そして役者はいなくなる
カリファがコーヒーを淹れ、彼女の前に置く。彼女は黒髪をひと房揺らして、ありがとう、と口を小さく動かし礼を言った。その様子を見ていたルッチがカリファを睨むが、カリファはルッチの視線に気づかない振りをする。
「ブルーノは?」
カクは二人の気を逸らそうとこの場にいない男の名前を出した。少し遅れると連絡があった、と言いながらルッチが広げるのは我が社の見取り図だ。
「はじめるぞ」
黒髪の彼女を除く全員が、ルッチがテーブル一面にひろげた紙を見やる。ニコ・ロビンは、我関せずといった素振りで新聞を開き、コーヒーを口に運んだ。 いよいよだ。
ものすごい爆音が響いた。カリファめ、やりすぎじゃろと思う間もなくルルとタイルストンが一目散に駆けていく。待て! と形式的な制止をし、やれやれ、と取り繕って椅子に腰かけた。ルッチはまだ『ロブ・ルッチ』を全うしており何も言わない。
「派手にやっとるようじゃの」
「ああ」
気を抜くなと窘められるかと思いきや、ルッチは意外にもハットリを介さず声を発した。思わずルッチに顔を向けるが、やつはまっすぐ前を向いたままだ。諦めてカクも前を向く。眼前では、社長を慕う職人たちがバタバタと右往左往しており、アイスバーグを『護衛』しているこちらは見向きもされない。信頼。これが、この五年で自分たちが周囲から勝ち取ったものだ。そして間もなく、この任務の最終目標である紙束も手に入るはず。これらが『五年』に見合うものなのか、それは考えない。
時折思い出したかのように、異常はないか? と問うてくる職人に、ない、と返答しながら、何も知らない彼らの幸せに思いを馳せる。ここまで来てしまえば何やらあっけなくも感じ、カクは周囲の喧騒とはかけ離れた呑気さで、ここ最近の自分達を振り返る。
五年と言い渡されていた任務だが、別段、今日が期限だったわけでもない。そろそろ目途をつけなければ、と終わらせ方を模索していたところに、長官から直々に珍しく具体的な指令が下った。『近日中にウォーターセブンへ入港するニコ・ロビンと接触し俺が言う条件を突きつけろ』と。
「ニコ・ロビンは本当にわしらについてくるんじゃろうか」
「さぁな」
取りつく島もない返答はまごうことなき彼のもので、とても安心する。
段々と強さを増す血の匂い。大きくなる叫び声。増える爆音。意志を持った闇がどんどん獲物を追い詰めていく。
「私が行くわ」
カリファは無機質に言った。その声音は、何も感じていないゆえのものではなく、何か感じていることを悟らせないような努力を思わせるものだった。ルッチは少しだけ考えるそぶりを見せた後、わかった、と承知した。それを聞いたカリファは、以降黙ってソファの上で膝を抱え、床の一点をぼうっと見ている。なににも拘束されない長い髪が、彼女の目元を少しだけ覆っていたので、カリファを見つめるカクとカリファの視線がかち合うことはなかった。ニコ・ロビンは部屋の隅で椅子に腰かけ、静かにコーヒーを飲みながら新聞に目を通している。彼女は暇さえあれば新聞を開いて、口を噤んでいた。
それならわしらが例のものを、と提案すると、ルッチが無言で本社兼アイスバーグ宅の図面に書き込みを入れる。刹那。
ふわ、と花の香りが鼻腔を掠めて、花弁が舞った。誰も座らない椅子の背もたれから生えた女の細腕が卓上の羽ペンを取り、図面に何か書きこんだ。ルッチがあからさまに大きな舌打ちをする。それに驚いたのはどうやらカクだけらしかった。話には聞いていた能力だったが、目の当たりにするのは初めてだ。部屋の隅のニコ・ロビンはカクの動揺に気づいたのかほんの少し口の端を持ち上げた。笑われたような気がして、すぐ目を逸らす。
「信用していいのか?」
本社襲撃前の最後の打ち合わせが終わったところで、ニコ・ロビンに歩み寄り問うた。街中でお尋ね者となっているニコ・ロビンはこのままこの部屋で休むという。彼女はブランケットを片手に怪訝な瞳をこちらに向けつつ即答した。
「あなたたちが協定を守る間は」
淀みない返答と揺るがない瞳にこちらがたじろぎそうになる。二の句を継げずにいると、話はそれだけ? と背を向けるニコ・ロビンを慌てて、おい、と制止する。うんざりした様子のニコ・ロビンと呆れたルッチの視線、双方が痛い。
「何が目的なんじゃ」
「質問ばかりね。調べたらいいでしょう? サイファーポール・No.9」
彼女の瞳は揺らぐことなく、ただただ深い穴のような暗さだった。
暴れているカリファを仕留めようと職人たちが群がっていく。おかげで、襲撃の最中だというのに、アイスバーグの寝室前には奇妙な静けさがあった。そろそろブルーノとニコ・ロビンがアイスバーグに対峙する。
囮役はブルーノ以外なら誰でも良かった。でも、カリファが『私が行く』とそう言った。それは『アイスバーグのところには行きたくない』と同義だと思った。思ったのは自分だけだったろうか。
「時間だ」
「そうじゃな」
今夜全ての片が付く。朝になれば、すべてが終わった後になる。名残惜しい気もするが、カリファほどじゃない。
「後継者はパウリーか」
自分たちは選ばれなかった。悔しい、と思った自分に驚いたのは一瞬。社長の人を見る目には感服した。造船は嫌いじゃなかったんじゃけど──戻ることなぞありえないが、自ら好んでいた職場をこうも蹂躙するのは気が進まない。進まないが。
「さあ、仕事仕事」
ルッチは無言で立ち上がる。ひとり軽口を叩く自分が、なんだか子供みたいに思えてカクも口を噤んだ。仕事仕事、と口には出さす心の中で復唱する。自分に言い聞かせるように。何度も。