前さんじゃパウリーが気の毒すぎる。もう終いじゃ、さっさと円満に別れてこい」
「そんな……私はもうこんなに好きになのに……」
「嘘じゃないのが余計に腹立つのう……」

 パウリーが海にでも飛び込んだらどうしてくれるつもりじゃ、と言いながら、カク先輩は私の首筋、鎖骨、胸、とゆっくり指を滑らせていく。私はカク先輩が何かぶつぶつ言っているのもそっちのけで、その動きを目で追った。カク先輩の指が胸の頂点にたどり着き、ぴくりと体が緊張する。


「はい」

 急に名前を呼ばれたので指から目を離し、顔を上げてカク先輩を見ると、カク先輩は私を見つめながら、そのタイミングで指をくいと折り曲げた。

「あっ……」
「下着くらい着けてこんか」
「ッ、……しない、ですか……?」

 カク先輩が、今日一番の大きなため息をついた。

「わし、明日は朝早いんじゃけど」
「ああ、パウリーさんもそう言ってました」

 お仕事大変ですね、と続けると、恋人の血管が切れる音が聞こえた気がした。



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